第24話   月光の下で

「痛いッ! 痛いから離してよッ!」


 アトランティス城内の中央部に位置する広場には、エリファスの甲高い声が響いていた。


 専用の通路の他に8本の石柱が円形に並んで建てられており、その中には夜風で波立つ泉が存在していた。


 この広場は王室専用の空間でもあり、城内で働いている人間たちでも訪れることは許されない聖域であった。


 しかも今は深夜である。訪れる者などは皆無と思われていたが、


「ええい、うるさい! 静かに歩け!」


 広場にキースの怒声が響くと、エリファスは途端に顔をしかめて静かになった。


 エリファスの口からはたらりと血が滴り落ちた。キースに顔を殴られたのである。


「私は子供だからといって容赦はしない。ましてや貴様は手配人だ。今はまだこれくらいだが本格的な尋問のときは覚悟しておけ」


 エリファスは黙ったまま自分の顔を殴った男を睨み付ける。


 キースはエリファスに冷酷な視線を浴びせ返すと、エリファスの身体を拘束していた2人の騎士にさらにきつく拘束するように命じた。


 2人の騎士はエリファスの小さな身体を摑む自分の腕に力を込めると、エリファスは苦悶の表情を浮かべた。摑まれている左右の腕に激痛が走る。


「反抗的な態度を取ればどうなるか身に染みて理解しただろう。わかったらキリキリと歩け。ここはとても神聖な場所だからな」


 キースが言うとおり、この広場は騎士団たちにとっても特別な場所であった。


 入隊試験が執り行われた中庭の広場と違い、地面は深緑の芝生ではなく石畳で舗装されていた。


 そしてその石畳のあちらこちらには何やら紋様が彫られており、またそれが神聖な雰囲気を匂わせていた。


 だからこそキースは焦った。


 この場所はいくら騎士団の団長クラスでも安易に踏み込んではいけない聖域である。


 だが、重罪人を押し込む第四重罪牢はここを通らなければ行くことができない。


 一刻も早くエリファスの尋問を執行したかったキースは、やむおえずこの場所を通ることを決意したのである。


 キースが再び歩き出すと、2人の騎士に誘導されてエリファスも歩き出した。


 キースは集団の先頭に立ち、辺りを注意しながら広場の道を歩いていた。


 かつかつと固い石畳の上を歩く人間たちの足音が響く。


 静寂に包まれた聖域では、余計に音が反響しているような気がする。


 すると、エリファスの腕を摑んでいた騎士の1人がキースに声をかけた。


「た、隊長!」


 騎士の声は微妙に裏返っていた。


 キースは後ろを振り向くと、声をかけた騎士の目線が自分ではなく城壁の上に合わされていたことに気づいた。


 そしてそれは声をかけた騎士だけではなかった。


 隣にいたもう1人の騎士と、拘束されているエリファスも同じ目線に合わされていた。


 3人の表情は化け物を見るかのように青ざめていた。


 瞬間、キースの全身が総毛立った。自分に向かって圧倒的な威圧感がどこからか放たれたからだ。


 キースはエリファスたちから再び正面に振り返った。 


 同時にキースの目の前の地面に上空から何か黒い塊が飛来した。


 黒い塊が地面に直撃した衝撃で石畳の一部が崩壊し、キースたち四人の身体が軽い微震に襲われた。


「何だ?」


 キースが確認のために一歩前に踏み出すと、目の前に飛来した黒い塊に動きがあった。


 最初は丸い球体かと思ったキースだったが、徐々にその黒い塊の正体が人間であることがわかってきた。


 しかし、一点だけ人間とは思えない部分があった。


 頭から爪先まで全身黒衣で覆われた中で、唯一、怪しげな色を放っていた2つの輝き。


 金色の双眸である。外見は人間の姿形をしていたが、金色の双眸を持つ人間などいるはずがない。


