第12話 町山英心⑤
「小野夕夏さん。ついこの前電車で轢かれて死んじゃったんだけどね、町山さんとは診察時間がカチ合わなかったけど、彼女ウチに通院してたんだよ。町山さん、この人、知ってる?」
「い、いや、あの、ちょっと」
ちょっと待ってほしい。いや、ホント待ってほしい。
知っているか、知らないかで聞かれたら、もちろん知っている。できれば忘れたいくらいだが。
というか、ちょっと待ってほしい。
「し、死んでる?」
「だから、そう言ってるじゃん。電車で轢かれたんだって。警察が事情聞きにきたから間違いないよ」
死んだ……。小野夕夏が。
記憶の姿は中学生で止まっている。
6人グループでいつも濃い化粧を施し、自分を着飾った騒がしい女子。
あれが死んだ。
「どんな人だったんですか?」
黙ってしまった僕を見かねたのか新城さんが山瀬医師に質問する。
「嫌な女だったねぇ。診察の順番でよく文句言ってきたし、他の患者さんに突っかかってもめ事起こすし、早く何とかしろって奇声は上げるし、時間無視してベラベラベラベラと長時間話すし」
「あの……それ、個人情報……」
「死んじゃってるんだし、別にいいでしょ」
そんなわけあるか。
事もなげにそう言い切った医者の神経を疑う。
人の尊厳とかどうでもいいのか、こいつ。
「いや、死んじゃってる場合は、あれかな? 故人情報ってか?」
「先生、さすがにそれは寒いですって」
本当に人の尊厳とかどうでもよさそうな発言に対して新城さんは便乗してツッコミを入れてしまっている。
というかこんな個人情報聞いてしまっている僕たちも何か罪に問われるのではないだろうか。
そんな僕の心配をよそに2人は会話を続ける。
「まあ、とにかくね。迷惑な女でどうにか転院させられないかなぁと思ってたんだけど、死んでくれたからこっち一安心してたわけ。でもさぁ、一昨日のことだったなぁ、クリニック閉めて帰ろうとしたら、大柄の男が突然襲いかかってきて頬にバキッと一発食らっちゃってさ」
頬のガーゼはそういうことか。
前はなかったから気にはなっていたのだ。
「胸倉掴んで、こう言ったのよ。『夕夏に何した?』って。幸い、近くに人が通りかかったから逃げちゃったけどね。いやあ、危なかった」
「警察には?」
「通報してない」
「襲われたんですよ?」
「信じらんないかもしれないけど、そういう患者さんや患者さん家族って結構いるから。いちいち警察呼んでもキリがないんだよねぇ。事情聴取とか面倒臭いし。僕、警察嫌いなんだよね。そう言えばいつだったか、ナイフぶん回した女とかいたなぁ。あの人、今どうしてんだろ?」
それ本当に患者か。
痴情のもつれとかじゃないのか。
疑いの目を向けるが山瀬医師は気にも止めない。
「先生。話、脱線させないでくだい」
新城さんが話の軌道修正を図る。
「ごめん、ごめん。だからさ、直近の心当たりとしては、新城さんが見かけた男たちってその男の手下か何かじゃないかなって思うんだよ。ホントにガラ悪くて、いかにもな半グレだったからね。小野さんと仲よさそうだったし、その男も町山さん知ってるんじゃない?」
突然、話を振られて硬直する。
こういう突発的なことに本当に弱くなってしまって困る。
「え。え~と、はい、多分、知ってます。多分」
心当たりならある。
大柄で、素行が悪い。人を痛めつけることに何の躊躇もなく、小野夕夏と仲がいい男。
浅倉将吾。
何も成長していなければ、あいつならやりかねない。
「やっぱりかぁ。小野さんが喋ってた中学からのお友達の特徴によく似てたからもしかしてと思ったんだよねぇ」
「結構、色々聞いてるんですね?」
「彼女、自分語りホント好きだったね。聞いてもいないのに、ペチャクチャとやかましかったなぁ。おかげでカルテ書くの面倒だったよ」
手首痛かったなぁ、とぼやきながら山瀬医師が再び僕の方に顔を向けた。
「……随分とロクでもない人だったみたいだね? 彼女」
口元こそ笑っているが目はそうではない。
浮かんでいるのは軽蔑の色だ。
「……はい」
庇う道理もないので素直に肯定する。
事情が分かっていない新城さんに聞かせるためだろう。山瀬医師がゆっくりと語りだす。
「早い話、いじめっこだね。いや、内容的にもう犯罪か、あれは。仲間と結託して、誰をどういう風に陥れて、どうすれば壊れるのか。嬉しそうに話してたなぁ。ダサいことをダサいっていう自覚もなく喋る当たり、相当、頭のネジが外れてたね」
人は簡単には変わらない。
しかし、生きていくうえで大なり小なり、学びを得ることはあるはずだ。
その行いが世の中でどういう風にとらえられることなのか分からなければいけないはずなのだ。
恥だと思うなら正常。
隠すでも、まだ分かる。
でも、小野夕夏の中で、あの頃の、あの行いは。あの不条理は。
輝かしい青春の一幕でしかなかったのだ。
死なせないだけで、精一杯だったのに。
やるせない。
本当に空しい。
頭が垂れそうになるのを何とか堪える。
まだ話は終わっていないのだ。
「なんともまあ……強烈な人ですね」
新城さんもドン引きしている。
しかし、何かに引っかかっているのか顎先に指を置き、何かを思案していた。
「でも、なんかピンとこないなぁ。話し聞く限りだと、その人、病気になるようなタイプに全然思えないんですよねぇ」
そう言えばここは病院だった。
病気になった人がやってくる場所だ。
「新城さん。鬱とかの心の病気はね。かからないなんて人は存在しないんだよ。かかりにくい人がいるっていうだけで、僕でも、あなたでも、いつなんどき、誰がそうなってもおかしくはないんだ」
山瀬医師が医者らしいことを言う。
少なくともあなたは大丈夫だと思うが。
しかし、小野夕夏が鬱?
