第11話 近藤勇也②

「勇也さん、ここのところずっと機嫌いいよね」

「何か良いことあったの?」

「カノジョ?」

 矢継ぎ早の質問に苦笑してしまう。

 そんなに浮かれていたのだろうか。

 興味深々になって質問してくるやつもいれば、我関せずといった態度でゲームに熱中しているやつもいる。

 全員、子供であること以外は、年代も性別もバラバラだ。

 NPO法人『ヒカゲくらぶ』の一室に集まった面子は今日も今日とて思い思いの時間を過ごしている。

「嬉しいことがあったのは確かだな」

 椅子にもたれながら子供たちの質問に答える。

「つい最近、大嫌いなやつらがくたばったんだよ。それも3人」

 質問をしてきた子供たちは目を丸くする。

 興味なさげにゲームをしていた子供も視線をこちらに向けてきた。

「それって……前、話してくれた人? すずめの死骸を……食べさせてきたっていう……」

 怖々と聞いてきたのは14歳の『まあや』だ。

 ここでは名前は下で呼ぶことになっている。

 法人が立ち上がった当初は低学年の児童むけに平仮名で書かれた名札をつけてお互いを呼び合うようにしていたので、その名残でいつの間にかできたルールだった。

「そうそれ」

「なんで、なんで?」

「どうして?」

 身を乗り出して聞いてくるのは12歳の『とうま』に13歳の『ゆみ』だ。

「自殺だってさ。遺書はないけど間違いないらしい」

 首切りのジェスチャーをしながら端的に伝える。

 顔をしかめたり、目を輝かせたり、無用に騒ぎだてたりとリアクションは様々だった。

「なんか……ズルい」

 まあやが眉間に皺を寄せる。その真意を探るような真似はしない。

「やったじゃん」

 とうまは、嬉しそうに近づいてくるとハイタッチを求めてくる。右手をかざすと力強い衝撃が掌に伝わってきた。

「……かわいそう」

 ゆみは痛ましそうにそう呟く。否定はしない。その心使いだって間違っていないのだから。

「勇也さん、よかったね」

 そう言ってきたのは、この部屋では最年長の16歳の『みき』だった。

「前、言ってたじゃん。生きてりゃ、勝ちだって」

 そんなこと言ってたか? いや、言ったような気がする。

「勝ったね、よかったね」

 はにかむような笑みが心に染みわたる。

「勝った勝った勝った勝った!」

「ヴィクトリー!」

 とうまとさっきまでゲームをしていたはずの最年少11歳の『しょう』も一緒になって部屋中を飛び跳ねる。

 暴れまわることはさすがに諫めたが、まるで祝福されているようで悪い気分はしなかった。

 化け物どもが死んで仲間と祝杯を挙げていた俺が言うことではないだろうが。

 人の死に対する反応としては相応しくはない雰囲気だ。

 人の命は平等である。

 間違ってはいない。たとえ建前だろうと世の中は綺麗ごとが優先されるべきことはあるのだから。

 でも、俺はここに一文を加えるべきだと思う。

 善良に、もしくはある程度良識的に人を尊重できる人の命は平等である、と。

 ここにいる子供たちは、傷を抱えている。

 大きいも小さいもない、みんな等しく同じ傷だ。

 人に対して最低限の尊重もできない、そんな連中によってつけられた傷だ。

                 ※

 生徒12人、教員1人。

 金子智明。

 高橋奈美。

 小野夕夏。

 木澤彩。

 浅倉将吾。

 尾上正道。

 西中の6人によって不登校、転校に追い込まれた生徒の数であり、退職した教員の数だ。

 狙うのは、当然のごとく弱い立場の人間だった。

 質が悪いのは、見た目や雰囲気で選んでいるのではなく、本当に弱い立場、いわゆる社会的弱者をかぎ分ける嗅覚が異常なほど強かった。

 片親しかいない者、家族で生活保護を受けている者、家族の誰かが大病を患っている者、果てはヤングケアラーなど。

 生きていくうえで不自由を課せられて、家族に負担をかけることを躊躇させる、そんな存在を集中的に狙った。

 狙われたが最後だ。

 奴らは執拗だった。

 周囲から隔離され、助けを請えない状況を作りだし、徹底的に追い込む。

 机に花瓶を添えられたやつがいた。

 忙しい片親が作ってくれた弁当をゴミ箱に捨てられたやつ。

 万引きを強要されたやつ。

 タバコの火を目立たない箇所に押し付けられたやつ。

 虫を食わされたやつ。

 床に散らばった給食を食べさせられたやつ。

 ウリを強要されたやつ。

 貧しい家庭から金を盗むように強要されたやつ。

 障害のある兄弟をあげつらわれたやつ。

 自殺を促されたやつ。

 理由なんてものは存在しない。

 あれはあいつらのゲーム、遊びであった。

 人が壊れるまでの記録を競う最悪のゲームだ。

 教員たちは一体何をしていたか?

