第21話   それぞれの思惑

 黒髪。


 この単語を聞くなり、キースは腸が煮えくり返るような衝動に駆られた。


 それは、今日の昼に城内の中庭で実施した入隊試験のことであった。


 よりにもよって、アトランティス帝国騎士団の中でも筆頭の座にある白獅子騎士団の人間が、遠い辺境部族と思われる異国の剣士に完璧に敗北したのだ。


 しかも勝利した剣士はまったくの無傷で、こともあろうにその場面を国王であるアダムに目撃されてしまったことが何よりも痛かった。


 アトランティス帝国には全部で六つの騎士団が存在している。


 白獅子騎士団。


 黒龍騎士団。


 赤虎騎士団。


 青蛇騎士団。


 黄牛騎士団。


 翠鳥騎士団。


 そして今現在、白獅子騎士団以外の騎士団は、来るべき戦争に備えて各指定された領内に派遣されていた。


 その騎士団の中でも黒龍騎士団団長のデカルトと、赤虎騎士団団長のヒューイは取り分け軍の中でも発言力が強い。


 この2人は常に白獅子騎士団を蹴落とし、自分たちが騎士団筆頭に立ちたいと密かに暗躍している人物でもあった。


 もちろん、この他の騎士団たちも黙って指を咥えているわけではない。


 黙っている訳にはいかない理由が存在するのである。


 超金属オリハルコン。


 元アトランティス帝国軍事科学研究所所長であったグラム・オリハルコンが発見、生成したことから名前が付けられたこの超金属は、主に軍の装備品に加工される金属であった。



 だがこのオリハルコンは希少品であるために、とてもすべての騎士団の武具に使うことはできなかった。


 そこでアトランティス最高幹部会が議論した結果、5年ごとに優れた武功を挙げた騎士団から優先的にオリハルコンの武具を与えるということに決定したのである。


 これは一見すると実に理に適った方法と思われがちだが、当人である騎士団たちはこの結果を聞くなり頭を抱えた。


 普通に考えて、5年ごとに騎士団の武功などが伸びるはずがないのである。


 ただでさえアトランティスは大陸の西側の領域をすでに治めているので、武功を上げようとも肝心の戦争がない。


 まさか一騎士団だけで東の領域に攻め込むわけにはいかず、それでも何かしらの武功を立てようと思うならば、盗賊や他の大陸から流れてきた賞金付きの手配人を捕縛することくらいしかなかった。


 しかしその中で率先的に行動を示した騎士団がいた。


 キース・ワグナー率いる白獅子騎士団である。


 白獅子騎士団は2年前にようやく同盟関係を結ぶまでに到ったエルシア大陸の巨大国家、アテナス共和国に遠征するという任務を率先して引き受けたのである。


 いくら同盟関係を結んだ間柄とはいえ、アテナス側からしてみれば弱小国の一つに過ぎないアトランティス帝国であったが、オリハルコンの存在はやはり大きかった。


 アテナスは超金属オリハルコンが喉から手が出るほど欲しかったが、だからといってアトランティスに戦争を仕掛ける訳にはいかなかった。


 アテナスからアトランティスまでは遥か海を越えて1年はかかるほどの距離があるのに加えて、途中の海域である大海洋は海流が激しいため、大船団で乗り込むには不利な条件が重なっていたからだ。


