第3話 浅倉将吾

 紫煙が自分の頭よりわずか高く舞ながら消えていく。

 一足早い焼香みたいだ。

 ……馬鹿な事を考えたと頭を振る。

 俺らしくない思考だ。

 あいつらに知られたら笑われてしまうだろう。

 煙を吸い込みながら時計を見る。

 コンビニの前で時間を潰すことかれこれ20分。目的地はここから車で5分もかからない距離だ。

 そこにも喫煙所くらいはあるはずなのに無駄に粘ってしまっている。

 理由は分かっている。二の足を踏んでいるのだ。

 行かなければいけない場所だ。しかし、これほど行きたくないと思わせる場所はないだろう。

 死んだ親友を見送らなければならない場所なんて。

 カンカンカンカン。

 今、この世でもっとも聞きたくない音が耳に届く。近場の踏切からだろう。

 親友をあの世に送った乗り物は悪びれもせず、のうのうと今日も走っている。

 乗っている連中もそれが人ひとりの命を奪っている自覚もなく活用している。その無神経さに無性に腹が立った。

 タバコはまだ残っていたが吸う気もおきずスタンドに放り込む。

 そろそろ行くしかない。

 そう思って動き出しても車までの足取りはひどく重かった。

 もうとっくに通り過ぎたというのに踏切の音はまだ耳に残っている。足取りの重い体に耳障りなそれがさらに気分を苛立たせた。

 車に向かうわずか数メートルの距離。

 その直線上に障害物がフッとわく。

 いつもであればこちらからよけていた。しかし、障害物はヘラヘラと笑っていた。

 その能天気ぶりが癪に障った。

 だから蹴り飛ばした。

 直後響き渡るキンキン音にさらに気分は不快となるがさっさと車に乗り込む。エンジンを始動させたとき、邪魔物抱えた女がこっちに向かって何かわめいているような気がしたが、かまわず車を発進させる。

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 とあるニュース。

 某所のコンビニの駐車場で幼児が成人男性に蹴り飛ばされるという事件が発生したことが報じられた。

 幼児は病院へと搬送されたが幸い大きなケガはなし。男は車に乗って逃走したとのこと。あまりに突然の出来事で証拠映像は残されていなかったが目撃者の証言では、男はらしき恰好をしていたらしい。

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 嫌いな場所、いけ好かない場所はこれまでの人生で数多くあった。しかし、この場所のクソさに比べればどれもこれもが取るに足らないものだと思い知らされる。

 葬儀会場入り口。

 今、ここから一歩も動けずにいる。

 最奥に目をむける。

 ここ数か月にうんざりする程見てきた華美過ぎず地味過ぎずの形式的に飾られた花々。安置された無機質な箱。

 そして、えくぼが印象的な笑顔の女性の写真は……何度見ても俺の親友だった。

 親友を失った。

 これで3人目だ。

 1人目は首を吊って死んだ。

 聞いたときはたちの悪い冗談かたと思った。

 2人目は手首を切って風呂場で死んだ。

 頭を掻きむしり叫び散らした。

 そして3人目は……電車に轢かれて死んだ。

 身体はちゃんと無事だろうか、とトンチンカンなことを考えてしまった。

 出会ったのは中学に入学したてのときだった。

 性格も趣味も家柄もバラバラな6人だった。しかしノリというか、雰囲気と言っていいのか、とにかく波長がよくかみ合ったのだ。出会ったばかりなのに居心地のよさすら覚えたほどだ。