 中学校あそこで学んだ唯一のことは、世の中で本当に大人と呼べる存在は極めて少なく、ほとんどは年齢だけ重ねたボンクラが大多数ということだ。

 メンバーのリーダー格、尾上正道の実家は地元の名士だ。親類縁者にも議員の先生であったり、デカい企業の役員であったり、箔のある家柄だ。

 社会的強者と社会的弱者。

 つまりはそういうことだ。

 このご時世で権威主義に屈するなんてありえねえだろ。

 でも、そのありえないことがまかり通ってしまった。

 現場を目撃しても、見て見ぬフリをする。じゃれ合っているだけだとふざけた暗示を自分に施した。

 何とかしようとした教員はいた。

 新人の女教師だった。

 正義感が強かったのか、現場を見てあの連中にその行為を咎めてしまった。

 それからすぐのことだった。

 教師は体調不良を起こしたとして学校に来なくなってしまった。

 二度と戻ってくることはなかった。

 そうしたことが教員免許だけを持ったボンクラどもをさらに保身に走らせることになった。

 中学校は正真正銘、あいつらの国だった。

 同級生もボンクラどもも、あいつらを恐れて口をつぐむ。

 狙われたらおしまいであり、自然と狙われる弱い人間が悪いという風潮すら出ていた。

 学校に訴える家族もいたらしいが、ボンクラどもは口裏合わせと隠ぺいだけは迅速だった。

 そもそも大事にしようにも経済的な余裕がない人間を集中的に狙っていたので裁判沙汰になることもなかった。

 時代と、場所、人。全てがやつらの優位となるよう天秤が傾いていた。

 1人、また1人と耐え切れずに壊れた人間が消えていった。

 化け物どもはそれをスコアとして楽しんだ。

 健と澄子、そして俺も。

 御多分に漏れず、社会的な弱者だった。

 健の家は片親で、認知症の祖母は健が面倒を見ていた。

 澄子は、両親が不仲で家に居場所がなかった。

 化け物どもに何をされたのか2人は詳しくは話したがらない。

 ただ、毎日、死ぬことを考え続けていたとだけ教えてくれた。

 俺には、障害を持った弟がいた。

 脳性麻痺で寝たきりの状態で、両親はつきっきりだった。

 何がおかしいのかいまだに理解できないがあいつらにはそれが笑えてしかたなかったらしい。

 事あるごとに下手くそな演技で弟をなじってきた。

 役立たずと罵った。

 ゴミと嘲った。

 ゴミの家族だからという理由で、給食にゴミを混ぜられ、食べさせられた。

 御馳走だと言って、どこから持ってきたのか雀の死骸を口に入れさせられた。おかげでつい最近まで鶏肉がダメになった。

 そして終いには。

 弟のことを。

 俺の家族を。

 と唆してきた。

 そうしたらやめてやると言ってきて。


 ぶっ殺す理由としては十分すぎた。


 その日、最も刃渡りの長い包丁を持ち出して家から出た。

 学校への道中、頭で何度もシュミレーションする。

 まずは腕力自慢の浅倉を刺す。一番、邪魔だからだ。

 次に弟を最も侮辱した金子だ。あいつは絶対殺す。

 もみ消しされたら面倒だからその次は、尾上にするか。いや、それよりも間引けとほざいた木澤の方を先にやるか。

 余裕があったら、高橋と小野もやってやる。

 どこを刺せば苦しむだろうか。

 どこを刺せば確実に刈り取れるだろうか。

 順番、動作、場所を何度も想像する。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 必ず殺す。絶対に殺す。

