第17話   アダム・アトランティス

「何の真似ですか?」


 感情が欠如していたように無表情だった騎士団の青年は、初めて眉をひそめながら声を漏らした。


「最早この者には闘う意思はござらん。そのような者にまで剣を向けるのがそなたたちの剣術か」


 騎士団の青年が放った突きを鞘の腹で受け止めた進之介は、動じることなく騎士団の青年を睥睨している。


 騎士団の青年は長剣と身体を同時に後方に引いた。


 一旦後方に飛んで進之介と距離を取るのかと思いきや、騎士団の青年は自分の身体を弓の如く見立て、すかさず進之介に追撃を放ってきた。


 進之介と騎士団の青年との距離はおよそ一間(約2メートル)。


 だが、お互いの剣の間合いまで考えれば間違いなく必殺の領域であった。


 トーマスの相手を務めていた騎士団の青年は、突如として乱入してきた進之介を新たな試験相手と認めたらしく、進之介の右肩の付け根と右足の太股の部位に向けて二段突きを放ってきた。


 その二段突きはトーマスの相手をしていた時よりも格段に速く鋭い突きだった。


 トーマスと闘っていた時が三分程度の力だったのならば、今は八分といったところか。


 騎士団の青年は表情にこそ出してはいなかったが、本能で進之介の技量を読み取ったのかもしれない。


 そしてもし騎士団の青年が放った二段突きを肉体に受けていたら、長剣は楽々と肉を突き破り貫通したことだろう。


 だが、騎士団の青年が放った二段突きは進之介の肉体に一切触れることなく、ただ虚空を空しく突き刺しただけであった。


 やがて剣を突き終えた状態で静止していた騎士団の青年は、ふらふらと酒に酔ったような状態になり膝から地面に崩れ落ちた。


 騎士団の青年は白目を剥いて失神している。


 周囲にいた人間、または騎士団の人間たちの中で何人が今の攻防を肉眼で確認できただろうか。


 広場にいた人間たちは、地面にうつ伏せで倒れている騎士団の青年を眺めながら呆然としている。


 その中で、進之介だけが威風堂々とその場に立ち尽くしていた。


 進之介の右手にはいつ抜いたのか、眩く白銀に輝いている〈神威〉が握られていた。


 地面に倒れている騎士団の青年を、戦闘不能にしたのは間違いなく進之介である。


 騎士団の青年は自分が放った突きを鞘で受け止められると、次の攻撃に移るために身体を後方に引く動作をした。


 だが、そのときには進之介は鞘からすでに〈神威〉を抜き放っていた。


 そして騎士団の青年が二段突きを放とうと右手に力を込めた瞬間には、進之介が高速に抜刀した〈神威〉の峰の部分が騎士団の青年の首筋を殴打する直前だったのである。


 このときの進之介の抜刀速度は、神速ともいえる速さがあった。


 首筋を峰打ちされた騎士団の青年自身、何が起こったのか理解できなかっただろう。


 相手を長剣で突き刺す感覚が利き手に伝わってこないまま、騎士団の青年は静かに地面に倒れて失神したのである。


 進之介は足元で倒れている騎士団の青年に小さく頭を下げると、顔を横に向けてキースを直視した。


 静かな闘気を発している進之介に視線を向けられたキースは、地面に突き刺して固定していた自分の長剣を引き抜いた。


 やや怒気を孕んだ表情のまま、キースは進之介に近づいていく。


「珍しい顔立ちをしているな黒髪。貴様、まさか東鳳民族か?」


 言いながらキースの歩く速度は徐々に加速していく。


 その雰囲気からは、剣の間合いに入ったら躊躇なく進之介に突きかかる勢いが感じられた。


 進之介はキースに質問された時点ですでに剣を下段に構えていた。


 何時斬りかかられようが瞬時に対処できる構えである。


 志願兵たちが固唾を呑んで見守る中、進之介とキースの距離は着々と埋められていく。


「お前は他の志願兵よりは使えそうだな。だが、他人の試験を邪魔するのは重大な規則違反だと知っているのか?」


 キースは無造作に間合いを詰めてくるだけで、一向に剣を構えようとはしなかった。


 右手で柔らかく長剣を握り、脱力したかのようにぶらつかせている。


 しかし、それがかえって進之介の警戒心を掻き立てた。


 キースはすでに剣を構えている。まるで攻撃する意思がないように見えるが、実は極限まで弦を振り絞っている弓の状態であると進之介は察した。


 剣の間合いに入った瞬間には、キースの高速の突きが進之介に飛んでくるだろう。


 進之介の〈殺視〉には、キースの身体を螺旋状に渦巻いている気がはっきりと〝視〟えていた。


 2人の間合いが縮まるにつれ、広場全体の空気が急激に張り詰められていく。


 ぴりぴりと肌の中に細い針が食い込んでくるかのような空気の張り詰めかたに、広場にいた誰もが自分の身体に痛みを覚えた――その直後であった。


 キース以外の騎士団たちが片膝を地面に付けて深々と頭を垂れた。


「アダム陛下!」


 誰かが口にした言葉を口火に、志願兵たちや付き添い人の集団からも地面に膝を付いて頭を仰々しく下げる人間たちが出始めた。


 つい今まで進之介に敵意を剥き出しにしていたキースも、その人物の姿を確認するなり騎士団たちと同じ作法を取った。


 入隊試験が行われている広場の奥はそのまま城内に通じる通路になっており、その人物は複数の騎士団たちを共に連れながらゆっくりと現れた。


「キース隊長。彼の実力はよくわかった。君が出るまでもなく合格だと思うよ」


 その人物がにこやかな笑みで声を発するなり、広場に張り詰めていた緊迫した雰囲気が風に煽られた煙のように晴れやかになった気がした。


