第17話 近藤勇也③
「キモい」
みきのやつが開口一番にそう言う。
「なんで?」
あまりにも心外だ。
「ニヤニヤしすぎ」
そう指摘されると思わず頬をさすってしまう。
出る前に一度覗いておこうとヒカゲくらぶの集会所を訪れたわけだが、今日いるのは、みき1人だけのようだ。
机に教科書や参考書が広げられている。
こういう日も珍しくない。
子供でごった返すときもあれば、潮が引いたように誰もいない日もある。
「今日は貸し切りか」
「うん、静かだから勉強してる」
みきは定時制の高校に通っているがあまり登校はできていない。けれども、勉強自体は嫌いではないそうだ。
「それで? 何かいいことあったの?」
話を逸らそうとしていたことは見え見えだったようだ。軌道を修正させられる。
「これから人に会うんだ」
「カノジョ?」
ほら見ろ。絶対にそう言われるから言いたくなかったんだ。
「違う違う」
「じゃあ、誰?」
「魔法使い」
「……童貞?」
「何でだよ」
隠語じゃないわ。
「昔、話したことあっただろう? 俺の中学時代」
「ああ」
思い出したとばかりにみきが手を叩く。
「そいつに会いに行くんだ」
「ずっと会いたい会いたいって言ってたもんね」
我がことのように喜んでくれるのは嬉しいが、そんな恋焦がれるように言った覚えはないぞ。
「会うのは近くの喫茶店だ。何かあったら電話してくれ」
「他の職員さんもいてくれるから平気だよ」
小生意気な返事に苦笑しながら部屋を後にする。
見慣れた顔色だった。
にっちもさっちも行かなくなってうちのNPOに助けを求めてくる保護者や子供のほとんどが表情にこんな色を帯びている。
人生にどん詰まっている色だ。
目の前の男にも同じ色、同じ匂いを感じる。
成長しているが顔立ちに所々に中学の頃の面影がある。それがこの男が町山英心であることを教えてくれた。
「ひ、久しぶり……」
ぎこちない笑みで町山が俺を迎える。
「卒業式以来か?」
「う、うん」
「いきなり、連絡してくるからびっくりしたよ」
「ご、ごめん」
「謝んなくていいって。迷惑でも何でもないから」
連絡を受けたときも思ったが、言葉がつっかえてしまったり、どもってしまったりと話すことに大分苦労している様子だった。
電話越しでは埒が明かず、こうして場所を指定して顔を合わせたわけだが。
元からこんな性格だったのだろうか。
いや、違うな。
町山からは、躓いた人間特有の匂いがする。何かに打ちのめされた、大きな挫折を余儀なくされたそんな匂いだ。
「むしろ、連絡してくれて嬉しいよ」
「……あ、ありがとう」
あまりにも緊張がひどかったので笑みを浮かべてやる。しかし、警戒でもされてるのか余計に縮こまってしまった。
俺がその態度をとるなら分かるけど、お前がそれをやるのは違うだろと突っ込みたくなった。
対面から、正確には町山の両隣から笑いを堪えるような声が聞こえる。
町山の様子も気にはなるが、町山の両脇を固める女性2人がさっきからこっちの意識を奪ってくる。
2人ともタイプは違うが滅多にお目にかかれないような美人だ。
美人な分、覇気どころか生気すらない男との対比が余計に目立つ。
見ようによってはキャッチセールスに引っかかってしまった哀れな男のようだ。
「あのう、南波先輩?」
いい加減、我慢できなくなったので知っている女性の方に話しかける。
「何?」
中学の時見た以来だけど、美人はやっぱり美人のままだ。
俺は一方的に見てただけだったが、あの頃から周りと比べて垢ぬけた存在だったけどそれに一層磨きがかかっている。
彼女も同席していたのには面食らった。従姉だと紹介はされたが、町山との距離感がいまいち分からない。もう1人の女性といいどういう関係性だ?
「先輩と……新城さんでしたっけ? そちらの方は何で一緒に?」
「あれ? 邪魔だったかな?」
「いや、そういう意味じゃあなくて、何でかなぁと」
「それは……だって英君こんな感じだし、心配で」
困ったように言う南波先輩に賛同するように新城さんも頷く。
ますます距離感が分からなくなる。子供に付き添うお母さんか何かか。
「まあ、いいですけど」
とりあえず気を取り直し、町山を見据える。
「……ごめん」
申し訳なさそうに肩を縮こませる姿に少しだけ納得してしまう。
なるほど、これはほっとけないわ。
子供を守ってやれなかったと自分を責める親御さんとかこんな感じだ。周りで起こる全ての事象が全部自分の責任であるかのように申し訳なさそうにする姿は見てて痛々しい。
中学の頃とは、俺を助けてくれたときとは想像もつかないような姿だ。
余程のことがあったのか、それともこいつでも生きていくのがつらいくらいこの世の中がクソなのか。
「気にすんなって。彼女なしの身としてはうらやましいと思っただけだよ」
気分を和らげるために少しだけおどけてみせる。
「で、どうしたよ? 急に連絡してくれて」
この問いかけに町山は一瞬身体を強張らせる。所在なく目線を彷徨わせながら、お冷の入ったコップを握ったり離したりを繰り返している。
何をどう言おうか迷っているようだった。
こういう時は、黙って待つに限る。
気の短いやつだったらイラついてしょうがないだろうがな。
「こ、近藤君は、今、幸せ?」
「なんかの宗教勧誘?」
間髪入れずの返答に南波先輩と新城さんが噴き出す。
いや、こんな質問されたらそう思ったりしないか?
