第16話   サムライとして

 銀髪の男――キース・ワグナーを見て進之介の脳裏に浮かんだのは、ゼンポリス内の大通りを仰々しく馬で闊歩していた騎士団の列であった。


 その中で特に目を引いた銀髪の男。


 この入隊試験を取り仕切る人間と、同一人物だと進之介はようやく理解した。


 進之介はそっと〈神威〉の柄に手をかけた。


 熱くはない。


 感じるのは朱色の柄巻きのザラついた感触だけである。


 進之介は初めてキースを目にしたとき、腰に差していた〈神威〉から放たれた異様な熱を感じた。


 だが、今の〈神威〉からはそのとき感じた熱さが伝わってこない。


 あれは気のせいだったのだろうか。


 進之介は〈神威〉から手を離さすと、すでに始まっている入隊試験に視線を移した。


 入隊試験は基本的に1対1。


 使用する武器は自由だが、騎士団の人間は全員が細身の長剣で志願兵の相手を務める。


 そしてキースも口にしていたが、お互いの生命を奪うことは禁止であり、その他についての場合は不問であった。


 だが進之介が試験を見る限り、その試験内容は志願兵の相手を務める騎士団の人間たちに説明していたように感じられた。


 志願兵と騎士団の人間では明らかに力量に差があった。


 試験は志願兵の集団から無造作に選ばれた三人ずつの人間が前に出され、騎士団の3人と1対1で手合わせをする内容であった。


 無造作に選ばれた3人の志願兵たちは各自持ち寄った長剣や短剣などで騎士団に向かっていくが、はっきりいって相手にならない。


 志願兵たちは我流の人間がほとんどで、中には盗賊紛いの行為で実戦経験を積んできた人間も少なからずいたが、所詮は素人剣法である。


 集団で弱者を奇襲することに特化した人間では、正規訓練された騎士団の人間たちには歯が立たない。


 そもそも1対1で闘う好意に不慣れなのである。


 志願兵たちが闇雲に剣を振り回しても、騎士団の人間はひらりと避けると同時に反撃に転じてくる。


 騎士団が狙う箇所は主に人間の急所が集中している正中線上ではなく、剣を手にしている利き腕や、動きの要である足に対してがほとんどであった。


 だが、想像以上に効果があった。


 騎士団の人間が使用する剣法は斬りつけ、薙ぎを省いた突き技のみ。


 一見、棒切れよりも細く見える騎士団たちの剣は、志願兵たちが使用していた長剣と比べて不利ではないかと思った進之介だが、騎士団たちの技を目の当たりにして認識を改めた。


