第14話 町山英心⑥
色々ありすぎたせいで薬の効きが悪くなってしまったのだろうか。
寝たり覚めたりを繰り返す夜だった。
起きているのか寝ているのか、夢と現実の区別すら曖昧になってしまいそうになる中、くたびれたスーツ姿の小太りな男が出てきたときには、今は夢だと妙な安心感を得てしまった。
『人間になりたい……。それがダメならロボットになりたい……』
手の甲まで涙と鼻水でビショビショにしながら泣き続ける男。相も変わらずなセリフだ。判で押したように同じようなことしか言わない。
それ以外に聞こえてくるのは嗚咽と鼻水をすする音だけだった。
痛々しく惨めな立ち姿だ。
男から発せられる音以外は何もしない空間がひどく息苦しい。
やすりで削られるように心がすり減っていく。
繰り返されるセリフの一文字一文字がこちらを責め立てる呪詛のように重くのしかかってくる。
僕は何も言えない。言葉が出てこない。
ごめん? 悪かった? 申し訳なかった?
一体何を言えばいい?
君は僕に何を言ってほしい。
どんな言葉がほしいんだ?
言ってくれないと分からない。
それにしても夢に出てくるのは決まってこの男だけだ。恨み言を言うのなら、もう1人出てくると思ったのだけど、彼は1度も夢に出てきたことはない。
その日の朝。
気怠さはいつにも増して酷かった。
いつも以上にひどい顔つきだったのだろう。
起こしにきた遥さんにもまともな返事ができなかった。
まだ寝ててもいいと気を使わせてしまった。ベッド脇に水分と菓子パンもおいてもらうような有様だ。
申し訳なかったがお言葉に甘えさせてもらう。
強がりもできないほど今朝はあまりにも身体に力が入らなかった。
気怠い身体をベッドに沈め、目を閉じる。
こういう状態になるのは久しぶりだ。間違いなく昨日の出来事が許容量を超えて、その反動がきたせいだ。
一晩超えても思い返しても意味不明なことが多すぎた。
「……何だよ、自殺って」
誰もいない部屋で1人呟く。
あまりにも生気のない声が耳に届き気が滅入るが、ちゃんと発声しておかないと声の出し方を忘れてしまいそうで怖い。
「何だよ、自殺って」
意味はないがもう一度同じ言葉を、今度はしっかりと発音する。
西中の6人は好き勝手に生きた連中だ。
悲しむ人間よりも飛び上がるほどに喜んでいる人間の方がきっと多いだろう。
僕自身、同情する気もない。
ただ、その人生の終わり方が気に入らない。
「何だよ、自殺って」
三度目の呟きは、苛立ちとわずかながらの空しさが混じっていた。
死なせないだけで精一杯だった。
奴らの毒牙にかかった人間はすぐ分かった。
尋常ではない影を背負っていたからだ。放っておけば手遅れになることは目に見えていた。
祓っても、祓ってもキリがなかった。
登校時に見かけて祓っても、下校時には朝よりも巨大な影を背負っていたなんてこともザラだった。
できたことは最悪を避けることだけだった。
1人また1人と学校から姿を消していく日々。
無力感を覚えたなんて大それたことは言わない。そこまで自惚れてはいない。
できることはやったという自分への言い訳と見たくもないものを見なくてすむという安堵感も確かにあった。
でも、言葉にできない空しさもあったことは確かだ。
あの6人によって踏みにじられた人々が今、何をしているのかは知らない。
知ろうと思えば何人かは分かるかもしれないが、知りたくないというのが本音だ。
社会にちゃんと溶け込めているのならいい。持ち直しているのなら万々歳だ。
でも、そうじゃなかったら?
壊れた心の修復すらままならず、僕のように閉じ切った世界で縮こまるしかできていないようだったら?
いや、それすらもまだマシ、それこそあの時に死んでいたらと思えるような世界にいるとしたら?
