第9話 町山英心④

 クリニック前に怪しいやつらがいたんで、声をかけてみたら逃げて行った。

 診察室に訪れた新城さんが開口一番にそう告げた。

 山瀬医師が面食らった顔をする。多分、僕も同じような表情をしている。

「け、ケガは? してない? あ、危ないって」

「私は大丈夫ですよ」

 相手は? という質問は怖くて聞けない。だいたい本当に声かけただけで逃げてくれたのだろうか。

「どんな連中だったの?」

 驚いていたのもつかの間で興味深々という顔つきになった山瀬医師が新城さんに質問する。

 パイプ椅子を準備すると、彼女に座るよう促す。

 そんなことをしている場合なのだろうかという思いはあったが、余計なこと言うなよ、と言いたげな視線を山瀬医師から送られてしまう。

「若い男が3人ですね。駅の駐車場でこのクリニックを監視してましたよ。いかにもな感じの黒装束をお揃いで着てましたね」

 椅子に座りながら新城さんは怪しい連中の特徴を伝える。

「揃いのおべべか~。後ろ暗いことしようする奴らって、黒い服着たがるよね~。目出し帽は被ってなかったの? それかアノニマスみたいな仮面つけてたりとか?」

「少し前にそんなの被って強盗してた子供いましたよね~。もしかしたら用意してたかもしれないけど、私が見たときは何も身に着けてなかったな~」

 片や絵本の続きをねだる子供のように、片やそれをいさめる母親のように。

 僕を置き去りにして2人は、事の詳細を笑いながら語り合う。

「そいつら本当にウチを狙ってた感じ?」

「間違いないかと。根拠は私の勘って言えば信じてもらえますかね?」

「そっか~。なら僕、危ないところだったわけだ。お礼に今晩どう?」

「そこは遠慮します。ていうか訴えますよ?」

 山瀬医師は新城さんの力についてもある程度把握しているのでチンピラの因縁みたいな根拠もすんなりと受け入れてくれた。

 でも、セクハラはやめてほしい。

 キレたら彼女は誰にも止められないのだから。

「それでそれで、その暴漢(仮)を新城さんはどうやってシメたのさ。喉元ひっつかんでつるし上げとかしたの?」

「だから、声かけたら車に乗って逃げちゃいましたよ~。怖くなっちゃったんじゃないんですかねぇ」

 山瀬医師は、ビックリ人間が起こす超人ワザに期待していたようだが、新城さんにさらりと否定される。

 僕としてはそんな連中に声をかける前にまず警察呼ぶという行動を取ってほしかった。クリニックを見ていただけだったようなので逮捕されるということはなかっただろうが、抑止力にはなったはずだ。

「つまんね~。どうせならヤンキー漫画よろしく襲えよ。イキったバカが美人さんにシバかれて小便漏らすところ見れると思ったのに。それかAVよろしく正義感に燃える美女が、襲われて車に連れ込まれて……」

「あの、先生、言い方」

 思わず諫めてしまう。

 失言のレパートリーがとどまることを知らない。老害極まる政治家でももう少し慎み深いんじゃないだろうか。

「大丈夫ですよ、こういう人なんですもんね」

 私、一切、気にしてませんという様子で新城さんは言う。

 訴えても誰も文句は言わないと思う発言だったけども。

 胃が痛くなりそうだ。

 頼むから山瀬医師はこれ以上挑発しないでほしいし、新城さんは怒って暴れないでほしい。

 そう願いながら、2人を交互に見比べる。

 特に新城さんを注視する。

 時折挟まれるセクハラ発言を流しながら、彼女は山瀬医師の質問に答え続けている。

 背後には何も見えない。

 彼女にとって心を蝕むような何かはなかったようだが、油断はできない。

 僕が言ってはいけないことなのだろうが。

 人の心はどうなるか分からないものだ。

 心というのは、とても繊細で、もろくて、面倒くさいものだから。

                 ※

 人を殺そうとしていた。

 大学構内のベンチ。そこに座り込み、肩を震わせながら新城さんは語った。

 驚きながらも納得もしていた。

 祓った彼女の影はそれくらい巨大で危なっかしかった。

 大学キャンバスの入り口でたまたま見かけていなければ、本当に何人死んでいたか分からない。

 同時に確信もした。

 彼女が大学内を騒がせていた、の犯人だと。


 大学でも有名なサークルだった。

 もちろん悪い意味でだ。

 表向きはテニスサークルだが女性とヤることを主な目的としているような集団だった。それも違法な手段でだ。

 勧誘した女学生を酒に酔わせたり、時には薬物を使いながら、抵抗できなくさせてから集団で襲う。そしてその動画を撮って被害者の口を塞ぐというのがサークルのやり方だった。