 突きの速度が異常に速いのである。


 全身を効率よく使ってうねりを生じさせる異様な剣で突きを放つその姿は、折れず曲がらずが信条の刀を扱う進之介の剣術とは異質な凄みが感じられた。


 進之介が騎士団と志願兵の間に生じている技量の差を的確に判断できたのは、なにも傍観していたからではなかった。


 進之介は自分の両眼に意識を集中させた。


 すると、進之介の目には志願兵と騎士団たちの肉体の上に纏わりつくような透明な衣が見て取れた。


 見ようによっては湯気にも見えるその透明な衣は、人間が潜在的に相手に放つ感情の形だと進之介は認識している。


 〈殺視さっし〉とでも言うのだろうか。


 今の進之介の両眼には、相手の攻撃箇所を事前に〝視〟ることができる。


 なぜ自分にこのような力が宿ったのかはわからないが、この世界に来たことが原因であることは間違いない。


 殺気、闘気、鬼気、呼び方は様々だが、今まで感覚として捉えていた気がはっきりと視認できるということは、それだけで格段に闘いでは有利になる。


 そして今、進之介の目の前で試験を受けていた堂々とした体躯の持ち主の男は、持参した長剣を正眼に構えながら1人の騎士団の男と剣を交えていた。


 相手を務めていた騎士団の男は栗色の髪の毛をしていて、顔立ちからして進之介よりも年下に見える。


 細身の長剣を片手で持ちながら前屈みにしている構えは、確実に相手を突くためだけの構えと見て取れた。


 長剣を正眼に構えていた男は、眉を寄せ合いながらじりじりと騎士団の男に歩み寄っていく。


 その姿からは、相手の戦力を十分に警戒している節が見られた。


 だが、次の瞬間には男の警戒も無意味に終わった。


 男が騎士団の青年に向かって大振りに剣を振り下ろした直後、騎士団の青年は男の長剣を躱しながら右手を瞬時に動かした。


 すると、志願兵の男は呻き声を上げながら地面に崩れ落ちてしまった。


 志願兵の男は右肩を抑えながら苦痛の表情を浮かべている。


 見ると、志願兵の男の右肩からは血が滴り落ちていた。


 騎士団の青年が躱しざま放った高速の突きが、志願兵の男の右肩に正確に突き刺さった証であった。


「不合格」


 キースは激痛のため唸っている志願兵の男に向かって平然と言い放った。


 志願兵の男は控えていた騎士団の3人に運ばれ、広場の隅に追いやられた。


 その広場の隅には、すでに数人の負傷している志願兵たちの姿があった。


 現在、8人の人間が入隊試験を終えていたが、その中で合格していたのは僅か2人だけであった。


 そしてその合格した2人も騎士団に勝利したわけではなく、ただ一定時間持ち応えたというだけで合格とされていた。


 進之介は広場の隅で手当てを受けている人間たちに視線を向けた。


 そこには合格した2人も不合格した人間たちと一緒に手当てを受けていた。


 合格した2人もまったくの無傷とはいかなかったのである。


 進之介が負傷している志願兵を眺めている間にも、着々と入隊試験は続けられていく。


 そして14人目の人間が入隊試験を受けたときだった。


 まだ試験を受けていない志願兵たちの間から嘲笑が湧き上がった。


 進之介は何事かと思い、固まっている集団から少し身体をはみ出した。


 進之介の目には、小太りの青年が長剣を振り回している異様な姿が飛び込んできた。


 小太りの青年の相手をしているのは、先ほど鋭い突き技を見せていた騎士団の青年であった。


 小太りの青年と、騎士団の青年はほぼ同じ年齢に見える。


 小太りの青年は息を乱しながら、懸命に長剣を振り回していた。


 その姿からは小太りの青年が今までろくに剣を握ったことのない素人だとわかる。


 小太りの青年は、騎士団の青年に走りながら近づいていき剣を振り回す。


 するとすぐにその場から逃げて騎士団の青年と距離を取る。


 先ほどから小太りの青年は、ずっとこれを繰り返していた。


 周囲からはますます嘲笑の声が激しくなる。


 エリファスが身を潜めている付き添いの集団からは、「男を見せろトーマス!」などと数人が手を叩きながら声を張り上げている。


 小太りの青年の友人たちなのだろうが、それぞれの顔には小太りの青年を小馬鹿にしている一面が垣間見えた。


 トーマスと呼ばれた小太りの青年と対峙している騎士団の青年は、感情が欠如しているかのような無表情のままトーマスに突きを放つ。


 だが、トーマスは剣を交えることなくすぐに背を向けて逃げてしまう。


 周囲にいた人間たちが、トーマスを嘲笑するのも無理はなかった。


 トーマスには、入隊試験に合格するという気迫が微塵も感じられない。


