第13話   ホムンクルス

 暗く湿った空間だった。


 無機質な灰色の石壁が四方を囲み、地下独特の腐臭した匂いが充満している。


 日の光はもちろんのこと、石壁には部屋の明暗を司るランプなどの灯火はどこにも見当たらなかった。


 それでもその部屋には仄かに赤く光る光源が存在し、さらに異質な雰囲気を演出していた。


 かつんかつんと石床を踏み鳴らす音が聞こえる。誰かがその異質な部屋に踏み入ってきた証であった。


「どう、博士。実験は進んでる?」


 微かに笑みを浮かべながら、黒装束の男が部屋の奥にいる人物に声をかけた。


「クラウディオスか?」


「うん、そうだよ」


 クラウディオスと呼ばれた黒装束の男は、自分の頭をすっぽりと覆っていたフードを取ると、前髪を掻き分けて金色に輝く不気味な両目を見せた。


 時坂神社で進之介と一戦交えた異人の男であった。


 そしてクラウディオスが博士と呼んだ人物は、部屋の奥で机に向かいながら何やら書類を書くのに熱中している。


 クラウディオス同様に全身黒ずくめの格好をし、クラウディオス以上に深々とフードを被っていたから顔までは確認できないが、声音からして30代半ばくらいの年齢だと判断できた。


「それで、何をしにきた?」


 博士は書類から目を離さずにクラウディオスに問うと、クラウディオスは子供のような笑みを浮かべながら博士に近づいていく。


「やだなー、これが見たいからに決まってるじゃないか」


 クラウディオスは注射針やフラスコなどの実験器具が散乱している石床を歩きながら、目的の場所の前でピタリと止まった。


 それを見上げるなり、クラウディオスは感嘆の吐息を漏らす。


「ああ……綺麗だな」


 クラウディオスが見上げた先には、人間が2人分は入る透明な巨大容器が四角形の金属の台に置かれていた。


 まるでフラスコ瓶をそのまま巨大化させたような容器であった。


 そしてその下にある金属の台からは、ホースやケーブル類が無数に延びており、博士の隣にある長方形の金属の箱に繋がれていた。


「まだ時間的には早すぎるぞ」


 博士はようやく顔を書類からクラウディオスに向けると、クラウディオスは「それでもいいよ」と目の前の巨大容器を眺めている。


 巨大容器の中には薄赤色の水が3分の2ほど満たされていた。


 それはクラウディオスと進之介が飛び込んだ古池の水と非常に酷似していたが、遥かに色素が薄い。


 透明な容器を通して見てもそれはよくわかる。


 赤く光り輝いていた古池の水は全く底が見えないほど濃密だったにもかかわらず、容器の中に満たされている水ははっきりと奥の部屋の様子まで見て取れるほど色素が薄かったのである。


 そんな巨大容器の中には、黒髪をした全裸の女性がぷかぷかと浮かんでいた。


 半開きになっていた目はすでに生気を失った死者の色をしており、すでに女性が死に絶えているのがわかる。


 そしてその女性は、この国の人間ではなかった。


 クラウディオスはそのことをよく知っている。


 ほんの数日前に自分が直に連れ去ってきたのだから。


「博士。早く見たい。早く見たいよー」


 クラウディオスは巨大容器を支えている金属の台を叩きながら、博士に何やら催促をしだした。


 博士は「まだ、早い」とクラウディオスを咎めても、クラウディオスは一向に催促の矢を打つのを止めなかった。


 やがて博士はクラウディオスの再三の催促に折れたのか、席からゆっくりと立ち上がると隣に設置してある金属の箱の元へ歩き出した。


 長方形の金属の箱には何やら様々なボタンが配置されており、博士はそのボタンを両手の指で巧みに押しながら操作していく。


 そして博士は最後とばかりに一つのボタンを押すと、金属の箱から延びているホースを伝って巨大容器内に明らかに濃度が高い赤い水が流れ始めた。


 クラウディオスの目の前の巨大容器内がごぼごぼと泡立ち、中に浮かんでいる女性の身体が見えないくらい真っ赤に染まっていく。


「うわ~、すごい! すごいな!」


 クラウディオスは自分の顔を巨大容器にべったりと貼り付け、歓喜の声をあげた。


 金属の箱の前で巨大容器内の様子を見ていた博士は、頃合いを見計らってボタンを再び操作する。


 不思議な光景だった。


 巨大容器内を満たしていた赤い水は、博士のボタン操作に従って再びホースを通って排水されていった。


 そしてすべての赤い水が排水されると、容器内には女性の姿ではなく何か鉱物のような結晶体が存在していた。


 見た目には水晶にも見えなくはないが、全体が濃密な赤で彩られた独特な雰囲気を醸し出している結晶体は、とても水晶とは思えなかった。


「いつ見てもオリハルコンの結晶体は綺麗だね」


 クラウディオスの目の前でルビーよりも赤く輝いて見えるオリハルコンの結晶体は、宝石とは異質な神秘の輝きを放っていた。


「くっくっくっ……」


 このときばかりは博士も笑いを堪えられなかった。


 巷ではまことしやかに流れているオリハルコンの噂。


 10年前に偶然アトランティス領内の金鉱山で発掘されたと言われていたオリハルコンだが、実は人間の身体を触媒にした実験の果てに得られる生命金属体とは民衆は夢にも思わないだろう。