 ありふれてはいるがおぞましい手口だ。

 大学では公然の秘密といった具合だったが、尻尾をつかませないくらいには知恵が回っている集団であった。

 しかし、最近になってその中枢メンバーが連続で襲われるという事件が発生していた。犯人は見つかっておらず、目撃者もいない。

 襲われた人間が人間だったので同情や恐怖はなく、被害者の復讐だろうとみんな当たりをつけていた。

 注目集めていたのは、中枢メンバーのケガ具合だ。

 被害者は2人。

 1人は手足の骨を粉砕され、もう1人は背骨をへし折られていた。

 股間は2名とも共通で潰されていたらしい。

 自業自得とはいえ、骨髄までの恨まれ具合に身震いしたものだ。


 サークルの被害にあったのは新城さんの友人だった。

 大学に入って初めてできた友人であったらしく、これから先のキャンパスライフにお互い心を躍らせていたそうだ。

 しかし、ある日を境に友人は大学に来なくなった。連絡もつかず、いなくなった理由も誰も知らなかった。

 焦った彼女は友人が言っていたことを思い出す。

 あるサークルの新歓コンパに参加すると。

 急いで聞き込みをしたら、そのサークルが最悪の実態を有していたことを新城さんは知ってしまった。

『メッセージを送ったんです。ひどいことされたのなら、警察行こうって。私が守るから、大丈夫だからって』

 必死で送ったメッセージに対する返答はたった1通だったそうだ。

 ありがとう、ごめんね。

 それを最後に電話もメールもつながることはなかった。

『別に昔からの大親友とかっていうわけじゃなくて、住んでいるところもまだ知らなくて、ただ一緒の授業を取ったときに仲良くなっただけなんです。でも、友達には違いなかった。ここからやり直すんだって決めた私の最初の友達になってくれた子だった』

 この頃の新城さんのバックボーンを僕は知らない。

 分かったこと言えば、彼女は闇深い何かを抱えていて、そこから抜け出すために藻掻いていることだけだった。

『知ってますか? あのサークル、ホームページなんか作ってるんですよ。それもサークルメンバーの顔出ししたやつです。危機感なさすぎてバカみたい。そこに写ってる連中、そろいもそろってヘラヘラ笑ってるんですよ? 裏で最低なことやってるのに。それで確信したんです。警察に駆け込んで運良く捕まったとしてもこいつらは絶対に反省しないって。逮捕されようが、退学になろうが、素性を隠して社会に溶け込むか、半グレになるかして、また同じことを繰り返すって』

 本当はダメなのだろうけど、新城さんの言葉には共感できるところはあった。

 人の尊厳に対して無頓着な人間はいる。

 悲しいかな、それも一定数。

 踏みにじった相手が同じ人間であるという認識が持てず、自分の快楽を満たすために道具としかみなせない、そんな人間は実在する。

『だから壊しました。人の痛みも分からないような動物は、言葉なんか通じない。痛みを持って初めて理解するんです。罪とか罰なんて小難しいことじゃないですよ。お猿さんにそんな概念ないですからね。分からせるのは怒りです。お前らは恨まれている、お前らを許さない存在がいるんだっていうことを自分の身体に痛みを持って分からせるんです』

