第20話   絶体絶命

 エリファスはビクッと身体を硬直させると、勢いよく後ろを振り返った。


 エリファスの目線の先には、深々とフードを被った黒衣の人間が両手を後ろで組んで佇んでいた。


 顔全体の造りはフードにより確認できなかったが、発せられた声の質感からして男性の声だとエリファスは思った。


「ま、まさか」


 エリファスは足を掛けていた金属の箱から床に降りると、高ぶる気持ちを必死で抑えながら声を発した。


「父さん?」


 エリファスは目の前に現れた人物に心当たりがあった。


 ここは間違いなくアトランティス帝国軍事科学研究所のはずである。


 そしてこの研究所にこそ、もうこの世でたった一人になってしまった肉親がいる。


 その肉親に会うために、エリファスは遠く海を渡ってここまで辿り着いたのである。


 目の前にいる、グラム・オリハルコンに出会うために。


 エリファスはようやく念願が叶ったことにより目元を涙で潤わせていると、フードの男は僅かながら動揺するような素振りを見せた。


「お前……まさかエリファス、エリファス・オリハルコンか?」


「そうだよ。私、エリファスだよ。今はちょっと髪を染めているけど、間違いなく父さんの娘のエリファスだよ」


 エリファスは頬を流れる涙を手の甲で拭いながらグラムに近づこうとした。


 フードの男は、すかさず右手を突き出した。


「1つ訊きたい」


 フードの男の呟きに、エリファスは立ち止まった。


「お前がアテナスの研究所を脱走したことは知っている。懸賞金を懸けられたこともな。ただどうしてもわからないことがある。どうやってこのアトランティス城に入ることができた? この城は単独では絶対に侵入することは不可能なはずだ」


