第三話 幼馴染と映画館で

「食べ物とかはどうする? 買う?」


「俺が買うよ。付き合ってもらってるのは俺の方だし」


 チケットを買って横に捌けた俺は、後ろに着いてきた直葉の問いにそう答えた。

 決してかっこつけたわけではない。母親からポップコーンでも奢ってあげろといくらかお金を渡されていたから出てきた言葉だ。


「いいの? ありがとっ」


「っおん」


 それでも女子に嬉しそうにお礼を言われると喜んでしまうのは、男の性と言うやつなのだろうか。少しの身長差から来る上目遣いと、ふんわりとした笑顔。賢者も愚者に身落ちするこのシチュエーションにハートを射抜かれない男がいるのならば、そいつは男じゃない。可憐の一言が似合う直葉のそれなら猶更だ。

 メロンソーダと緑茶、ポップコーンをふたつ頼んで、それからベンチに腰掛ける。

 恋人同士のような雰囲気に感じるのは俺だけだろうか。二人きりと言うわけではないが、暗いホールの中では周りの目はあまり気にならなし、上映時間が待ち遠しいなんて気持ちは、この空気感の前では成す術なく膝を屈している。待ち時間が、会話が楽しいと思えたのは初めてかもしれない。


『大変長らくお待たせしました——』


 それからしばらくして、上映時間の訪れを報せるアナウンスが流れる。

 公開から時間が空いているからか満員とまでは言えないが、それでも人気の作品なおかげで人が多い。混雑する館内を眺めながら、他の客が入場していくのを待つ。


「ちょっとドキドキしてきちゃった」


 ぎゅっと服の袖が握られたかと思うと、左耳にそんな呟きが聞こえてきた。

 振り向いて目に入った直葉の表情は緊張のそれで、少し心配な気持ちが出てきた。

 暗所恐怖症ではなかったはずだが、何か映画館に嫌な思い出でもあるのだろうか。


「どしたん?」


「いやー、映画館なんて久しぶりだからなんか緊張しちゃって……」


 深刻そうじゃなくてよかったと思うと同時に、顔を赤らめ照れる直葉が可愛く感じた。えへへと笑う彼女の表情はいじらしく、そして愛らしく、庇護欲をそそるような、しかし官能的なもので、何か性的なものを見てしまったのではと思ってしまう妖艶さを兼ね備えていた。

 いやはや美少女の照れ笑いとは恐ろしいものだ。血行促進やらの効果があってもおかしくないと思えるほどには、破壊力がある。


『すまねェ、ボブ。危うく死ぬところだった』


 映画が始まり幾許か経った頃、主人公が死の境地から脱するの観ながら俺は思った。デートで選ぶジャンルでは無かったな、と。

 映画館デートと言えば恋愛モノや感動モノだろう。しかし今回選んだのはSFヒーローモノ。ちょっとエッチなシーンやキスシーンで気まずくなったり、感動する場面で手を繋いだり、前者は洋画ではあるから起こりうるかもしれないが、全年齢対象だから可能性は低いだろう。

 他にも、互いにポップコーンを取ろうとしたら手が触れ合ってしまって照れる、なんてシチュエーションが思い浮かぶが、こちらは自ら道を絶ってしまっている。ひとつづつではなく、大きいサイズをひとつ買っておけば良かったな。後悔してる。

 こんなことばかり考えてたら映画に集中出来ない。いや、でも、デートだしな。

 心の中で葛藤して、ふと喉が渇いた俺はメロンソーダを飲み、ちらりと直葉の顔を覗いてみた。

 集中しているのだろう。こちらの様子に気付く様子はない。表情がコロコロと変わるところを見るに、楽しめてはいるようだ。これで楽しめていなかったらデートの意味がなくなってしまうところだったからな。

 ふぅと安堵の溜め息が出て、少し身体から緊張が抜けていった。

 それにしても、と思う。

 直葉に好かれている現状に少し驚く。いやはや、幼馴染とか小さいころから一緒に育つと恋愛対象からは外れるなんて聞くが、どうやら嘘だったようだね。残念。

 でも直葉は俺のどこが好きになったんだ? 俺の見た目は一言で言えば、パッとしないどこにでもいそうな人畜無害そうな青年だ。贔屓目で見ても美少女の隣に立つには地味だろう。直葉がそこを気にするかは分らんが、少なくとも見た目じゃ惹かれる要素は無いように思える。

 性格はどうだろうか。面倒臭がり、調子に乗りやすい……、負けず嫌いではあるな。あとはなんだ? さっきの逆っぽくはあるけど、良くも悪くも温厚って言われたことはあったな。他にも挙げられるが、あまり良い部分は出ない気がする。好かれる要素が見当たらないな。

 人は自分良いところは見つけられないなんて言うし、俺が見つけられてないだけで直葉にとっては好条件だった部分があったってことだろう。

 自分の中で結論を出して、俺は再び映画に集中するべく思考を止めた。


「んー……、ん?」


「うっ、うっ……」


「だ、大丈夫……?」


「うんぅう……」


 映画が終わり固くなった体をほぐすために背筋を伸ばしていると、隣からすすり泣く声がぽつぽつと。振り向いてみるとそこには感無量と言った様子の直葉がいた。

 どうやらこれまでのシリーズで度々主役を張っていたキャラクターが自分を犠牲に世界を救った最後のシーンを見て感動したようで、涙が滝のように流れて止まらないらしい。こう言った時はどうすればいいのだろうか。不慣れな俺にはどうしようもない。ひたすらにあたふたするだけだ。不甲斐ない。

 しばらくして直葉が落ち着くと、俺たちはシアターを出て感想を話し始めた。


「ごめんね、泣いちゃって」


「いや、まぁ俺も感動したし大丈夫だよ。周りも結構泣いてる人いたし」


「ありがと」


「しっかし最後にヒーロー皆が集まったシーンは熱かったねぇ」


「ね! かっこよかったねぇ」


 出場口からホールに出ると、直葉が化粧直しに向かう。それをベンチに座って待つ俺なわけだが、なんとはなしに鑑賞中の出来事を思い返す。

 やはり鑑賞中に何かが起こることはなく、ただただ物語に没入していた一時間と四十二分間だったな。一時思考に耽っていた時間はあったものの、それ以降は話に夢中でデートそっちのけ。直葉のことは頭から消えていた。嗚咽を聞いてやっとデートのことを思い出したくらいだ。男としてどうなのかと思うところがありながらも、デートは互いが楽しくなければ意味がないのではとも思う。

 苦しい言い訳だな。無かったことにしよう。

 と言うか、直葉は大丈夫なのだろうか。俺のことが好きならもっとアピールするべきだろう。上映中には何もしてこなかったし。

 デート出来るだけまだマシってか? まぁ直葉も奥手っちゃ奥手だしな。

 それなら俺から仕掛けるべきか。と言ってもどうしたもんかね。人生初めてのデートでこれとは、モテる男は大変だねぇ。


「お待たせ」


「うっす」


 それから再び直葉と合流して、今度はどこに行こうかと相談しながら俺たちは映画館を後にした。

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