第4話:変化の兆し




 教室内で静かに周りの様子を観察しているマルガレータの耳に、段々と喧騒が近付いて来るのが聞こえてきた。

 特に甲高く耳障りな声は、先程の牛娘だろう。乳だけでなく、体当たりの勢いもなかなかのものだったので、マルガレータはティニヤの名付けに感心していた。


「もう本当に勝手に育って困りますぅ」

 教室に入って来た一団から聞こえてきた第一声は、牛娘の鼻にかかって語尾の伸びた、頭の悪そうな声だった。

『ブラウスのボタンが一つ弾け飛んで、第三まで開いて乳が全開ですわ。はしたない』

 マルガレータは自分の胸元を見て、ボタンを数える。そもそも第一ボタンの位置が低い為、第三ボタンは胸の下になる。


『突然の出来事のはずなのに、なぜブラウスを留めるものを持っていたのかしらね?不思議ですこと』

 ティニヤが実況中継のように、後ろの様子をマルガレータに教える。ただ単に文句を言いたいだけかもしれないが。

 留めているのに全開とはこれ如何いかに。



「何が起こったの?」

『私の記憶通りなら、馬車を降りた王太子の前に進み出て挨拶をした牛娘の第二ボタンが、勢いよく弾け飛んだのです』

 ボタンが勢いよく弾け飛んだのならば、ブラウスも勢いよくはだけた事だろう。


『真正面に居た王太子ならば、乳輪くらいは見えたでしょうね』

「し、下着は付けていないのですか?」

 ブラウスの中にはシュミーズを着るのが一般的である。

『さあ? 当時は着ておりませんでしたわね』

 確信犯である。


 そして王太子はまんまと色仕掛けに引っ掛かって、入学式後に伯爵家へ行くのだろう。

『ブラウスを留めているピンは幅が広くて、今も3センチほどシャツが開いているはずですのよ』

 近くで見たら、胸の谷間が丸見えなのだろう。だから、留めているのに全開なのだ。



 ティニヤから話を聞いてうんざりしていたマルガレータだったが、婚約者として挨拶しない訳にもいかず、渋々席を立つ。

 振り返り、驚いた。

 王太子の腕に牛娘が絡まっている。王太子の腕で開いた胸元を隠すようにしているのだ。


 驚きを表に出さず、マルガレータは王太子の座る席に近付いた。

 牛娘が睨んでくるが、彼女にその資格は無い。

「おはようございます、王太子殿下。今朝は申し訳ございませんでした」

 にこやかに話し掛けるマルガレータは、完全に牛娘を居ないものとして扱う。


「あぁ、マルガレータ。彼女は……」

「先生が来たようですので、私は席に戻ります」

 王太子が牛娘の言い訳をしようとしたのを、マルガレータは遮って席へ戻った。

 今までのマルガレータなら絶対にしない行動に、王太子は怒りより驚きが強かったようで、そのままマルガレータの背中を見つめていた。




 その後、担任教師が教室に来て、いつまでもくっ付いている牛娘と王太子を注意する。

 そこで王太子が自分達の正当性を訴えるが、教師の「救護室に三角巾があるので借りてきなさい」の一言で一蹴された。


 入学式の時間になり、生徒達が移動を始める。当然王太子も。

 牛娘は教師に言われ、救護室へと向かった。そこから入学式会場へ直接行く事になる。

 王太子はマルガレータへ近付いて来ようとしたが、ティニヤの助言で気付かない振りをして、逃げた。



 ティニヤの時はずっと一緒に居させられ、教師への説明もさせられた。しかも三角巾を取りに行ったのはマルガレータで、その間に二人は寄り添い入学式会場へ向かってしまったのだ。


 遅れて会場に入ると、本来の自分の席には牛娘が座っており、三角巾を渡しても動く気配無く、王太子もそれを黙認していた。


 まるで牛娘が王太子の婚約者で、マルガレータがその付き人のように見えた事だろう。


 今回はマルガレータの方から距離を置いたので、変な矢面に立つ事も、要らぬ恥を掻く事も無かった。

 王太子の席は、入学の挨拶をする都合上、通路側の一番前に決まっている。

 本来はその隣は婚約者が座るのだが、マルガレータは敢えて反対側の端に座った。


 言い訳は考えてある。

 早く行った者が先に奥に座った方が効率的だから、と答えるつもりだ。

 後から来た王太子は遠くに座ったマルガレータを見て何か言いたそうにしていたが、特に何も言われなかった。




「お隣、失礼します」

 隣に来たのは、銀髪に水色の瞳の儚げな印象の美少女だった。

「まぁ、ヨハンナ様。よろしくお願いします」

 お互いににこやかに笑顔を交わす。

 何度か茶会で会った事のあるこの美少女は、イカヴァルコ侯爵家のヨハンナ嬢である。


「うふふ。マルガレータ様とはもっとお話したかったので嬉しいですわ」

 ヨハンナが本当に嬉しそうに笑うので、つられてマルガレータも本当の笑顔になる。

「楽しそうだね。僕も混ぜてよ」

 ヨハンナの隣に座ったのは、朝会ったばかりのヴァルトだ。


「まぁ、ヴァルトったら不躾な。マルガレータ様すみません。こちらは、私の従兄弟の……」

 ヨハンナがヴァルトを紹介しようとするのを、当のヴァルトが笑って止める。

「ヨハンナ、リエッキネン嬢とは朝に挨拶を済ませているよ」

 その台詞にマルガレータが頷いて見せると、ヨハンナは驚いて目を大きく見開いた。

 美少女は、どのような表情でも美少女である。



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