 博士はゆっくりと巨大容器に近づいていくと、クラウディオスはオリハルコンの結晶体を眺めながら心酔している。


「そんなにオリハルコンの結晶体が好きなのか?」


 博士がクラウディオスに問うと、クラウディオスは勢いよく博士に振り向き金色に輝く両眼を拡大させた。


「うん、好きだよ! だってこれを見ていると胸がぎゅっと熱くなるんだ。何かね、その感じが堪らなく好きなんだよ」


 博士はフードを深々と被っていたので表情こそ見えなかったが、おそらく口を半開きにして笑っていたのだろう。


 フードの中からはくぐった低い声が聞こえていた。


 いい兆候だ。


 博士は心の底からそう思った。


 博士の目の前で無邪気に笑うクラウディオスは、普通の人間ではなかった。


 合成金属生命体――ホムンクルスと呼ばれる、オリハルコンの結晶体から造り上げた人間とは似て非なる生物であった。


 そしてアトランティス帝国がオリハルコンを活用して国防力を向上させた裏には、このホムンクルスの完成が絶対に必要不可欠であった。


 何故なら、ホムンクルスだけが〈アルス・マグナ〉を通って、この世界とは別の異世界ヘルメスへと旅立てるからだ。


「博士もオリハルコンの結晶を見ると嬉しいの?」


 クラウディオスは金色の双眸で隣に佇む博士を見つめると、博士は軽く頷いた。


「ああ、とっても嬉しいよクラウディオス。お前もまだまだオリハルコンの結晶体を見たいだろう」


 クラウディオスは何度も首を縦に振った。


「だったらまた次の満月にヘルメスへと旅立ち、彼の地の人間をこの世界に連れて来るんだ。オリハルコンの結晶体はヘルメスの人間でしか生成できないからな」


 クラウディオスは再度、首を縦に振った。


 この様々な人体実験の果てに生まれたホムンクルスという生物は、博士にとってもアトランティスにとっても生命線とも呼ぶべき大切な存在であった。


 多少知能に欠陥が見られたが、常人を遥かに凌駕する身体能力を持って生まれたことは博士にとって好都合だった。


 普通の人間よりも扱いやすい、忠実な人形のホムンクルス。


 博士はクラウディオスの肩にそっと手を置いた。


「クラウディオス、あまり城内をうろつくなよ。お前の存在を知っているのは陛下と僅かな将軍たちしか知らないのだからな」


「は~い」


 クラウディオスは返事とともにその場で天高く跳躍すると、空中で後転しながら博士の後方にふわりと着地した。


 助走もなしに下半身の脚力だけで数メートル後方に飛んだクラウディオスの身体能力は、常人には到底真似の出来ない異常な能力であった。


 クラウディオスは白い犬歯を剥き出しにすると、羽織っている外套と一緒に身体を翻した。


「じゃあ、もういくね。バイバ~イ」


 後ろ向きのまま手を振るクラウディオスに博士が視線を向けたとき、博士は声を上げてクラウディオスを呼び止めた。


「クラウディオス、背中のそれはどうした?」


「え?」


 博士の言葉で歩みを止めたクラウディオスは、自分の背中の位置を手でまさぐった。


「ああ、これ」


 クラウディオスの背中の位置にある外套には、横一直線に刃物で切り裂かれたような痕跡があった。


 だが切り裂かれているのは外套とその下の衣服だけで、生身の身体には一切の傷が残ってはいなかった。


 クラウディオスは博士に「何でもないよ」と言い放つと、闇と同化したかのように部屋の中から姿を消した。


 おそらく、クラウディオスは壁伝いに跳躍しながら研究室を出ていったのだろう。


 この地下研究室は一種のホール仕様になっていて、入り口というものが存在しない代わりに、屋外へと通じる螺旋階段が吹き抜けに続いている。


「くっくっくっ」


 博士はクラウディオスの姿が消えたことを確認すると、目の前にある巨大容器に激しく両の掌を叩きつけた。


 それでも全く壊れる様子もない巨大容器の中には、依然、オリハルコンの結晶体が神々しく光り輝いている。


「オリハルコン……オリハルコン……オリハルコン……」


 博士は巨大容器の中にあるオリハルコンの名前を、呪文のように何度も口にした。


「オリハルコンは確かに美しい……だが、私が造り上げたホムンクルスは、オリハルコン以上の造形美と機能美を兼ね備えた至高の芸術品だ」


 博士は狂おしく、そして高らかに笑った。


「いずれ私一人の力でオリハルコンを生成してみせる! そのときこそ、私はあの男を本当に超えたことになるのだッ!」


 悲痛な叫びにも似た博士の高笑は、いつまで止むことなく研究室内に木霊していた。

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