 だからこそアテナスは表向きアトランティスと同盟関係を結び、オリハルコンの情報を秘密裏に摑むという画策を図ったのである。


 アトランティスはそんなアテナスの陰謀などお見通しであった。


 だが、巨大国家であるアテナスと表向きとはいえ同盟関係を結んでおくことは後々有利になるかもしれない。


 最高幹部会でそのような結論に至ると、表向き友好を深めるために騎士団を遠征させようとした。


 しかし、誰もアテナスに外交遠征をしようと立候補する騎士団はいなかった。


 一歩間違えればいつ寝首を掻いてくるかわからない敵の懐に、わざわざ自分から外交のために遠征しようとする馬鹿はいない。


 だがキース率いる白獅子騎士団は、その馬鹿な役を率先して引き受けたのである。


 最高幹部会はアテナス遠征を進んで名乗り出た白獅子騎士団に感銘を受け、キース率いる若年揃いであった白獅子騎士団はあっという間に騎士団筆頭の座を与えられた。


 しかし、ここまでくれば他の騎士団も黙っていない。


 他の騎士団も最高幹部会に自分たちの力を認めさせようと躍起になったが時既に遅く、東のポートレイとシェスタの侵攻を警戒して西の各領内に派遣された後であった。


 そしてシャーセイッド大陸の西東戦争が本格的になれば、オリハルコンで造られた武具を装備している騎士団は驚異的な武功を立てられるだろう。


 そうなれば、今まで散々「お坊ちゃま騎士団」と中傷されてきた白獅子騎士団の地位は確固たるものとなる……はずであった。


 キースはエリファスに近づき片膝を床に付けると、艶やかな黒色をしたエリファスの髪を摑んで身体を無理やり引き起こした。


 エリファスは髪を引っ張られたことにより、苦悶の声を上げた。


 すべてはシンと名乗った黒髪の剣士のせいであった。


 もし今日の入隊試験で白獅子騎士団の人間が異国の剣士に惨敗したなどという噂が他の騎士団の耳に入れば、どういう強攻策を取ってくるかわからない。


 特にデカルトとヒューイは人を蹴落とすことに懸けては天才的な策略家である。


 何としても今日の汚名は返上しなければならない。


「おい、娘。今日、貴様と同じ黒髪の剣士が入隊試験に合格した。まさかその剣士の知り合いではないだろうな」


 キースのエリファスの髪を摑む力が徐々に増していく。


 その度にエリファスの苦悶の声も上がっていき、質問に答えるどころではなかった。


 その光景を後ろでまざまざと傍観していたホムンは、キースの知りたい答えをさらりと口にした。


「キース隊長。その娘は黒髪の剣士とやらを城内に手引きしたそうですよ」


「何だとッ!」


 キースは顔だけを振り向かせると、ホムンは「くっくっくっ」と濁声を上げて笑った。


「間違いありません。その娘から直接聞きました。そして何とその娘が手引きした剣士は恐れ多くも陛下に個人的に接触するために入隊試験を受けたとか」


「何のために?」


 この時点ですでにキースにも察しがついていた。


 キースの奥歯からはぎりぎりと怒りの歯軋り音が鳴っている。


「おそらく……アダム陛下の暗殺ではないかと」


 キースはホムンの言葉を聞くなり、摑んでいたエリファスの黒髪から手を離した。


 そしてその場に立ち上がると、エリファスを見下ろしながら冷酷な笑みを見せた。


 キースはこのとき、誰もが納得する大義名分を手に入れたと確信した。


 眼下にいる小娘が国王暗殺のために黒髪の剣士と共謀し城内に侵入したことが真実ならば、アトランティス建国以来の大罪であるかもしれない。


 そうなれば、シンと名乗った黒髪の剣士の入隊試験合格は完全に白紙になる。


 それどころか極刑は免れないだろう。


 国王暗殺という大罪を遂行しようとした人間に、同情する人間は誰もいない。


 それが国王本人であればなおさらである。


 それは志願兵全員の入隊試験が無事終了したあと、キースが合格者の名簿を持ってアダムに報告に訪れたときのことであった。


 なぜかアダムは黒髪の剣士をいたく気に入った様子で、あろうことか白獅子騎士団に入団させてはどうかとキースに持ちかけてきたのである。


 キースは反対した。


 栄誉ある各騎士団に入団するためには、誰であろうともまずは末端の一兵卒から始まるのが基本である。


 そして兵としての自覚が芽生えてきた数年後に厳しい入団試験を受けて合格するか、各騎士団の副隊長、隊長クラスに推薦してもらうかによりようやく騎士団に入団できるのである。


 アダムの発言はそんな今までの騎士団の伝統を揺るがしかねない発言であった。


 何とかその場はキースの説得によりアダムは折れてくれたが、それでもアダムが黒髪の剣士を気に入っていることは明らかであった。


 キースは歯噛みした。


 このままでは他の騎士団の隊長たちが黒髪の剣士に余計な入れ知恵をしないとも限らない。


 そして万が一、黒髪の剣士が何かしらの武功を立てればそれこそ手に負えなくなってしまう。


 入隊試験で黒髪の剣士の実力をその目で見たとき、キースは自分でも理解できない奇妙な衝動に駆られた。


 初めは敗北した隊員に対しての怒りかとも思ったが、実はそうではなかった。


 恐怖である。


 黒髪の剣士のすべてを見通すが如き眼光に恐怖したのだ。


 黒髪の剣士はどんな手段を講じてでも始末しなければならない。


 しかし、迂闊に手を出せばアダムの逆鱗に触れてしまうかもしれない。


 アダムは確かに温和な性格をしているが、それゆえに自分が大切だと思ったことに対しては厳しい一面を持っている。


 それが物であろうと人であろうと。


 キースはエリファスの身体を固定している騎士たちに厳しい眼光を放った。


「この娘を第四重罪牢に閉じ込める! それと兵舎に行ってシンという黒髪の男を私の元に連れてこい!」


 エリファスを固定していた二人の騎士はエリファスの身体を摑みながら立ち上がり、キースの後方に控えていた二人の騎士は兵舎へと駆け足で向かった。


「いいのか。君の独断で勝手に決めてしまって」


 キースの一糸乱れぬ裁決を後ろで見ていたホムンが、それとなくキースに近づきそっと耳打ちをする。


(その娘の尋問はぜひ私に任せてもらいたい)


