第21話 浅倉将吾⑤
何だ? 何が起こった?
エアバックに沈み込んだ身体をばたつかせながら混乱する頭を整理する。
生かしておくわけにはいかなかった。
車には他に何人か乗っているようだったが知ったことか。
あのゴミの仲間だとしたら同罪だ。
生きる価値など皆無だ。
そう判断して、アクセルを踏み込んだ。
連中が乗る車まで目と鼻の先まで近づいたはずだった。
そこからだ。
視界が暗転して気づいたら壁にぶつかっていた。
「クソっ!」
何とか抜け出そうとドアのロックを引っ張る。
しかし、何度引いても反応しなかった。
「クソが!」
仕方がないので後方から脱出を試みる。
身体のあちこちが痛む。隙間を縫って通るのも一苦労だ。
リアゲートまで辿り着く。あらかじめ用意しておいた鉄パイプを手に取る。
こっちの扉は生きていたようで開く手ごたえを感じた。
ロックを外し扉を蹴り破る。
外に出る。
車に乗っていた連中の他に建物からゾロゾロと何人か出てくる。
有象無象だ。取るに足らない。
視線を動かす。
枯れ木とゴミはすぐに見つかった。ありがたいことに一緒にまとまってくれている。ビビっているようで微塵も動こうとしてない。
血が沸騰する。力が漲るようだ。
あいつらを殺す。
この身体は、この腕力は、今、この時のためにあったのだと思えてきた。
智明、奈美、夕夏。今、敵をとるぞ。
腹の底から声を出す。魂の咆哮だ。
「あああああああああああああああああああああああああ!」
「やかましい」
口元が鷲掴みされた。
そう認識できた瞬間、ゴキッという鈍い音が耳に響く。
「ふぁ?」
間抜けな声が聞こえた。
一拍置いてそれが自分から出た言葉だと理解した。
顎の感覚がおかしい。口が開いたままになって閉じることができない。何かがぶら下がっているかのように不安定だ。
メキッ。
再び鈍い音がする。間髪入れず、鉄パイプを持つ右手の感覚が消える。
手元を見る。
曲がっていた。
前腕部分が本来ではありえない方向に向かって曲がっていた。
喉からおかしな音が出る。
地面に転がった鉄パイプが乾いた音を出した。
何だこれ? 何が起こった? 何なんだこれ?
「狙ったな?」
声がした。正面からだ。
目の前に立っていたのは女だった。
明るい茶髪の若い女だ。
「狙ったな?」
俺よりも二回りは低い女は見上げながら同じことを言う。
底冷えするような声だ。片手でへし折れそうな喉元から出てるとは到底思えない。
「誰が乗っていたと思ってる?」
女は問いかける。いや違う。問いかけている風を装っているだけでこっちの返答なんて鼻から期待していない。
「傷つけようとしたな?」
身体が動かない。頭からつま先にかけて震えがきた。さながら蛇に睨まれた蛙だ。
冷たい目だ。生き物を、ましてや人間に向けていい目じゃない。
「私の大事な2人を傷つけようとしたな?」
この女、俺を人間とすら思っていない。
「死ぬか、お前?」
目線を切ることなく女はしゃがみ込む。手に持ったのは俺が落とした鉄パイプだ。
殴られる。
そう判断して咄嗟に頭を庇う。
しかし、女の行動は予想とはかけ離れていた。
鉄パイプを両手に持つと雑巾を絞るような動作をとる。
異様な音がした。
金属の悲鳴だった。
女の身体の中心で鉄パイプがその形を変えていく。
鉄パイプだ。鉄なのだ。
今の今までこの手に持っていたのだから分かる。どうあがいても人間の力でどうこうできるような強度ではない。
だというのに鉄パイプは変形していく。
やがてイカれた力に耐え切れなくなったようにブチブチと中心から千切れ離れていく。絞りすぎて破れた布切れのように。
「死ねよ、お前」
真っ二つになった鉄パイプが地面に投げ捨てられた。
また音がした。
今度は外からじゃない。俺の内側からだ。
壊れた音だ。
何が。
自分を支える柱だ。根幹だ。
生きていくうえで決して折れてはならない大切で大事な支柱だ。
たった今、それが砕けた。
砕ける音がした。
「……あ、……あぁ」
腰が抜ける。
尻もちをつく。
掠れた音が喉からこぼれ出る。
涙と鼻水が止めどなく流れ出る。
命の危機だった。圧倒的で覆りようもない力の差。
今、目の前にいる女、いや怪物によって命運を握られていることを嫌が応にも思い知らされる。
「きったね」
汚物を見るように怪物は呟きながら腕を振り上げる。
分かる。分かってしまう。
この腕が振り下ろされた瞬間、いともたやすく自分の命は掻き消される。
やめて。
そう言おうと思っても口が動かない。声が出せない。
やめて。
やめて、やめて、やめて。
懇願する。お願いする。頼み込む。
やめてください。許してください。お願いします。助けてください。ごめんなさい。もうしません。何でもします。殺さないでください。
怪物に、神様に、他の何かにそう祈る。
人生で一番に祈った願いは。
「有紗!」
「新城さん!」
唐突に叶った。
怪物の動きが停止し、後ろに目を逸らした。
それを合図とするように身体を縛り付けていた金縛りが解ける。
立ち上がる。
わき目もふらず走り出す。
止める者は誰もいない。
身体中が痛い。心も痛い。
どこもかしこもグシャグシャなまま心細い夜の道をひた走る。
嫌だった。怖かった。苦しかった。こんなところにもういたくない。
その一心。それだけが足を動かす原動力だった。
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