「それは……」


 エリファスはこの城に来るまでの経緯をすべてフードの男に話した。


 アテナスから海を渡りシャーセイッド大陸に来た早々、賞金稼ぎ専門の盗賊たちに襲われたこと。


 その絶体絶命の危機を進之介と名乗る異国の剣士に助けられたこと。


 そしてアトランティス帝国の首都ゼノポリスでバンヘッドに助言を頼み、臨時で開かれていた入隊試験に乗じながら進之介とともに城内に侵入したこと。


 エリファスは今までの不安や鬱憤とともにフードの男に洗いざらい話し終えると、興奮のために息が荒くなっていた。


「そうか、お前も苦労したのだな」


 すべての経緯を理解したフードの男は一度だけうなずくと、両手を広げて懐を晒しだした。


「父さん!」


 エリファスはフードの男に無我夢中で駆けていった。


 エリファスの小さな身体がフードの男の懐にすっぽりと収まると、エリファスはフードの男の背中にまで手を回して強く抱きしめた。


「ようやく会えたね、父さ……」


 エリファスがフードの男の胸に顔を寄せ付けた瞬間、自分でも信じられないような奇妙な感覚が全身に走った。


 父親に会えたことで絶対に幸福感が身体を満たしてくれると思っていたのに、エリファスの全身に走ったのは幸福感ではなく嫌悪感以上の戦慄であった。


 エリファスはフードの男の胸に両手を突き出してすかさず距離を取った。


「違う……違うッ! あなたは父さんじゃない!」


 フードの男は、顔を覆い被っていたフードをゆっくりと捲し上げた。


「本当に久しぶりだな、エリファス。血気が盛んなのは父親譲りかな」


 フードを取ってエリファスに曝け出したその顔には、エリファスが何度も写真や幼い記憶に残っていた絶対にあるはずのモノが見当たらなかった。


 本物のグラムであれば、左頬には縦に走る目立つ傷があるはずである。


 エリファスは誰よりもその傷のことをよく知っている。


 四歳の頃に自宅の研究室で遊んでいたエリファスが誤って実験器具を割ってしまい、その割れた破片からエリファスを庇ったためにできた傷であった。


 グラムは笑って許してくれたが、その時のことは今でも鮮明に覚えている。


 そしてその傷は予想以上に深く、一生、傷跡が残ってしまうということも。


 だが、フードを取って素顔を晒した人間の左頬には傷などは見当たらなかった。


 それどころか、晒した顔に収まっていた表情には写真と同じ柔和な笑顔などは一切浮かんではいなかった。


 エリファスの身体は小刻みに震えていた。


 そして、グラムと信じていた男に向かって震える指を突きつけた。


「そ、そんな……あ、あなたは……ホムンさん?」


 エリファスの目の前にいる人物は、進之介が写真を見ながら危険だと判断し、グラムをアトランティスへと誘い出した張本人。


 グラムの第一助手を務めていた、ホムン・ウラトラスであった。




「どういうこと、何でホムンさんが?」


 エリファスはいつの間にか身体を後退させていたらしく、気づいたときには背中に巨大容器と金属の箱の冷たい感触が広がっていた。


「それはこっちが訊きたいことだよ、エリファス。まさかグラムを追ってこんなところにまで来るとは、行動力は父親譲りだな」


 金色の総髪に丸眼鏡を掛けたホムンは、写真に写っているときよりも頬は痩せこけていて無精髭を伸ばし放題にしていた。


 そして目の奥に輝いている不気味な光は、震えているエリファスに堂々と合わされている。


「ホ、ホムンさん。父さんはどこにいるの!」


「くっくっくっ」


 グラムは口を三日月形のように開くと、すぐにその口からは研究所内に響くような高笑が発せられた。


「エリファス、残念ながら君の父親であるグラムはすでにこの世にはいないよ。そして、今のアトランティス軍事科学研究所の所長はこの私だ」


 エリファスはホムンの言葉を聞くなり、急激に視界が歪んでいくのを感じた。


 自分の意識とは無関係に、脳を揺さぶるような激しい耳鳴りが聞こえる。


 エリファスは顔を真っ青にさせながら膝から床に崩れ落ちた。


 ガタガタと身体を震わせながら必死に事態の状況を把握しようとするが、それでも身体は言うことを聞いてくれない。


「エリファス。君は確かに懸賞金を懸けられている手配人だが、同時にアテナスの研究所で働いていた実績と知識がある。その辺りをぜひ詳しく聞きたいものだね」


 ホムンが軽くパニックに陥っているエリファスを見下ろしていると、研究所内の一角から複数の人間の足音が響いてきた。


 人数は全員で5人。


 鎧は一切纏っておらず、腰に掲げられた長剣に上下ともに黒で統一された制服を着こなしていた精強そうな人間たち。


 常に交替で研究所内に待機している、白獅子騎士団の人間たちであった。


「いかがされた、グラム殿。あなたが待機している騎士団を呼び寄せるとは」


 四人の騎士団を従えてホムンの元に駆け寄ってきたのは、銀髪が印象的なキース・ワグナーであった。


 キースは滅多に訪れない研究所内を珍しそうに一望している。


「これはこれは、キース隊長までご同行いただけるとは思いませんでした。いやなに、私の研究室に鼠が1匹侵入しましてな」


 キースは巨大な容器の前でうずくまっているエリファスを発見した。


 だが、肝心のエリファスはキースたちがこの場に現れたことすらもあまり認識していない様子だった。


 正座のような状態のまま、額を床に付けて震えている。


「まだ小娘ではないですか。それよりもどうやってここまで……」


 キースが不思議そうにエリファスに視線を向けていると、隣にいた一人の騎士が何やら気づいたらしく、キースに言った。


「キース隊長。この娘、入隊試験のときに見かけました」


 キースの目つきが一段と険しくなった。


「何だと、それはまことか」


 キースに話しかけた騎士ともう一人の騎士が震えているエリファスに近づくと、上半身を抱き起こして顔を確認した。


「間違いありません。付き添いをしていた集団の中にいた少女です。黒髪が印象的だったのではっきりと覚えています」


 キースは激しく舌打ちをすると、エリファスを睨めつけた。

 

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