第25話 アルス・マグナ
「シン?」
エリファスが呟くなり、進之介は五間以上もの高さがあった城壁の上から飛び降りた。
石畳の上に無事着地した進之介は、すかさずエリファスの前に躍り出る。
「無事でござるか、エリファス殿!」
進之介は後ろにいるエリファスに声をかけながら、目線はしっかりとクラウディオスに合わされている。
「嘘……本当に来てくれた」
エリファスは目の前にいる進之介を見つめながら、これが夢ではないかと疑った。
まさか、本当に進之介が現れるとは思わなかったのである。
そして進之介自身、この場所に来たことは何も偶然ではなかった。
梓とアダムの寝所から逃げ出した進之介は、円形になっている尖塔の屋根から屋根へ飛び移り、下層へと降りていった。
そのまま一番下へと降りてもよかったのだが、進之介は途中で見つけた細い通路になっている城壁の上で立ち止まった。
そこは見張り台の役目も備えた細長い通路であった。
進之介はその通路の上で立ち止まると、梓がいた寝所の場所を見つめた。
月が翳ってしまったこともあり、梓がいた寝所は薄暗くほとんど見えなくなっていた。
進之介はひどく落胆した。
梓にではない。
他ならぬ自分自身にである。
すべては自分自身の身勝手な思い込みだったのである。
神威一刀流に入門してから抱いていた梓への密かな恋心。
確かに最初は恋ではなく、単なる憧れに過ぎなかったかもしれない。
所詮一介の門弟でしかない自分には高嶺の花。
そう自分に言い聞かせていた進之介であったが、師である鬼柳斎から免許皆伝と〈神威〉を与えられたことですべてが一変したはずであった。
高嶺の花と諦めていた梓との婚姻。
神威一刀流の次代を担う跡継ぎに託される宝刀。
進之介はあの日、間違いなく誓ったはずであった。
神威一刀流の更なる繁栄と、伴侶となる梓を未来永劫幸せにしてみせると。
だからこそ、進之介は誰よりも修練に励んだ。
剣を極める道こそ、2つの誓いに報いる唯一の手段だと信じていたからである。
しかし、今となってはもうその誓いを守ることができない。
梓は進之介を否定した。
いや、梓にとって神威一刀流にかかわるすべてが否定の対象だったのである。
直に梓の本心を聞いた進之介はそれ以上何も言えなかった。
ゆえにその場から逃げ出してしまった。
逃げて逃げて逃げて、ふと辿り着いた場所が城壁上の通路であった。
進之介は梓の寝所がある方角から視線を外した。
もう梓は元の世界に戻るつもりはない。
自分の元へも来てくれることもない。
このときの進之介は、胸にポッカリと穴が開いたように寒々としていた。
だが、ここでいつまでも落胆しているわけにはいかなかった。
梓を連れ出すことも叶わず、何よりこの国の長であるアダムに刃を向けたのだ。
遅かれ早かれ追っ手がくる。
そうなれば、自分だけではなくエリファスにも危害が及ぶかもしれない。
進之介はテラスで梓と再会した折り、色々と世話になったエリファスやバンヘッドの名前も口に出してしまっていた。
梓を信じたかったが、万が一アダムに話さないとは限らない。
進之介はひとまずエリファスと合流するつもりであった。
自分の結果がどうであれ、せめてエリファスの役には立ちたい。
この世界に来てまだ数日しか経っていないが、右も左もわからなかった自分に何かと手を貸してくれたエリファスである。
もしエリファスが父親とともにこの城を抜け出すことになったならば、せめて殿くらいは自分が務める。
そう進之介が心を奮い立たせた直後であった。
進之介がいた城壁上の通路に、数人の人間の声が聞こえてきた。
進之介は見回りの兵士たちかと思い、咄嗟にその場に身を屈めた。
進之介は耳を澄まして声が聞こえてきた方向を特定する。
声は進之介がいた城壁上の通路ではなく、下のほうから聞こえてきた。
この場でじっと忍んでいればやり過ごせる。
進之介はしばらくこの場から身動きせずに息を潜めるつもりであった。
しかし、聞こえてきた声の持ち主が特定できた途端、進之介は身を屈めていた状態から跳ね起きた。
「痛いッ! 痛いから離してよッ!」
そう悲痛な叫び声を上げていた少女の元へ、進之介は城壁上の通路を使い無我夢中で疾走した。
声の持ち主はエリファスであった。
城壁の上からエリファスと騎士たちの姿を目撃した進之介は、その場の状況がひどく切迫していることに気がついた。
人間の感情を形として捉えることができる進之介の〈殺視〉の力。
進之介の俊足はあっという間に目的地へと辿り着いた。
石畳で埋め尽くされたこの異様な広場にである。
「お主、あの時の異人の男だな」
進之介は五間ほど先にいるクラウディオスを睥睨すると、腰に差していた〈神威〉を抜き放った。
進之介の脳裏には時坂神社での光景が様々と蘇る。
「あーッ! あの時のお兄ちゃんだーッ!」
一方、進之介が現れてからずっと首を傾げていたクラウディオスは、ようやく進之介の顔を思い出したようであった。
クラウディオスの脳裏にも、時坂神社で生まれて初めて手傷を追わされた光景が蘇っていた。
クラウディオスは、進之介に再び出会えたことが嬉しかった。
戦う相手にすら悩む自分の強さを真っ向から受け止めてくれた初めての存在に、クラウディオスは元の世界へと帰還してからもどこか頭の片隅では進之介のことを思っていた。
できればもう一度闘いたい。
しかし、それは無理なことと諦めていた。
満月の夜にだけ赤く染まる〈アルス・マグナ〉と呼ばれる泉には、人間の生命を結晶化することができるという不思議な力があった。
その力に目をつけた数人の学者たちは、長年における研究により完全に人間を結晶化、多種の金属への合金化に成功したのである。
結晶化された物はオリハルコンと命名された。
この特性を研究し成功させた学者の名前から付けられた名前である。
そしてこの研究を取り仕切っていた学者はすでにこの世にはいないが、その研究成果をすべて引き継いだ学者がいた。
ホムン・ウラトラス。
当時、オリハルコンの結晶化に成功した学者の助手を勤めていた人物であった。
そしてホムンは助手を勤めていた学者の死後〈アルス・マグナ〉をさらに独自に研究し、ついには禁断の領域にまで足を踏み込んでいった。
ホムンクルスの誕生と異世界ヘルメスへの転送である。
その中でも特に重要だったのが、2つ目のヘルメスへの転送であった。
そしてそれはホムンクルスであるクラウディオスの役目でもあった。
なぜならば、ホムンクルスでないと異世界であるヘルメスには転送されないからである。
クラウディオスはふと広場の一角に浮かぶ、8本の石柱に囲まれた泉を見つめた。
〈アルス・マグナ〉と呼ばれる泉の水面は、月光が反射して眩しいほど光り輝いている。
もう何人の人間をこの泉を通って連れ攫ってきたのだろうか。
わざわざクラウディオスが異世界へと行くのにも確固たる理由が存在した。
ヘルメスと呼ばれる異世界にいる人間でしか、オリハルコンは結晶化できないことが研究により明らかになったからだ。
クラウディオスは泉から進之介へと視線を転じさせると、被っていたフードを捲し上げた。
女性のような艶やかな前髪を垂らしながら、金色の双眸を覗かせる。
クラウディオスは口を開いた。
「前の続きをしようよ、お兄ちゃん」
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