 歩を進めるごとに決意を固める。

 校門が見えてきた。

 生徒指導という役を演じているだけのボンクラが突っ立っていた。

 現場をでくわしたときは見て見ぬフリをしていたというのに、いっちょ前に教師ごっこをやっているのがひどく鼻についた。

 あいつから殺すか。

 鞄の中に手を入れる。

 隠し持った包丁の塚を握る。

 きっとこの急な予定変更が誤算だった。

 周囲には気を配っていたつもりだったが、ボンクラを見て頭に血が昇りきってしまったのだろう。


 背後から近づいてくる足音に気づけなかった。


 頭から何かが引っこ抜かれたような感触が伝わった。

 雑草やら野菜を根本から引っこ抜くようなそんな感触だ。

 次に伝わってきたのは、奇妙な爽快感だった。

 まるで喉のつかえが取れたように、下品に言うなら便秘が治ったように。

 身体中に封をしたありとあらゆる栓が外れ、滞っていた循環が急速に行われていくような、そんな感覚だった。

 鞄に手を入れたまま、背後を振り返った。

 同じ制服を着た男子生徒が肩で息をしていた。

 小柄で、覇気もなく、頼りなさが服を着て歩いているような容貌だった。

 よほど全力で走ってきたのだろう。

 男子生徒は膝に手を置いて息を整えていた。

 その様子を黙って見ていた俺はさぞ間抜けな面をしていたことだろう。

 ようやく息が整ったのか、男子生徒は俺を真っ直ぐ見据えた。

『だ、だめだよ、やめようよ、だめだ』

 出てきたのは制止の言葉だった。

 いや、どちらかと言うと懇願に近いものがあった。

 こいつがどこの誰なのかも分からなかった。俺が何を考え、何をしようとしているのかも知りようがないはずだった。

 疑問はあった。

 ふざけるなとか、関係ないだろとか、言うべきこともたくさんあった。

 突っぱねることもできたはずだった。

 けれど、弱弱しい懇願を耳にした瞬間、俺の視線は自然に自分の手元へと向かった。

 鞄に入れたまま、包丁の塚を握ったままの手が視界に入る。


 何やってんだ? 俺?


 身体が急に震え始めた。

 今の今まで、つい数秒前まで。一体、何を考えていた。

 間違いなく取り返しのつかないことを考えていた。あまつさえ、実行に移そうとしていた恐怖が身体中に広がった。

『あ、あのさ、とりあえず、鞄から手をだしたら、どうかな?』

 そう促されてから、やっと包丁から手を放すことができた。

 勢いあまって鞄ごと地面に落としてしまう。

 その衝撃のせいで包丁が鞄からこぼれ落ちてしまった。

 頭が真っ白になった。

 終わったと思った瞬間、先に動いたのは男子生徒だった。

 急いでしゃがみ込むと素早く包丁を鞄に仕舞いこんで抱え込み、押しつけように俺に渡してきた。

『何も見てない何も見てない何も見てない』

 壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す。

 こっちの方がビビってしまうくらいの焦りようだった。

 自分よりも必死な人間を見ると逆に冷静になってしまうというのは本当なのだと思った。

『とにかく何も見てないから。君は何もしないから。だめだからね。絶対にやめてね。本当に嫌なら帰っちゃってもいいと思うから』

 懇願するように、縋るように俺に言い聞かせたそいつは逃げるように駆け足でその場を去っていった。

 鞄を抱えたまま、俺は1人、その場に残された。

 毒気を抜かれるとは、ああいうことを言うのだろう。

 その日を境に学校に行くことをやめた。


 あるがままを両親に伝えることにした。

 必要もないはずなのに両親は、泣いて謝ってくれた。

 学校を訴えるなどの大事にすることはしないでくれるように頼み込んだ。

 金も時間も何よりも心の無駄遣いになるのは分かりきっていたからだ。うちにはそんなことにかまける余裕がない。

 家族で話し合った結果、学校にはもう行かず受験勉強も家で行うことに決めた。

 それだけで随分と楽になった。

 重荷が勝手に降りて心が軽くなったような気がした。

 弟と顔を突き合わせて笑いあえたときなんかは、もっと早くこうすれば良かったと思ったくらいだ。

 不登校を決めた当初は、担任ごっこ遊び野郎が事務的に家にやって来たが母が適当にあしらってくれたので助かった。

 不思議な縁もできた。

 親同士で、何かしらコミュニティーでもできていたのか、俺と同じタイミングで不登校になったやつらとの交流する機会が生まれた。

 健と澄子だ。

 最初こそぎこちなかったが、すぐに打ち解けることができた。日陰者同士の安心感もあったし、同じ被害者同士ということで妙な連帯感が生まれたのも大きい。しかし、一番は2人もあの男子生徒を知っていたことだろう。

 町山英心の名前は、この時初めて知った。

 何をされたのかはまるで分からない。でも、何かをされたのは間違いない。それも取り返しのつかないことになる寸でのところでだ。

 あいつは一体なんだったのだろうか?

