第7話:婚約者
長い長い沈黙が、リエッキネン侯爵家の執務室へ落ちる。
それを破ったのは、リエッキネン侯爵家当主であるエーリクの重い溜め息だった。
「婚約が解消になるかもしれない」
ようやく落ち着いたエーリクの口から出た言葉は、マルガレータが望んでいたものだった。
今まで何年も王太子妃に、
「ウーシパイッカ伯爵令嬢の件ですね」
マルガレータの問いに、エーリクは苦虫を噛み潰したような顔で頷く。
「王太子には影が付いているのだが、その影からも陛下に報告がいっていたようだ。一線は超えていないが、既に肉体関係にあると」
予想以上の出来事に、さすがにマルガレータも言葉を失った。
更に衝撃的なエーリクの言葉は続く。
「まだ一線は超えていないのだから、問題は無いと。陛下はこのまま婚約を継続する気でいる」
『はぁ!? 何を馬鹿な事を!』
エーリクの説明に、怒りを
「ウーシパイッカ伯爵令嬢の評判は、あまり褒められたものでは無いらしい。王太子の妃には向いていないようだ」
『それなのに正妃に据えたのは王家でしょうが!』
ティニヤの血を吐くような声がマルガレータの頭に響く。
それに顔を歪めたマルガレータを、エーリクは勘違いしたのだろう。
「大丈夫だ、マルガレータ。二度目は無いと陛下には伝えた。そして注意はしても、忠告はするな、とも」
もう一度同じ事があったら、婚約が解消になる事を王太子は知らない、という事である。
それならば大丈夫だろう、とマルガレータはほくそ笑む。
朝、エーリクに見つかり顔面蒼白になっていたのに、学園内では一日中サンナと共に過ごしていたのだ。
見せ付けるように肩を抱き寄せ、マルガレータを歪んだ笑顔で見ていた王太子。
マルガレータが嫉妬するとでも思ったのだろうか。
自己顕示欲なのか、優越感なのか。
まさかの承認欲求?
とにかく、勘違いも
「ありがとうございます、お父様。その約束が有るだけで、私の心はとても楽になりました」
もしもティニヤが現れず、あのまま王太子妃教育が始まっていれば、この約束を取り付ける事自体が無理だった。
そして、王太子とサンナの不貞の盾に使われ、最後まで利用されて殺されてしまうのだ。
ティニヤという確たる証拠が存在しているので、そこはマルガレータは疑っていない。
そして、王太子妃教育が始まって逃げられないのをいい事に、王太子はマルガレータを自分の都合の良い道具として使うのだ。
王太子の婚約者としてではなく、不貞行為の隠れ蓑として。
最低最悪の男である。
優しい、そしてどこか心配するような笑顔を浮かべたエーリクへ挨拶をして、マルガレータは執務室を後にした。
もう一度の不貞行為がどの程度を指すのか、確認すれば良かったと思ったが、執務室へ戻る気力は無かった。
自室へ帰ったマルガレータは、メイドの手を借りて制服から室内ドレスへと着替えた。
その後、予習復習をするから、と一人にしてもらう。
メイドが出て行くのを確認すると、マルガレータはソファに座り、置いてあったクッションを抱きしめた。
「百年の恋も冷めるってものよね。元々恋をしてはいませんでしたが、愛情はあったのに……」
王太子の愚行を思い出し、マルガレータの心が痛む。
共に生きて互いを支え合い、国を良くしていこうと思うのも、愛情といえば、愛情である。
友愛とでもいうのだろう。
サンナと共に学園へ通いだした王太子は、どこへ行くのにもサンナを連れていた。
それこそ、
王太子が婚約しているのは、公式に発表されている。お披露目は婚約を結んだ幼い時にされている。
その後は公の場で二人揃う事は無かったのだが、リエッキネン侯爵家の令嬢が婚約者だという事は皆が知っていた。
「ねぇ、リエッキネン侯爵令嬢って、品も常識も無いのね」
ある日、食堂でヨハンナとヴァルトと食事をしていたマルガレータの耳に、信じられない言葉が聞こえてきた。
「あのような恥知らずが殿下の婚約者とは、この国の未来が心配ですわ」
マルガレータ達の座るテーブルの横を歩いて行ったのは、上の学年の生徒だった。
「ウーシパイッカ伯爵令嬢が、マルガレータ様だと勘違いされているようね」
衝撃を受けて固まっているマルガレータへ、ヨハンナが同情を込めて声を掛けた。
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