 怪我をしないように逃げ回っているのが精一杯という感じであった。


 進之介はトーマスの闘いぶりを見て、彼が不合格になるのは時間の問題だと悟った。


 なぜトーマスがこの入隊試験に志願したのかはわからなかったが、トーマスが素人以下だと思ったのは進之介だけではなく相手をしていた騎士団の青年も同じであっただろう。


 それならばいっそ、トーマスが怪我をしないうちに騎士団のほうから彼の不合格を言い渡してやるのが人情というものである。


 進之介は試験の合否を決定するキースに顔を向けた。


 キースは地面に突き刺している己の長剣の柄に手を置いたまま、じっとトーマスと騎士団の青年に炯眼を向けている。


 トーマスはそろそろ体力的にも限界に近づいていた。


 自分の意思では抑えようがない荒い呼吸を上げながら、額からはとめどない汗を流している。


 騎士団の青年が、トーマスに向かって一直線に踏み込んでいった。


 トーマスは何とか避けようとしたが、すでに足は震えて言うことが聞かない状態になっていた。


 それでもトーマスは手にしていた長剣で何とか身を守ろうと、必死に抵抗の気概を見せた。


 周囲からは嘲笑ではなく歓声が湧き上がった。


 幸か不幸か、無我夢中で振り回したトーマスの長剣は騎士団の青年が放った鋭い突きをその腹で受け止めていた。


 トーマスが手にしていた長剣は普通の長剣よりも身幅が厚かった。


 そのお陰で食い止められたようなものある。


 これがもし騎士団たちと同じ細身の長剣であったならば不可能であっただろう。


 だが、騎士団の青年が放った突きは鋭さだけではなく十分な重さもあった。


 トーマスは長剣の腹で刺突を防いではいたが、想像以上に重かった突きに身体を吹き飛ばされてしまった。


 進之介の倍の体重があっただろうトーマスの肉体はごろごろと芝生の上を転がり、キースの目の前でようやく止まった。


 トーマスは起き上がろうとはしなかった。


 ぜいぜいと息を激しく切らせ、身体を丸めて震えている。


 もう十分だろう。


 進之介は大きな身体を震わせているトーマスと、そのトーマスを無表情で見下ろしているキースを交互に見つめた。


 そして、今までただ合否の決定を下していたキースの唇が微かに動いた。


 誰もが次の瞬間、トーマスに向けて「不合格」という言葉が出るのだと疑わなかった。


 しかし、キースの口からでたのは「不合格」という言葉ではなかった。


「貴様ッ! 我がアトランティス帝国騎士団を愚弄するつもりかッ!」


 キースは震えるトーマスに怒声を浴びせると、トーマスの顔面に強烈な蹴りを叩き込んだ。


 トーマスの両鼻からは鮮血が噴出し、芝生の上に滴り落ちる。


 付き添い人の集団からは悲鳴が聞こえ、今までトーマスを嘲笑していた志願兵たちも一気に静まり返った。


 その中で、キースに蹴りを入れられたトーマスだけが、自分の顔面を押さえながら呻き声を上げている。


 キースはトーマスに近づくと、彼の襟元を片手で摑み強制的に身体を引き起こした。


 華奢にも見えるキースの身体だが、トーマスの肉体を軽々と片手で持ち上げたことからキースの肉体は痩せているのではなく、服の下には鍛え抜かれた鋼の肉体が存在していることを証明していた。


「続きだ」


 キースは目線の高さにまでトーマスの巨体を持ち上げると、そのまま片手でトーマスの身体を軽々と放り投げた。


 地面を激しく転がったトーマスは、今まで自分の相手を務めていた騎士団の青年の元に強制的に戻された。


 キースに試験続行の命令を受けた騎士団の青年は、戦意を失っているトーマスに剣を向けた。


 まさか! 


 進之介は、騎士団の青年が次に取る行動が誰よりも明確に予測できた。


 瞬間、進之介の身体は志願兵たちの集団から消えていた。


 騎士団の青年は前屈みの状態から一気にトーマスに向かって踏み込んでいった。


 芝生の上を滑るような足運びから一直線に突きを放つ。


 騎士団の青年の動きを目にした周囲の人間は、トーマスが突き刺される光景が浮かんだことだろう。


 志願兵や付き添いの集団の中には目を閉じていた者もいた。


 だが、数十人がひしめき合っている広場にはトーマスの悲鳴は聞こえなかった。


 その代わり、誰もが驚愕する光景がそこにはあった。


 トーマスは血が溜まった鼻を啜りながら、風のように現れた人物を見上げた。


「すまぬ、さすがにサムライとして我慢ができなかった」


 トーマスの目の前には、騎士団の青年の突きを真っ向から食い止めている黒髪の剣士――片桐進之介の勇猛な姿があった。

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