 年老いているわけでもないのに白磁のような白髪が印象的なその貴人は、清潔感が溢れる紫衣を身に纏い、あくまでも温和な表情で広場にいる全員に笑みを浮かべていた。


 アダム・アトランティス。


 彼こそがシャーセイッド大陸西側の領域を手中に治めた、アトランティス帝国の最高権力者であった。


 進之介はアダムを見るなり頭を下げて一礼した。


 そして進之介はアダムを目にした瞬間にはっきりと感じ取った。


 広場に現れたこのアダムこそが、梓を自分から奪い去った張本人だということを。


 だが、進之介のアダムに対する怒涛のような憤慨は見事に呑み込まれていた。


 呑み込んだのは他でもない、進之介自身である。


 進之介は今までアダムを憎い仇と見なしていた。自分の婚約者であった梓をこの世界に連れ去り、なおかつ己の妻にするなど断じて許される行為ではない。


 正直、進之介は直接梓を連れ去った黒装束の金目の男と、それを指示したであろう張本人のアダムを目の前にしたら、自分でも何をするかわからなかった。


 頭では冷静な気持ちで物事を判断したとしても、勝手に右手が暴走して相手に斬りかかるかもしれない。


 だが、それは絶対にしてはいけない行為であった。


 今の進之介は自分一人だけのために行動してはいない。


 運命を共にすると誓ったエリファスの願いも、今や自分の双肩に重く圧し掛かっているのである。


 下手に動くことは絶対にできなかった。


 ましてや、相手はこの国の長である。


 もしこの場で迂闊にアダムに斬りかかったとしても、進之介が立っている場所とアダムがいる通路まで十間は離れている。


 その間に騎士団の人間たちが命を懸けて盾になり、進之介の行動を制止させようとするだろう。


 それに、国の長に敵意を向けた無礼者を討ち取れと、志願兵の人間たちまで敵に回ればそれこそ進之介には万に一つも勝ち目がない。


 進之介は憤怒の表情をアダムに悟られないように深々と頭を下げ、奥歯をぎりぎりと噛み締めながら、すべての感情を体内に呑み込んで一礼していた。


 必ず梓は取り戻す。進之介の胸中に秘めていた思いと覚悟は、アダムを目にしたことにより確固たるものになった。


 そんな進之介の秘めたる敵意に気づいていないアダムは、十間先にいる進之介に笑顔を向けながら労いの言葉をかけた。


「君は顔立ちから察するに東鳳民族の出自かな? だとしたら相当過酷な道程を越えてこのアトランティスまで来たのだね。先ほどの剣術も実に見事だった。出来れば君の名前を教えてはくれないかい?」


 アダムの言葉に顔を上げた進之介は、一拍の間を空けて答えた。


「シン……と、申しまする」


 進之介はあえて本名を名乗らずに、エリファスが呼んでいた名前で答えた。


「シンというのか。うむ、よい名前だ。ではシン、君の入隊試験は合格だ。騎士団を一蹴するそなたの力、ぜひこの国のために役立ててほしい。それでいいね? キース隊長」


「……仰せのままに」


 キースに意見を求めたアダムの視線は、進之介の後方に固まっていた未だ入隊試験を受けていない志願兵たちにも向けられた。


「これから試験に臨むそなたたちも、ぜひこの国の礎を築くために合格してほしい! 厳しい試験とは思うが、一人でも多い合格者が出ることを期待する!」


 志願兵たちの間からは怒涛のような歓声が湧き上がる。


 一国の王自らの労いの言葉に、確実に全員の士気が著しく向上した。


 アダムは試験官を務める騎士団たちにも労いの言葉をかけると、護衛の騎士団たちと共に城内に入っていく。


 アダムが城内に完全に入ったことを確認すると、キース以下、試験官を務める騎士団たちが一斉に立ちあがった。


 入隊試験の再開である。


 進之介はアダムから直々に入隊試験の合格を貰っている。


 進之介は、後が控えている志願兵たちの邪魔にならないように広場の隅に移動した。


 広場の中央では三人の志願兵たちが入隊試験を受け始めた。


 そしてまだ試験を受けていない志願兵たちからは、絶対に合格するという気概がひしひしと感じられた。


 これより約半時後(1時間後)――。


 広場に集まっていた志願兵63人の入隊試験が終了した。


 合格者は進之介を含めて26人。


 これは臨時で募集された入隊試験の合格者にしては非常に多い人数であった。


 そして正式に合格した人間は負傷した人間に限り手当てを受け、その後、キースから騎士団の心得などについて軽い講義を受ける。


 それが終わると、合格した人間たちは見習い兵してアトランティス城内にある兵舎に移される予定であった。


 このときには広場には合格者たちしかおらず、不合格者や付き添い人の集団はすでに城外を出た後であった。


 進之介を含めた合格者たちは、騎士団たちに誘導され兵舎を目指して広場を後にする。


 進之介は一列で並んで兵舎を目指す集団の一番後方にいた。


 そしてすでに人気がなくなった広場に顔だけを向けて振り返った。


 広場一面を覆いつくす深緑の芝生は夕日により赤く染まり、外壁の近くに植えられていた木々の群生がそよそよと風に揺られている。


「どうした? 何か忘れ物か?」


 一人の兵士が広場を見つめていた進之介に話しかけてきた。


 進之介は顔を戻して首を左右に振る。


「いえ、何でもないでござる」


 進之介の屈託のない笑みを浴びせられた兵士は、首を傾げながら前を歩いていく。


(エリファス殿……しばし待っていてくだされ)


 進之介は心の中でエリファスに頭を下げると、騎士団たちに誘導されながら兵舎へと向かった。

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