 間違いなく普通の人間でないことをキースは察した。


「貴様ッ、何者だッ!」


 キースは怒声を発するなり、腰に吊るしていた長剣を抜剣した。


「さ~て、お仕事お仕事」


 黒い塊の正体は、クラウディオスであった。


 クラウディオスはホムンの命令を忠実にかつ迅速に行動しようと、キースたちの後を追いかけてきたのである。


 すなわち、外部の人間にみせかけた騎士団たちの抹殺とエリファスの強奪である。


 だが、ここでクラウディオスはあることに気づいた。


「あ……剣がない」


 クラウディオスはホムンに剣で騎士団の人間を抹殺するように命じられたが、今のクラウディオスの両腕には一切の武器が握られていなかった。


 クラウディオスはどうしようか焦ったが、すぐにそれは解決した。


 クラウディオスの金色の双眸が拡大すると、目の前にいる銀髪の剣士の手に握られている長剣が目に映った。


 クラウディオスは頬を吊り上げて笑った。すかさずキースに右手を差し出す。


「その剣、ちょうだい」


 キースは眉を細めてクラウディスを見つめていた。


 キースはクラウディスの存在を知らなかった。


 その場にいた2名の騎士たちも、唖然とした表情で立ち尽くしている。


 その中で、エリファスの脳裏には進之介が探している人間の特徴が浮かび上がってきた。


 驚異的な威圧感を放つ、全身黒ずくめの異形の姿。


 闇夜に輝く金色の瞳。


 エリファスの目の前には、進之介が目の敵にしている怪物が堂々と存在していた。


 だが肝心のクラウディオスは無造作にキースに近づきながら、「剣ちょうだい」と何度も無邪気な表情で催促している。


 成熟した大人であるにもかかわらず、言葉使いは5、6歳時のそれであった。


 キースは身体を半身に構えると大きく両足を開き、右手1本で握る長剣の切っ先をクラウディオスに合わせた。


 十分に殺気と力を長剣全体に行き渡らせ、間合いに無断で侵入した者は誰であろうと突き殺せる必殺の構えである。


 しかしクラウディオスの歩みは止まらない。ずかずかと動じる様子もなくクラウディオスはキースに近づいていく。


 その行為がキースの自尊心を傷つけた。


 ただでさえこの場所は神聖な領域である。


 深夜とはいえきちんと許可を取ったキースたちでさえ恐れ多い場所に、戯言を口走る賊が無断で侵入しているのである。


 キースは目の前の賊を捕らえることなど考えなかった。


 その場で無礼討ちにしなければ自分たちが罪に問われるかもしれない。


「ねえ~、剣ちょうだい」


 そう言いながらクラウディオスがキースの剣の間合いに入った刹那、キースの身体は残像を残したまま消えていた。


 キースは高速の踏み込みから、手にしていた長剣をクラウディオスの心臓目掛けて一直線に突き放った。


 キースの一切の無駄がなく鍛え抜かれた肉体から繰り出される必殺の刺突は、人間の五体など紙切れのように貫く威力が込められていたはずであった。


 しかし、キースはこのとき大きなミスをしていたことに気がつかなかった。


 クラウディオスの左手には、キースが放った長剣の切っ先がしっかりと握られていた。


「ば、馬鹿な……」


 普段から沈着冷静なキースが激しく動揺した。


 信じられないことだが、クラウディオスは素人では目視できないほど高速に放たれたキースの刺突を軽々と素手で受け止めたのである。


 キースが犯した大きなミス――それは、自分と相手の戦力の差に気づいていなかったことであった。


 そして左手で長剣を固定していたクラウディオスは、間髪入れずキースの無防備であった腹に強烈な前蹴りを放った。


 ドズン! 


