吾輩は猫である

みんなも聞いたことがある、言わずと知れた作品である。ネットで探せば無料でみることができ、わざわざ買わなくてもよかった作品だが、ぼくは声優の「梶裕貴」さんが朗読したものがついてくると書籍の帯に書かれてあり、聞いてみたいなとも思ったので自宅近くの書店で買ったのが、この本との出会いだ。



この作品はいわゆる古典と呼ばれる部類で、名前だけが猫のように一人歩きしており、大体の人は冒頭の書き出しである「吾輩は猫である名前はまだない」をすらりといえるくらいには有名な作品だ。


例にも漏れずぼくもその一人でそれ以上の知識もそれ以下の知識もない人間。

さらに言えば、学生の頃まともに勉強をしてこなかったぼくには、昔言葉があまりにもなじみなく敬遠していた。


今回もおまけでついてきた朗読のCDを視聴したらそっと本に挟み本棚に直そうと思っていたのだ。しかしその朗読を視聴し気づいたのだが、朗読は全編あるわけではなく、一部朗読というもので残りは自分で読んでねといったものだった。


書籍のおまけなのだから当然ではある。


それでも30分はあるその朗読を何周か聞いているとふと続きが気になってくるようになった。そうして僕はこの作品の残りを読むことを決意したのだ。


人間とは不思議なもので朗読を聞いているうちは、それがどのような描写でどういった風景なのか理解できていたのだが、自分の読むところが朗読で読まれた部分を追い抜くと一気に想像できなくなり「文字を読んでいる」といった状態で進んでいくのだ。


そして古典作品ということもあり、今では使われない言葉や、意味が変遷したことばが出てきたりと本当に理解できずに章が進んでいった。そうして進んでいった結果、僕がこの本に抱いた感想は「実につまらないな」というものだった。


そんな感想に転機が訪れるのだが、警備員のアルバイトをしていたある日のこと。

休憩時間で読み進めていたこの書籍から、ぼくの興味も離れようとしていた時に、先輩から「なにを読んでいるんだい?」と声をかけられたのだ。


ぼくは特に考えることもなく「吾輩は猫であるですね」なんて答える。


「難しい本を読んでいるんだね」


「難しいんですかね……」

なんて脊髄反射のような回答をした。続けて先輩は「どんな話なんだい?」とぼくに聞き、その言葉を返そうとしたとき、うまく説明ができなかった。


ぼくがこの作品をつまらないと思ったのは理解できる言葉ではなくただ文字を文字としてしか処理していなかったからなのだと、この時気づいたのだ。


それからは、辞書を片手に片っ端から意味を調べ再び始めから読み進めていった。



時代は違えど人は変わらず。

猫が茂みで生まれそして猫を通して人間の愚かさや猫の世界をこんなにも面白おかしくかいているのかとこの時初めて理解することができたのだ。

ぼくは本を読んでいて初めて声を出して笑ったのだ。


時代がかわり今となっても笑える作品というのはなかなかない。それは夏目漱石が人間の本質をしっかりと描写できているからなんだと思った。


またこの作品を通して「つまらない」と思うものには自分の知識が足りていないときにも起こるのだと気づかせてくれるきっかけにもなった。


読み切るのに半年もかかったけれども辞書を片手に読んでよかったと思える作品だった。今度は時代背景をしっかりと理解してもう一度読んでみようかなと思う。


そうすればまた新な発見があるだろう。「吾輩は猫であるは」ぼくにそう期待させてくれる素敵な作品だった。

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