町山はこの世の終わりのような顔をしている。やっちまったという顔だ。
「ああ、ごめんごめん」
本人にとっては真面目な質問だ。真面目に答えないといけない。
「そうだな……まあ、中学卒業してからもそれなりに色々あったよ。いい時もあったけど当然、クソみたいな時もあった。収支としてはトントンなんだけど、でも、まああれだな」
幸せだよ。
そう答えると少し、ほんの少しだが町山から漂っていた陰鬱な空気が和らいだような気がした。
「……よかった」
こいつの人生に何があったのかは分からない。
でも、良いやつのままでいてくれたことは確かなようだ。
会話のバトンは南波先輩へと渡った。
大分エネルギーを使ったのだろうか、町山はお役御免とばかりに新城さんに背中をさすられている。
お母さんに褒められている子供のようだった。
「改めてごめんね、いきなり会ってくれて」
「全然いいっすよ。会おうって誘ったのは俺の方ですし」
イエスという返事を町山からもらうのには随分と時間はかかったが顔合わせしたことは間違ってはいなかった。こうして密かに憧れていた先輩とお話できる機会も得た。
「それで、先輩も先輩で俺に何か用事があったんですか?」
「近藤君はさ、最近の西中の6人のこと知ってる?」
やっぱりそれか。
町山から連絡を受けた後、どうしてこのタイミングだったのかと考えると思い当たることはそれしかなかった。
「ええ。死にましたよね、3人ほど」
建前としてはしょうがないがあれを人と呼称するのは虫唾が走る。
「やっぱり知ってたか。実はね……」
そこからの南波先輩からの話は寝耳に水だった。
小野夕夏が町山と同じ心療内科に通院してた?
小野が死んだ後に浅倉将吾らしき男がその病院の院長を襲った?
それから数日も経たない内にガラの悪い連中がクリニックの前を張ってった?
何だそりゃ?
「近藤君はどう思う?」
「どう……とは?」
「その病院の件、浅倉将吾が絡んでると思う?」
質問の体はとっているが彼女の目には確信の光が浮かんでいる。
「……俺もそう思います」
浅倉将吾を一言で現すなら暴力の信奉者だ。
恵まれた体格に加えて、親戚筋にヤクザや半グレを抱えており、実家自体もそうした反社と縁が深いためか、人を傷つけることに戸惑いがない性格をしていた。
メンバー間での役割は当然ながら暴力。
俺自身、あいつによってつけられた傷や痣は数えきれない。
人は暴力と恐怖で支配できると本気で考えているようなやつだった。
それこそひと昔前のヤンキー漫画の敵役のような……。
「……近藤君?」
俺の異変を察知してか南波先輩が声をかけてくる。けれども、答える余裕はなかった。
口元を抑える。
吐き気がしてきた。
ひと昔前のヤンキー漫画で思い出す。
浅倉将吾には歪んだ特徴があった。
漫画の主人公のごとく異常なほどに仲間意識が強いのだ。
小野か高橋、どちらかだっただろうか。
囲まれて痛めつけられる中で精一杯の抵抗として唾を吹き付けてやったことがある。それを目の当たりにした浅倉将吾の怒りはすさまじかった。
一切の手加減もなく顔や急所を狙いだしてきた。
その勢いは他の連中が制止するほどで、俺自身も半ば死を覚悟したほどだ。
病院の院長を襲撃したのは間違いなく浅倉だ。
理由は分からない。小野が死んだわけを知りたかったのか、それとも救えなかった役立たずという理由で制裁を加えるためなのか。
どちらもあり得る。
あいつは暴力の信奉者だ。
こじつけもいいところの理由と仲間の為という自分に酔った正義の為なら誰であろうとその暴力を見境なくふるうだろう。
「……ヤバい」
不味い、マズい、まずい。
最悪な想像が頭をよぎる。
浅倉は小野の自殺でその主治医まで調べ上げて敵意を向けてきた。主治医であるということだけの薄っぺらい理由でだ。
当然ながら、金子智明や高橋奈美の件も調べつくしてることだろう。
だとしたら。
SNSや誰かに対する言伝。
考えうる限りのツールを使ってたどり着く可能性は充分にある。
あの3人があの2人を見つけたという痕跡に。
「健、澄子……」
2人の身が危ない。
浅倉に大した理由は必要ない。
それっぽい理由、それっぽい正義さえあれば他の事などどうでもいいのだ。
あの毒牙が2人に……。
「近藤君!」
強く呼びかけられるが知ったこっちゃない。
こんな所にいる場合じゃあない。今すぐにでも……。
そう思い立ち上がろうとしたその時だった。
随分と懐かしい感覚が全身を駆け巡った。
頭から何かが引っこ抜かれる感覚。
たちまちに身体中を巡る爽快感に解放感。
全てが懐かしい。
浮かせかけた腰を座席に沈め、正面を向く。
身を乗り出した状態で俺に向かって手を伸ばした町山の姿があった。
「だ、だ、大丈夫? 近藤君」
余裕など一切なく息を切らしているその姿があの日の朝と重なる。言葉は交わせど記憶とどこか噛み合わなくてイマイチ信じ切れていなかったが、確信する。
「お前……やっぱり町山なんだな」
魔法使いは魔法使い。
町山英心は町山英心のままだった。
どうやら俺はまた知らないうちに助けてもらったようだ。
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