 矢継ぎ早にそう言い終えると彼女は持っていた鞄を漁りだす。

 中から取り出したのは、週刊誌だった。

 おもむろに取り出したそれを新城さんは縦に引き裂いた。筋骨隆々のプロレスラーのデモンストレーションのごとく、いともあっさりとだ。

『私の身体おかしいんですよ。細身なんですけど体重80キロ以上あります。バットで殴られたくらいじゃあ傷一つつきません。握力計壊したこともあります。というか初めて人の骨へし折ったのは5歳のときです。あなたくらいなら発砲スチロールなみに簡単に折ることできます。100メートル走、ウサイン・ボルトよりも速いです。全力疾走で5キロくらいなら余裕で走れます。私、化け物なんです。普通じゃないんです』

 後に聞いたことだが、この行為は感情が高ぶったり、抑えられなくなりそうなときに行う彼女なりのルーティーンらしい。

 見てる側とすれば唖然とする他ないが。

『今日はサークルのリーダーを狙うつもりでした。主犯格です。殺してもいいかなくらいの気持ちでいます』

 破かれた雑誌を足元に放りながら新城さんは言う。

『警察に言ったほうがいいと思いますよ? 何したかは分からないけど、今はそんな気分じゃなくなったけど、また、いつ抑えられなくなるか分からないですし』

 破った雑誌を蹴っ飛ばしながら、投げやりに彼女は言う。

 影は確かに祓った。

 けれども、それも一時的だ。

 時間が経てば、影はまた生まれてくるだろう。

 人の心は繊細で、とても脆い。

 心を弱らす大元をどうにかしなければ、そこにつけこんで影は無限に生まれ続けることになる。

 僕の力はただの引き延ばしにすぎない。

 祓ったその人の今後の人生を確約するようなお花畑な力ではない。

 とりあえず今は凌いだ。

 だけど、それだけだ。

 このまま放っておいたら新城さんは、多分やる。

 すでに2人も手にかけている。次は本当に殺してしまうかもしれない。

『君は、人にケガをさせたことを後悔してる?』

 僕の問いに新城さんは黙って首を横に振る。

 警察に連絡するか、もしくは、自首を促すべきなんだろう。

 ふと、視線が下へと下がる。

 膝に置かれた両手は固く握られていた。でも、かすかに震えていた。

 それに気づいてしまったせいだろうか。

 通報か、自首かの2択に、第3の選択肢が頭をよぎる。

 冷静に考える前に口が勝手に開いてしまった。

『君は、他に友達はいないの?』

 この問いにも彼女は首を横に振る。

『じゃあ、僕と友達になってくれない?』

 こちらを凝視しながら、新城さんは硬直した。警戒するように僕から若干の距離をとる。

『えっと、変な意味じゃあなくて。……いや、この場合は、無理があるか。……まあ、いいや。どういうふうに受け取ってもらってもいいけど、今、友達がいないなら、僕が立候補します。今、決めました。君とどうしても友達になりたいです。なので、君がうんと言ってくれるまで、僕は君の後をつけます』

