第1話:未来の過去




 ある日突然、本当に何も前触れ無く、それは起こった。


『あぁ! 貴女よ、貴女。私の前世!』


 妙な気配で目覚めたマルガレータ・リエッキネンの目の前には、豪奢な宮廷ドレスを着た、美人だがきつい顔つきの女性が居た。

 そう。目の前に、である。

 マルガレータは今、ベッドに寝ている状態だった。

 それなのにその女性は、目の前でマルガレータと視線を合わせている。


「ゆ、ゆうれ……」

 マルガレータが悲鳴をあげようとすると、目の前の女性は『おだまり!』と威圧してくる。

 まるで王妃陛下を目の前にしたようになり、マルガレータは大人しく口を閉じてしまった。




 ティニヤ・シエヴィネンと名乗った女性は、マルガレータの三代の王太子の婚約者だったと言う。

 三代前の言い間違い?

 そうマルガレータが首を傾げた時、ティニヤはおかしな事を言い出した。


『私は貴女の来世なの』


 そう言って説明されたマルガレータの未来と、ティニアの過去は、最低最悪なものだった。

 どちらが酷いか比べようも無いくらい、どちらも酷い。

 しかも両方とも、王家に利用されて、捨てられていた。




『貴女は今、何歳なのかしら?』

 ティニアがマルガレータの顔を覗き込む。衝撃が強過ぎて倒れるかもしれないからと、ベッドに横になったままティニアの話をきいていた為だ。

「一週間後に、王立学園の入学式があります」

 マルガレータは今、15歳だった。


『王太子妃教育が始まったばかりね』

 ティニアの言葉に、マルガレータは驚く。

 淑女教育から王子妃教育へ移り、そして王太子妃教育へと進む。

 王子妃教育は、高位貴族の教育に他国の情勢や言語教育が加わったものであり、特に秘密にする事では無い。


 しかし王太子妃教育は、王家の秘密や国家間の内情など、外には出せないものが混じり始める。

 この教育を受けると、王家以外に嫁げないと、教育係から何度もしつこく念を押されたのだ。


 そして今は、その心構えの話をされただけで、まだ厳密には教育は始まっていなかった。

 だがその事実は、マルガレータと教育係、あとは王妃しか知らないはずの事である。



「本当に、未来を知っているの?」

 マルガレータの声が震える。

 先程他人事で聞いていた酷い話は、本当にこれから自分に起きる事なのかと、ジワジワと恐怖が広がってきたからだ。


『本当に本当よ。残念ですけれどね』

 凛とした雰囲気の、説得力のある声。

 マルガレータより10歳ほど上かもしれない。

『いいこと? これから貴女は王太子妃教育を拒否して、早々に王太子に婚約破棄されるよう努力なさい』

 とんでもない命令がティニアからマルガレータへくだされる。


「え? ですが、婚約は家と王家の……」

 マルガレータが遠回しに拒否しようとすると、ティニアの雰囲気がガラリと変わる。

『貴女の婚約破棄のせいで法律が変わり、私の未来は滅茶苦茶になったのよ!』

 今までの王妃然としていたのが嘘のように、感情をあらわに叫ぶ。


「えぇ!? そのような事は知りません! そちらこそ、滅茶苦茶です!」

 マルガレータが叫び返すと、扉をノックする音が聞こえてきた。



「お嬢様! 大丈夫ですか?! お嬢様! 開けますね!」

 マルガレータ付きのメイドが勢いよく扉を開けて、部屋へと駆け込んで来た。

 そして室内をキョロキョロと見回してから、ベッドの上のマルガレータを見る。

 ベッドの上には、マルガレータと宙に浮くティニア。


「お嬢様? 何を叫んでらしたのですか?」

 安心した、しかし少し呆れた様子のメイドは、カーテンを開けますね、と言って窓際へ歩いて行く。

 ティニアの横を通過しても、何も気にした様子は無い。


 ティニアはマルガレータにしか見えていないし、声もきこえていないようだった。




 その後、朝の身支度を整え食堂まで行っても、午前中に日課のダンスレッスンを受けても、誰に会っても、マルガレータの斜め上をフワフワと浮いて移動するティニアに気付く人間はいなかった。

 唯一ペットの猫がジーッとティニアを眺めていたが、すぐに興味を失って遊びに行ってしまった。


『動物の方がそういうのに鋭いって、本当の事でしたのね』

 猫と見つめあっていたティニアが感心したように呟いていたのを、マルガレータは複雑な気持ちで眺めていた。

 いっそ誰も気付かなければ、王太子妃教育の重責による気の病だと思い込めたのに、と。


 例え猫でも、ティニアの存在を認める者がいたのだから、幻覚では無いのだ。

 それでは、おそらく彼女の言う事は事実なのだろう。

 これから入学する王立学園で、王太子は不貞行為を行い、マルガレータへ一方的に婚約破棄を告げるのだ。


 そして5歳下の第三王子と婚約を結ばされ、更にそれも王家の都合で解消になり、王太子の側妃になるらしい。

「嫌過ぎる」

 昨日までの、立派な王太子妃と呼ばれるように努力していた自分がとても馬鹿らしく思え、マルガレータは緩く首を振った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る