 キースはすぐに否定しようとしたが、次にホムンが紡いだ言葉に目を見開いた。


(ただとは言わない。その見返りとして、君の騎士団に与えられるオリハルコンの水増しを約束しよう)


 予想外なホムンからの提案にキースは怪訝そうな顔をしたが、考えてみれば否定する理由がなかった。


 キースが特に気にしているのは、シンと名乗る黒髪の剣士のことだけである。


 目の前にいるエリファスのことは路傍の小石程度にしか思っていないキースも、国王暗殺に関する尋問に研究所所長を参加させることでオリハルコンの給付率が約束されるのならば、それは願ってもいないことであった。


 キースは軽くうなずくと、二人の騎士に身体を摑まれているエリファスを連れて研究所内の一角にある通路へと向かった。


 騎士団の待機部屋の先にある隠し通路を通ったほうが、吹き抜けの螺旋階段を上がっていくよりも早く外に出られるからである。


 キースたちが通路の奥へと姿を消すと、研究所内はホムン一人になった。


「いるんだろう。出ておいで、クラウディオス」


 ホムンはオリハルコンを生成するために必要な巨大容器の上の部分を見上げた。


 神々しく光り輝く赤い液体が満たされている巨大容器の上には、いつの間にか1人の男が両膝を曲げた状態で存在していた。


 ホムンと同じくフードを被り、全身黒一色で統一された服装をした金色の目をした人ならぬ人。


 クラウディオスと名づけられた、合成金属生命体――ホムンクルスである。


「えへへへ、バレてた」


 クラウディオスは巨大容器の上からふわりと跳躍すると、音もなく床に着地した。


「クラウディオス、今までの会話はすべて聞いていたな」


 クラウディオスは無邪気な顔で何度もうなずく。


「うん、聞いた」


「では私がこれからお前に何を言いたいのかわかるな」


「わかるよ。あの人たちを殺して黒髪の子供を攫ってくればいいんだよね」


 ホムンは笑いが止まらなかった。


 自分が考えていることを瞬時に理解し、それを何の疑いもなく実行する最高傑作品を前に、ホムンの黒く濁った独占欲がさらに肥大していく。


「やはりお前は最高だよ、クラウディオス。だがいいか、殺すにしても絶対にお前の犯行だと悟られてはいけない。あくまでも外部の人間の犯行でなくてはいけないんだ。だから剣がいい。剣を使って殺せ」


 クラウディオスは「わかった」と納得すると、吹き抜けになっている螺旋階段に視線を向けた。


 驚異的な身体能力を持っているクラウディオスにしてみれば、一気に階段の壁を伝っていったほうが楽なのである。


 クラウディオスは意気揚々と螺旋階段に向かって歩きだした。


 その背中をしばし黙って見ていたホムンは、不意にクラウディオスを呼び止める。


「クラウディオス。お前、あの娘を見たときに何か感じなかったか?」


 クラウディオスは振り向いた。


「え? 何か言った、博士」


 金色の双眸でホムンを直視しているクラウディオスに、ホムンは「いや、何でもない。早く行け」と右手を振って促した。


「変な博士」


 言うなりクラウディオスの姿が研究所内から忽然と消えた。


 だがよく耳を澄ますと、奥にある螺旋階段の下から上のほうに向かって何かを蹴る音が連続的に響いている。


 クラウディオスが壁伝いに駆け上がっている音である。


 そして今度こそ、研究所内は完全にホムン1人となった。


「グラム博士。あなたは生前一人娘に会いたいと散々ぼやいていましたね。だが、研究のためにすべてを捨てたあなたにはそれがどうしてもできなかった。一国の研究所に身を置くということは、すべてを国に捧げるということ。これを破った者は極刑に処されても文句は言えない」


 ホムンは再び深々とフードを被った。


 フードを被ったことにより表情こそ見えなくなったが、フードの中からはホムンの低い下卑た笑い声が聞こえ始めていた。

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