 鈍い音とともに、キースの腹がくの字に折れる。


 無防備であった腹を蹴られた衝撃で口から大量の胃液を吐き出したキースは、たった1発の前蹴りで意識が飛んだ。


「キース隊長!」


 エリファスの身体を拘束していた2人の騎士は、自分たちの役目も忘れて腰の長剣を抜いてクラウディオスに斬りかかった。


 クラウディオスは刃のほうを摑んでいたキースの長剣を地面に投げ捨てると、左右の指をパキパキと鳴らして2人の騎士を待ち構えた。


 1人の騎士は上段に構えた剣をそのままクラウディオスの頭に振り下ろし、もう1人の騎士はキースと同じ刺突の構えから突きかかる。


 一糸乱れぬ見事な連携攻撃であったが、それでもクラウディオスにとっては児戯に等しい攻撃であった。


 クラウディオスは自分の頭に振り下ろされた斬撃を躱しながら相手の顔面に裏剣を放ち、突きこんでくる騎士の刺突は空に跳躍することで回避した。


 もちろんただ回避したわけではない。


 空中で身を捻りながら相手の顔面に後ろ蹴りを叩きこんだのである。


 再びクラウディオスが地面に降り立つと、地面に横たわっている人間の数は3人に増えていた。


 いずれも剣士としては名高い白獅子騎士団の人間たちであった。


「何なの……こいつ」


 エリファスは、隊長クラスを含む騎士団3人が、あっけなく倒された光景をすべて目撃していた。


 3人はまだ息があったが、それでも瀕死の状態には違いない。


 あと一撃ずつクラウディオスが攻撃を仕掛ければ死は免れないだろう。


 クラウディオスは首を左右に捻って骨を鳴らすと、地面に落ちているキースの長剣を拾った。


 枯れ木のように細長いがしっかりとした造りの長剣を手に取ると、その場で何度か振って感触を確かめる。


 エリファスはこの場から何とか逃げようと必死に足に力を込めたが、エリファスの足は恐怖でガタガタと震えて言うことを聞いてくれなかった。


 この時、エリファスの脳裏には、騎士団たちに剣で止めをさしたクラウディオスが返す剣で自分を切り刻む悲惨な光景が浮かんでいた。


 死にたくない。


 そう思ったエリファスだったが、腰が抜けてしまったのかその場にペタンと尻餅をついてしまった。


 今のエリファスの心境を例えるならば、猛獣がうごめく巨大な檻の中に閉じ込められてしまった状況に非常に酷似していた。


 逃げ出したい。


 死にたくない。


 逃げ出したい。


 死にたくない。


 様々な思いがエリファスの中で木霊する。そして同時に気がついた。


 前にもこのような絶体絶命の状況に遭遇し、奇跡的に生き延びたことを。


 エリファスは大きく息を吸い込んだ。


 今回もそうなるとは限らない。ただの徒労で終わる確率のほうが何倍もある。


 だがそれでもエリファスは叫んだ。


 ある剣士の名前を――


「シンッ!」


 エリファスの叫びは広場全体を包んでいた静寂を突き破り、辺りに響き渡った。


 突然のエリファスの叫び声に身体を硬直させたクラウディオスであったが、彼の視線はエリファスではなくなぜか城壁の上のほうへと向けられた。


 直後、クラウディオスが視線を向けた城壁の上から、何かが風を切り裂きながらクラウディオスめがけて飛来してきた。


 咄嗟にクラウディオスは後方に跳躍してその何かを躱した。


 それは先端が細長く尖った棒手裏剣であった。


 本数は3本。


 いずれも同じ形状をしており、石畳で舗装された地面の上に綺麗に突き刺さっていた。


 恐るべき速度と威力が伴っていた証拠であった。


 エリファスは城壁を見上げた。


 月の光を遮っていた暗色の雲が再び晴れ、淡い燐光が降り注ぐ。


 クラウディオスは棒手裏剣から再び城壁の上へと視線を転じた。


 クラウディオスとエリファスの視界には、城壁の上で棒手裏剣を放った状態で静止していた進之介の姿があった。

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