 何故か敬語になってしまった。

『……大分、キモいこと言ってるけど、自覚あります』

『……はい』

 珍獣を見るような目で新城さんは僕に言う。

 急激に恥ずかしくなり、正直に頷く。

『……ちなみになんですけど、あなたと友達になったら私どうなるんです?』

 恐る恐るといった具合に新城さんが尋ねてくる。

『人を殺そうという気がなくなると思いま……思う。また、そんな気分になったら、僕がなんとかするし、多分、何とかできると思う』

 敬語になりそうになるのを堪えて彼女の問いに答える。

『僕だけじゃあ、不安だったら、1人だけだけど女の人も紹介できるよ。その人も何とかできる側の人だと思う』

『私、連続傷害犯なんだけど……』

『自首したくなったら、一緒に警察に行くよ』

『……通報しないんですか?』

『それは……友達売るみたいでやだなぁ。できればやりたくないし、やらせないでほしいなぁ』

 僕の言葉に新城さんは目を丸める。

 言ってることが滅茶苦茶なのは自覚している。正しくはないのだろう。でも、放っておけなかった。

 大の男をたった1人で病院送りにできてしまうような存在が、年相応の弱弱しい少女に見えてしょうがないのだ。

 被害者が被害者なので、動機も正直なところ同情できてしまう。

『殺したくなったら……止めてくれるの?』

『多分、できると思う、うん。さっきもできたし、大丈夫だと思う』

『はっきりしないなぁ』

 歯切れの悪い回答に新城さんは吹き出してしまう。

『私を止めるってことは、残りのレイプ魔どもを庇うってことになりますよ? そこら辺分かってます?』

『そういうつもりはないんだけど……。そこは、まあ、守るのはそいつらじゃなくて、君の人生っていう解釈でお願いします』

 まあ下半身に支配された猿か、かわいい女の子のどっちに同情するかと言われたら、悩むやつの方がどうかしているだろう。

『それで、見返りに、ホテルに一緒に行けばいいんですか?』

『いや……そんなこと言ったら、潰れるよね?……玉』

『それはもちろん』

 からかうようにそう言うと新城さんは、まっすぐこちらを見つめてきた。

『とりあえず、今日の予定はあなたのおかげ? いや、せいかな? とにかく真っ白になっちゃいました。お礼を言うべきか、恨み言を言うべきかは、あなたのことを色々聞いてからにします。それまでは、友達うんぬんも保留ということで』

 右手が差し出される。

『ひとまずこれからご飯でも行きませんか? そこであなたのことも教えてください』

 人を壊したとは、とても思えないくらい白く綺麗な手だった。


 ヤリサーは、中枢メンバーの逮捕をきっかけに解散した。

 新城さんに制裁されたメンバーが怖くなって警察に白状したそうだ。

 暴行犯は結局、誰なのかも分からず、ほんの少しだけ世間が騒がしくなったあと事件は風化していった。

                  ※

「先輩?」

 新城さんに肩を揺さぶれて我に返る。

 昔のことを思い出して、意識がそっちの方に持っていかれてしまったようだ。

「ごめん……」

 真剣な話にまともに集中できていないことを謝罪する。

「気分悪い?」

「いや、ホント大丈夫……」

 新城さんにそう返しながら、もう一度その背後を見る。

 やはり影はない。あの頃から、新城さんの心はちゃんと自立していた。

 同時に自惚れていた昔を猛省する。

 何が助けるだ、何が人生を守ることができるだ。

 むしろ、人生を縛り上げてしまっている。

 友達どころかやらせているのは重病人の介護だ。

 のぼせ上った間抜けの末路がこの有様だ。

「町山さ~ん。ダメな自分に酔っぱらうのもほどほどにね~」

 山瀬医師から声がかかる。

 自虐の沼にはまりかけた意識が引き戻される。

「浸るのは家に帰ってからにしてよ。大事な話してるんだからこっちは」

 僕、一応患者のはずなんだけどな。

 医者の役割をおざなりにした男は新城さんに向き直る。

「新城さん、改めて確認させて。その男たちは間違いなく、ここを見張ってたんだね? 新城さんたちを狙っていたわけじゃないんだよね?」

「それだったら、私は絶対に気づきます。私たち目当てじゃないと思います」

「だったら、やっぱり僕に用事があったか……」

 そう呟きながら山瀬医師は頬のガーゼを触る。

 精神科や心療内科は、時々、ヤバい患者に逆恨みされて襲われることがあると聞く。知り合ったばかりのころは、猫をかぶっていたこの男も一皮剥けばこの有様だ。方々に恨みを買っている可能性は十分ある。

「あっ……」

 転院のタイミングを考えていたとき、何かを思い出したように山瀬医師の視線が僕に向けられる。

「ちょっと待って」

 デスクの引き出しを開けると、中を漁り始めた。取り出されたのは1冊の薄いファイルだった。

 山瀬医師はそれを開くと視線を下げ内容を改め始める。

「うん、そうだ。うん、多分、これだわ」

 納得したように何度も頷いた後、山瀬医師は改めて僕に視線を向ける。

「町山さん。町山さんの出身中学って加瀬西(かせにし)中学校だったよね?」

 その通りである。雑談だらけの診断で話した覚えがある。

「年齢も25歳だったよね?」

「はい」

 質問の意図が分からないがとりあえず頷く。

「やっぱりか……」

 ファイルを閉じると、山瀬医師は再び頬のガーゼに触れながら口を開く。


「町山さんさ、小野夕夏って名前に覚えない?」

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