第16話 町山英心⑦

 おかけになった番号は現在使われてませんというコールを一瞬期待したが、それは裏切られることとなった。

 呼び出しのコールが鳴り響いた瞬間、自分の行いを後悔してしまう。

 今すぐ取り消したくなってしまう衝動ともう後戻りができないという謎の諦めが混在して襲い掛かってくる。

 コール音がやたら長く感じる。

 この待ち時間に、このもどかしさ、何だか罪状を言い渡される犯罪者の気分だ。大袈裟なんだろうけど。

 たかが電話で右往左往する様子が相当おかしいのだろう。

 遥さんが笑いを堪えて下を向いている。

 心配されるよりはよっぽどマシだけども。


 関係ないと割り切ったつもりだったが、目が覚めてからもまったくそんなことはなかった。

 電話帳に残していた番号のことが頭からこびりついて離れてくれない。

 スマホを開いたり閉じたりを繰り返したり、画面とにらめっこをしたりと無駄な時間を過ごしてしまう。

 どうするのか、どうしたいのか自分の感情が分からず持て余して、振り回されてしまっている。

 自分で自分のことが決められないことが惨めでしょうがない。

 悶々とした気持ちを解消できず、時間だけが無為に削られていく。

 遥さんに相談しよう。

 人任せな結論を出したのは、昼を少しばかり超えたころだった。

 この頃になると身体の方もようやく言うことを聞いてくれるようになってきた。

 リビングに赴くと遥さんはお茶を飲んで休憩していた。新城さんは仕事でいない。

「動いても平気?」

 特に驚いた様子も見せず遥さんが言う。

「はい……すみません」

「謝らなくていいよ。何か飲む?」

「……いただきます」

 コーヒーを淹れてもらった。水分補給は一応していたが温かい飲み物も助かる。

「それで、何か相談事?」

 椅子に座りながら、そう尋ねられた。

 やっぱり遥さんは話が早い。何でも分かりすぎているようで心臓に悪いが。

「……実は」

 相談内容のあまりのしょぼさに少し躊躇してしまったが何のために起きてきたかを考えると話したほうがいいと思った。

 今更、恥も外聞もない。

 ひどい説明だった。

 話の手順も脈絡も滅茶苦茶で、あっちに行ったりこっちに行ったりと要点もまとまっていない。

 こんな説明、職場の上司にしようものなら速攻で物が飛んできている。

 遥さんは黙って聞いてくれていた。

 それどころか相談事の核心を的確に指摘してくれた。

「つまり、英君はその子に電話しようかどうしようか悩んでるってこと?」

「はい……」

「でも、電話したらしたで、何を話せばいいか分からない」

「そうです……」

「相手に迷惑かけたらどうしようと思っちゃうわけだ?」

「その通りです……」

「でも、朝からずっと悩んでるってことは連絡したい気持ちが強いわけだね」

「……そうなんですかね?」

 自分のことなのに自分のことが分からない。

 連絡したいのだろうか、僕は。近藤勇也に。

 話がしたいと思っているのだろうか。

「どうでもいいことだったら相談なんかしないでしょ?」

 それもそうだ。

 気になっていることは間違いない。

 西中の6人のうち3人の死亡、浅倉将吾の怪しい動き、一連の奇妙な出来事に近藤勇也たちが何か関わっていると思うのは考えすぎだと思う。しかし、無関係だとも言い切れない。

 少しばかり自分のことが分かってきた。

 ようは安心したいのだ。

 杞憂で終わっていてほしいのだ。

 何もないよ、関係ないよ、と昔のことなんて既に吹っ切れて幸せに暮らしていますという答えがほしいのだ。

「でも……」

 それでも連絡に躊躇してるのはそうじゃなかった場合だ。

 そもそも電話に出てくれるかどうかも怪しい。仮に出てくれたとしても会話が成り立つかどうかも謎だ。

 それ以上に、もしも、もしかしてだ。

 10年も前の傷を未だに引きずり続けているとしたら。

 傷が癒えないまま今も暗闇のどん底にいるのだとしたら。

 近藤勇也の今が残酷なものであったとしたら。

 僕からの電話なんて傷口をえぐる行為に他ならないのではないか。

 怖くて仕方なくなるのだ。

「じゃあ、やめる?」

「……」

 そう聞かれてしまうと、やめるとも言いづらくなってしまう。

「……電話したら、相手は何て思いますかね?」

 これを遥さんに聞くのは卑怯だと分かってる。

「それは聞いてみないと分からないねぇ」

 遥さんは優しいけど甘くはない。耳障りのいい言葉は簡単にくれない。

 ポケットからスマホを取り出す。

 起動していない真っ黒な画面を見つめる。

 ……知りたいか知りたくないかで聞かれたら。

 知りたい。

「……幸せに、なってるかな……」

「それも電話して聞いてみたら?」

 あの時の自分の行動に意味があったのかどうかを。


 それから逡巡すること10分。

 ようやく意を決して通話ボタンをタップしたわけだが、後悔の念が波となって押し寄せてくる。

 待ち時間が長い。

 仕事中だろうか? 大事な会議中だったりして。いや、何かの慶事かも。

 時間帯が非常識だっただろうか?

 心当たりのない番号からかかってきて警戒されているのだろうか?

 コール音が長い。

 あぁ、切るか出るか、それぐらいははっきりしてほしい。

 コール音が突如止む。

 心臓が止まりそうになった。

「……もしもし?」

 たっぷり間を持たしてから警戒心に満ちた声が耳に届いた。

 こんな声だったっけ?

 そんな感想を抱きかけたところで思い出す。自分が近藤勇也の声をまともに聞いたのは今が初めてだということを。

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