 学校の中ではもちろんのこと、遊びに行くときも一緒だった。全員が集まれなくても誰かが誰かと一緒にいた。

 ふいに視界が滲む。

 滅多に泣くことなどなかったのにここ最近は涙腺がガバガバになってしまっている。

「お前らしょっちゅう一緒だったなあ……」

 智明、奈美、そして夕夏。俺や正道、彩に用事があるときにはお前らよくつるんでたよな。

 遊園地やらカラオケやらの写真をしょっちゅう送ってきてさ、遊びに行った先のおみやげとか学校に持ってきてくれたよな。

「……ばかやろうが」

 お前ら本当にばかやろうだ。死ぬときまでつるんで死ぬやつがいるか。

 ハンカチを取り出して目に押し当てる。そのまま顔を天井に向けてみた。

 上を向いて歩こう涙がこぼれないように、という場違いなフレーズが頭をよぎる。

 馬鹿野郎。上をむいてもこぼれるじゃねえか。死ね。

「夕夏に会わないの?」

「……会ったら認めなきゃならねえだろ」

 背中から掛けられた声に上をむいたまま返事をした。

 そうだ。認めなければいけない。あんな箱に押し込まれて眠っている顔を見てしまえば否応なくその死を認めなければならなくなる。

「……じゃあ、タバコ付き合ってくれない? まだ時間あるしさ」

 優しく肩を叩かれた。

 顔をハンカチから離す。

 尾上正道おのえまさみちからの提案に無言で頷いた。


 スタンドだけが置かれた簡素な喫煙所。

 慣れた手つきで正道はタバコに火をつけた。何人もの女を泣かせてきた容姿は相変わらずだが、あまり眠れてないのだろう。目の下に濃いクマができている。

「将吾さ、前の二人のときも入り口でずっと突っ立っていたよね」

「そうだったっけ?」

 疲れた声色に痛ましさを感じながらも正道の言葉に思いを巡らせる。

 たった数か月の間のことなのによく覚えていない。けど、こいつが言うならばきっと俺は2人のときも同じようなことをしていたのだろう。

 スマホを取り出す。ロックを解除して出てきた待ち受け画面は、去年の暮に六人で集まったときに撮ったものだ。

 真ん中で上半身裸になっておどける智明、変顔をきめる奈美と夕夏もいる。

 こいつらはもういないのだ。

 現実感のない事実だ。

 今この場で電話をしたらすぐ出てくれるし、メッセージを送ってもすぐに返信が来るんじゃないかと思ってしまうくらい実感が湧かない。

 しかし、智明のときも、奈美のときも、行動に移すことはできなかった。

 つながらず、既読もつかなかいことを想像してしまった途端、操作しかけた指が動かなくなってしまうのだ。

 俺は自分が思っているよりもずっと意気地がない。

「彩はどうしてる?」

「車で休んでいるよ」

「身重だろ? 休憩室とか借りて横になったほうがいいじゃねえか?」

「車の暖房はしっかり効いているし、本人もそうしたいって言うんだ。式まではなるべく会場に近づきたくないって」

 残された親友の一人である彩は、現在正道のパートナーだ。

 昨年結婚した彼女の体内には今、新しい命が宿っている。本来であれば無理をすべきときではないのだろう。

 でも、来ないなんて選択肢は俺たちの間にはありえない。

「そうか……」

 濁したような言葉しか絞り出せなかった。

 彩も俺と同じなのかもしれない。眠っている夕夏と同じ場所にいようものならこの世に彼女がいないという事実を嫌が応にもつきつけられる。会場にいないこと。それが今できる精一杯の抵抗なのだろう。

「夕夏もさ、今は僕らに会いたくないと思うんだ」

 視線を下げながら呟くように語る正道。しかし、語尾からわずかな震えが伝わってくる。

「ほら、夕夏ってさ。見た目には人一倍気を使っていたじゃん」

「服とかピアスとか何種類持ってんだって思った」

「集まるときに同じ服着てくることなんて一度もなかったよね」

 正道はうつむいたままだ。

 どんな表情をしているのかこっちからはうかがい知れない。しかし、早口でまくし立てるその姿は必死で何かを納得しようとしているようにも見えた。

「だから、うん。絶対に夕夏は今、会いたくはないはずなんだ」

 正道の声が震え始める。

 タバコを持つ手も震えていた。

「……耳とか、手とか、飛び散って見つかってない部分が多いらしいんだ」

 気づいたときにはスタンドが音を立てて倒れていた。

 吸い殻やら消火用の水やら、中身が地面にぶちまけられる。

「……なんでだよ! なんで夕夏が死んでんだ? 智明も奈美も、おかしいだろ? 俺たちちょっと前に集まって一緒に遊んだじゃねえか! なんでいなくなってんだよ! どうしていっぺんに3人もいなくなってんだ!」