記憶の中の姿と乖離しすぎて確かにピンとこない。
「でも、何か訳はあるんでしょ? 小野……夕夏さんでしたっけ? その人、何の理由があってここに通うことになったんですか?」
新城さんの質問ももっともだ。
何かしらの理由があるはずだ。
「親友が死んだらしいよ。名前は言ってなかったけど2人。あぁ、確かそれも中学からの付き合いだって言ってたなぁ」
「し、死んだ?」
裏返った情けない声が出てしまった。
中学からの親友ということは、西中の6人であることは間違いない。
小野夕夏の前に2人も。
「いつのことですか? 原因は?」
新城さんが尋ねる。
「自殺だそうだね。ここ3か月のうちに立て続けだったらしい」
自殺。
西中の6人に最もふさわしくない言葉だ。
それも3人。
あのグループのうち半分は、死んでしまってこの世にいない。
「自分で言っててあれだけど、何かきな臭くなってきたなぁ」
頬のガーゼを触りながら楽し気に山瀬医師が語る。
小野夕夏を含めた3人の人間の突然の自殺。
浅倉将吾らしき男の怪しい動き。
遥さんのような特別な勘を持たない僕でも分かる。
何か嫌な予感がする。
家に戻れたのは夜遅くになってしまった。
事の経緯を遥さんに説明すると、意外な答えが返ってきた。
「小野夕夏の前に死んだのは、金子智明と高橋奈美の2人。死因は、自殺で間違いないそうだよ」
「何で知ってるの?」
驚いた新城さんが遥さんに聞く。
僕も驚く。
遥さんの直感はここまで発展していたのか。
「すごい偶然なんだけど、真帆ちゃんから連絡があったんだよね」
「姉さんから?」
僕の問いに遥さんはうなずく。
「うん。西中の6人のうち、3人も死んじゃったっていうから、連絡受けたあと、気になってね。詳しく調べてみたの。色々と伝手を使ってね」
気になって調べてみたと言って、そんな簡単に分かるものなのだろうか。
伝手というのも謎だ。
遥さんは時々、分からなくなるときがある。
「やっぱり遥さんもおかしいと思う? 性格にすごい問題がある人たちが3人続けて自殺だなんて」
「絶対に変」
新城さんの問いに遥さんは断言する。
「間違いなく何かがあると思う」
「あの……何かって、いうのは」
「それはまだ分からない」
さすがにそこまでは分からないか。
何だか頭が重くなってきた。
「英君、疲れた?」
「まぁ。少し……」
嘘だ。滅茶苦茶疲れてる。
「先輩、もう寝ます? ていうか今日は色々ありすぎたからもう寝ましょう」
まずい。新城さんにもまた気を使わせてしまっている。
「大丈夫……ご飯もせっかく、用意してもらってるし……」
「英君」
僕のちっぽけな強がりは遥さんによってバッサリと切り捨てられる。
「お風呂入って、寝よ?」
「……はい」
情けない足取りで僕は風呂場へと向かった。
湯舟につかる。
少しだけ生き返ったような気分になった。
同時に促されなければ、まともに風呂にも入れないことに惨めさも感じる。
新城さんの言う通りだ。
色々ありすぎて、もう処理が追いつかない。
怪しい男たち。
謎の死。
暗躍する男。
すごいや。ドラマを構成する要素が揃ってる。いつの間にサスペンスの世界に迷い込んでしまったのだろう。
分からん。何が起こってるのか、ポンコツの頭ではちっとも分からない。
浴室に設置された鏡に目が行く。
もはや癖になっている。
当然、何もない。
何もなければ祓いようもない。
まあ、こんな状態になる前も頭の回転は鈍い方だったから結果は変わらなかっただろうけど。
「あっ……忘れてた」
駅で見かけた巨大な影。
新城さんが診察室にやってきてから怒涛の展開が起こってしまったせいですっかり記憶から抜け落ちてしまった。
あれも今日の出来事だった。
「なんだったんだろ……」
本当に何だったんだろう、あれ。
クリニックの話といい、あれといい、何なんだろう、今日は。
「何これ? ああ、怖い」
思わず頭を抱える。
何だろう、意識し始めたらあの影も何か関係があるのかもしれない気がしてきた。
どこでどういう風に繋がっているのと聞かれたら、まったく説明はできないが、それでも言葉にできない薄気味の悪さを感じてしまう。
息を吸い込む。
湯舟に顔を沈める。
少しでも恐怖の色を薄めたかった。
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