 3人揃って首を捻ったが結局、答えは分からずじまいだった。というか途中から考えるのが面倒になったので魔法使いという適当な結論でまとめることにした。

 あいつが良いやつだということはきっと間違いないのだから。

 それだけ分かっていればいいのだから。


 受験が終わり、俺たちの進路もそれぞれ決まった。

 この時、俺たちはある計画を建てていた。

 ささやかでちっぽけ、とてもちんけな反抗だ。


 春。

 卒業式当日。

 クリーニング仕立てのもう着ることのない制服に袖を通した俺たち3人は式に出席した。それぞれの家族も参列してくれた。不仲と聞いていた澄子の両親も来てくれていた。

 とっくにスクラップになっていると思っていた俺たちの登場にボンクラどもも目を丸くした。

 化け物どもの姿が目にしたときは、さすがに胃を掴まれたような最悪な気分になったが連中の我が目を疑うような面を見れた瞬間、少しだけ、ほんの少しだけだが胸のつかえが取れたような気分になれた。

 残念だったよな、壊せなくて。

 俺たちは生きてるよ。ちゃんと生きて幸せになる。

 卒業証書を受け取り、降壇したときだった。

 町山英心と目が合った。

 ぎこちない笑みだったがどこか安堵したような顔をしていた。

 俺も自然と笑みを返してしまう。

 それにしても通路側に座ってくれるとは幸運だった。

 ポケットに入れておいた一枚のメモ用紙を掴む。

 なるべくさりげない動作で町山の膝元にそれを投げる。

 町山の表情は見ることはできなかった。


 卒業式が終わった瞬間、俺たちは家族とともに学校からおさらばしてやる。

 このちっぽけでささやかな勇気を家族たちは讃えてくれた。

                ※

「勇也さん、どうかした?」

「少し昔のこと思い出してた」

 みきの質問に正直に答える。

「いじめられてたときのこと?」

「……まあな」

 もう少しオブラートに包んでほしいものだが、ここでも正直に答える。

 『ヒカゲくらぶ』のこの一室において、俺は自分を飾り立てることはなるべくやらないようにしている。

「改めて、どんな気分?」

 興味深そうに尋ねてくるみき。

「そうだなぁ……」

 腕を組み、椅子に深くもたれる。

 部屋を見渡す。

 年少組がさっきからピョンピョンと少し変なテンションになっている。

 年長組が年上風を吹かしてそれを諫める。

 随分と遠慮がなくなったものだ。

 初めてここに来たときの反応はみんな似たりよったりだったのに。

 学校から弾かれて、どこにも居場所がなくて、身体を縮こませて、申し訳なさそうにしていたというのに。

 ゲームしたり、跳ねまわったり、イラストを描いたり、飛び回ったり、たまに勉強したりとやりたい放題だ。

 何とも笑ってしまうような光景だ。

 うん。やっぱり、そうだな。

「やっぱ、人は生きてこそだよな」

 みきの質問にそう答える。

「結局それじゃん」

 みきは呆れたように笑う。

 生きてりゃ、勝ち。

 どうやら、本当に口癖のように言っていたらしい。

「それでいいんだよ」

 みきの頭をクシャクシャになでてやる。

 今は笑っている、こいつら。

 でも俺は知っている。

 こいつらの人生には汚い棘が何本も刺さっている。それはこの先、何年、何十年、下手をしたら一生かけても取れないかもしれないものだ。

 傷は未だに残っているが、俺は数多の幸運によってその棘の数は少ない。

 みんながみんな、そんな幸運にありつけるわけがないのも分かっている。

 それでもだ。

 ありつけた幸運を少しでもお裾分けできないかと思っている。

 クソみたいな世の中でも、ほとんどが年齢を重ねただけのボンクラだらけでも、中には手を差し出してくれるもの好きだっているにはいるのだと知ってほしい。

 それを知るためには、やっぱり生きてかなきゃいけない。

 だから、伝える。言葉にする。うんざりされようとも。

「生きてりゃあ、勝ちなんだよ」

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