 荒い息が漏れる。

 お前ら、何死んでんだよ? なあ、智明、奈美、夕夏。お前ら自殺って何だよ? 何があったんだよ。言えよ。死ぬ前に伝えろよ、仲間だろ? 俺たち。

 再び涙が再びこぼれてくる。手でいくらこすってもまるで止まらない。

 智明はガキのころから遊びを企画することがうまかった。

 あいつから飛び出るアイディアはよく光ったものだ。どれだけ楽しませてもらってきたことか。

 仕事は商社の営業だったがいずれは企画課になりたいと語っていた。

 あいつだったら成功できたはずなのに。

 奈美は人なつっこかった。

 男女分け隔てなく仲良くなることができて大人からの覚えもよかった。おかげでガキの頃には、正道とのいい子コンビで何度も窮地を救ってもらった。

 その能力は大人になってからも勤務先で存分に活かされていたらしい。

 愛嬌のよかったあいつのことだからきっと職場でも可愛がられていたことだろう。

 夕夏はセンスがよかった。

 仲間内で一番のオシャレで俺たちのコーディネートをよくやってくれた。誕生日プレゼントにもらったピアスは未だに俺の宝物だ。

 短大卒業後は、仲間内での予想通り、アパレルメーカーへと進路を決めた。

 うまくいってたんじゃないのか? 耐え切れないくらい何かつらい事でもあったのか? 分からない。何も分からない。

 3人とも遺書すら残してくれなかったのだから。

 横たわったスタンドをもう一度蹴り飛ばす。

「……何で……なんで……」

 できることはなかったのだろうか。

 全員で集まったのは去年の暮が最後だ。

 近況を報告しあう中で、これから仕事が忙しくなりそうだということ、あまり集まる機会がなさそうだということに全員一抹のさみしさを覚えた。

 このまま疎遠になるの嫌だなぁ、とか、中年のジジイになったらどうなっちまうのかな、とか酒を飲みながら呑気なことを考えていた。

 馬鹿が。3人も二度と会えなくなるなんて想像できるわけねえだろう。

「なあ、正道……。俺たちできることなかったのかなぁ?」

 情けない声で縋るように尋ねる。

「……できることは……やってきたと、思う」

「本当にそうか?」

 歯切れの悪い回答に反射的に噛みついてしまう。

「本当にそう思うのか? 智明が死んじまったとき、奈美や夕夏は特に落ち込んでた。そりゃそうだ。あいつら一緒につるむことが多かったからな。俺たち、お互い励ましあったり、連絡取りあったりもしたけどよ。でも言い方変えりゃ、やってたことそれだけじゃん。仕事の合間にSNSで近況話すとか、それぐらいで……」

「将吾!」

 止めどなくあふれ出た言葉の濁流がせき止められる。

 初めてかもしれない。

 こいつに怒鳴られるのなんて。

 正道が声を荒げたのはこの一瞬のみだった。

「言っても意味がないんだ……そんなことを言っても、どうしようもないんだ」

 一音一音に苦々しさが伝わってくる。

 違う。こんなことを言わせたかったわけじゃなかった。

「……ごめん」

 素直に謝ることしかできなかった。攻めたいとか責任を問いたいとかそんなつもりはなかった。ただ。

「……空しいよね、分かるよ」

 正道が心のうちを代弁してくれる。

 その通りだ。ただただ空しい。

「俺さ、奈美と夕夏の顔や声、はっきり見たり聞いたりしたの、葬式で最後なんだよ……」

「僕もだよ」

 やれることがなかったのか、気づいてやれるタイミングはなかったのか。自分の生活に追われてあいつらのことをおざなりにしてきやしなかったか。

 途方もなく押し寄せる自責の念にも似た無力感に気が狂いそうになる。

 空しい、空しい。……さみしい。

 一分か、二分くらいだろうか。

 お互いに言葉を発することなくその場に突っ立ったまま動けないでいた。

 均衡を破ったのは正道だった。

「いっその事、犯人みたいなやつがいればいいのにね」

「犯人?」

 突拍子のないワードだ。こいつらしくない。

「そう。映画の設定によくあるじゃん。マインドコントロールとか洗脳的な力を使って思い通りに人を操るってやつ」

 確かによく聞く設定だ。

「妄想しちゃうんだよね。そんな力持った人間がいて、3人に自分から命を絶つように命じたんじゃないかって」

 乾いた笑いを浮かべながら正道はほとんど吸っていないタバコの火を足で踏み消す。

 バカな妄言だ。こいつの疲労具合を如実に表している。

「疲れてんな。お互い」

「本当だね」

 本当に疲れた。やっていられない。

 また沈黙の時間がやってきた。自然と二本目のタバコを取り出して火をつける。

「犯人……か」

 実際、本当にいてほしいものだ。いてくれたのなら、。誰に責任があるのかも分からない現状をぶつけられる。

 この空しさも晴らすことができる。

 思う存分に復讐をすることができる。

「夕夏って付き合ってるやついたよな?」

 急な問いかけに正道は首をかしげる。

「確かにそうだね」

「式場には来てたか?」

「どうだろう。よく探してなかったからはっきりとは分からない」

 夕夏のSNSで顔は分かっている。

 もし来ていなかったとしたらどこに隠れていようと必ず探し出してぶっ殺す。

「どうするの?」

「色々と話聞く」

「大丈夫?」

「心配ない」

 正道の手を煩わせるようなことはない。

 事と次第によっては場所と人手がいるが当てはいくらでもある。

 この際だ。本腰で調べてみるか。

 マインドコントロールやら超能力やらを持った犯人っていうのは冗談にしても、自分から命を絶つということには何かしら理由があるはずだ。

 仕事かプライベートか。それとも他の何かか。

 その死に何の理由があったのか無性に知りたくなった。

「お前と彩には迷惑かけない」

 このタバコを吸い終わったら夕夏に会いに行こう。

 直近の目的は定まった。

 しかし、今はともかく、遠くに行ってしまった仲間を弔うことに意識を集中させなくてはいけない。

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