それを考えてしまうと自分の所業の意味がもう分からなくなる。
だからこそ、彼、彼女らの終わり方には納得ができない。
その人生に耐え切れない何かがあったのかもしれないが、その選択肢は自分の行い全てを否定されているような気がした。
死んだら楽になる。
不登校、転校という最低の中の最善しか選べなかった人間みんなを小ばかに扱っているような気さえする。
「卑怯だろ、そんなの」
謝罪もすることなく、罰も受けることなく、他に嫌な事があったから、苦しい、つらいので死にますという選択肢。今も苦しみながら生きている人間からしてみたらそんなの馬鹿みたいだ。
きっと憤っている人間もいるはずだ。
自分はこんな弱い存在に踏みにじられたのかと腹の底から怒りを煮えたぎらせている人間もいるだろう。
「あぁ、そうだ……」
声に出しながらとあることを思い出す。
弱い人ばかりではなかった。
ちっぽけでも、小さくても、確かに精一杯抵抗した強い人たちはいた。
いくつかの空席のある卒業式。
ようやく地獄が終わるとほとんどが他人事のような安堵を浮かべる中で、彼ら3人は現れた。
会場の注目を一身に集めた彼らは卒業証書を受け取ると風のように去っていった。
唖然としながら見送るしかなかったその背中に影はなく、身軽なその様は羨ましさすら覚えた。
「かっこよかったなぁ……」
かっこよかった。
自分たちは負けていない。誰にも負けていない。
これっといった特徴のない普通の男子生徒、ノッポが特徴の男子生徒、すごく小柄な女子生徒は、あの場にいた全員にそう宣言しているようだった。
僕なんかとは比べ物にならないくらいに強く誇り高い人たちだった。
願わくば、あの3人だけでもどうか幸せであってほしい。今の僕よりも笑っていてほしい。
彼らだけでもそうであってくれたのなら、あの頃の僕は報われる気がする。
「遠藤、いや違うな」
名前は何だっただろうか。
顔はうっすらと覚えているのだが名前が思い出せない。確か1人、特徴のない男子だが、何とか藤という苗字だったはずだ。
「進藤、これも違う、こ、近藤」
そうだ。近藤だ。近藤勇也。名前も思い出せた。
カッと重かった瞼が勢いよく開く。
炭酸が弾けるように頭の中が一気に活性化する。
枕元のスマホを手に取る。
電話帳を開き、検索エンジンに名前を入力する。
「あった……」
いくつかの登録欄に埋もれた中に近藤勇也の名前が掘り出された。
卒業式のあの日。
彼が僕の横を通り過ぎた瞬間、一切れのメモ用紙が放り投げられた。
感謝の言葉とともに名前と携帯番号が綴られていた。
もらったはいいが、正直持て余してしまったそれは登録するだけにとどまりこちらからかけることはなかった。
使うことはなかったが、かと言って消すこともはばかられたので機種変更をする際にもそのまま登録欄に残し続けた。
「残しておくもんだなぁ……」
何だか感慨深くなってくる。
登録してあったからどうということはない。ただ思い出しただけだ。昨日の件がなければ、忘却の彼方に消えたままだっただろう。
彼らは知っているだろうか?
自分たちを苦しめた存在が半分もうこの世にいないことを。
それについてどう思っているのだろうか?
「でも、わざわざ電話するのもなぁ……」
聞いてみたいという気持ちはあるにはある。でも、卒業式以来顔を合わせておらず、それ以前にまともに会話すらしたこともなかった人間が連絡するのどうなのだろう。
そもそも向こうがこっちのことを覚えているのかどうかすら分からない。覚えていてくれていたとしても今更、何? と思われるのが関の山なのではないだろうか。
「やめよ……」
スマホを放り投げ、再び目を閉じる。
思い出しただけで結局、何も行動に移さない。
あまりの進歩のなさが本当に嫌になる。
近藤勇也たちの100分の1ほどの意気地があれば、もう少しマシになれていただろうか?
爪の垢でもわけてもらえないだろうか、などとしょうもないことを考えてしまう。
また眠くなってきてしまった。
今度は違う夢、もしくは何も見ませんように……。
そう祈りながら意識を沈ませる。
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