第9話   梓とアズサ

「これでいいでござるか?」


 進之介は物置部屋で着替えを終えると、両腕に今まで着ていた長着と袴を抱えながら隠し部屋に入ってきた。


「うわ~、似合う。似合うよ、シン」


 エリファスは着替え終わった進之介の格好を見るなり、感嘆の声を上げた。


 エリファスの後ろで見ていたバンヘッドも顎を擦りながら「ほう」と頷いた。


 進之介の上半身に着ていた服は正面にボタンが付いている白シャツであった。


 高級感の代わりに清潔感があり、肩や腰を回しても動きに支障がないことに進之介は驚いた。


 腰から下に穿かれていたのは、足の長さが確認できる黒の長ズボンである。


 今まで穿いていた袴とは違い、異国の長袴はどうも二本の足が確認できるのでしっくりとこない。


 進之介はおもむろに爪先を床に二、三度打ちつけた。進之介の両足には草履の代わりに革靴が履かされていた。


 足首から爪先までをすっぽりと隠してしまう奇妙な履物に、進之介は何度も不思議な目を向けていた。


 進之介は改めて自分の姿を確認する。


 全体的に感じたことは異国の格好はあまり気持ち良いものではなかったが、それは単に着慣れていないだけで、大刀と小刀を差している革ベルトという帯は今まで使っていた布帯よりも安定感があり好感が持てた。


 進之介の着替えが無事終了すると、本題とばかりにバンヘッドが口を開いた。


「それで、次はグラムの情報だったな」


 バンヘッドの言葉にエリファスが振り向いた。


「はい。父さんは今どこにいますか?」


 エリファスが真剣な表情になると、バンヘッドは木机の上にあったパイプを口に加えて火を付ける。


「結論から言うと、グラムはアトランティス城の中で研究に勤しんでいるはずだ」


「はずだ? バンヘッドさんは父さんに直に会っていないんですか?」


 バンヘッドは口から紫煙を吐き出した。


「当然だ。今のグラムはアトランティス帝国軍事科学研究所所長様だからな。昔の研究仲間と会う時間なんて無いんだろうよ」


「でも、父さんはアトランティス城にいるんですよね?」


「グラムに会いに行くつもりか?」


 エリファスは無言で縦に首を振った。


「悪いことは言わん、止めておけ。研究所の人間は民間人との接触を禁止されている。それに、どのみち城門の前で咎められるぞ」


「待ってください! 私は父さんの娘です。他人ではありません」


 二人の会話を後ろで聞いていた進之介は話の内容こそよくわからなかったが、エリファスが父親を訪ねてこの国に来たということだけは何となく理解できた。


「そうじゃない。噂は聞いているぞエリファス・グランゼ……いや、グラム姓のオリハルコンが本当の名前だったな。エリファス、お前アテナスの研究所から脱走したんだってな」


 バンヘッドの言葉にエリファスの身体が反応した。


「この国ではアテナス共和国の手配人には厳しいぞ。表向きとはいえ同盟関係を結んでいる間柄だからな。軍関係の奴らはまず容赦はしない。それにこの辺には賞金狙いのゴロツキも多い」


「そ、それは……」


 エリファスはちらりと進之介に視線を向けた。


 バンヘッドは進之介の顔を見ると、口内から煙草の紫煙を吐き出した。


「なるほど、そっちの兄ちゃんは体のいい傭兵ってわけか」


 エリファスは激しく首を左右に振った。


「違います。シンは私が盗賊に襲われたところを助けてくれた恩人なんです。その時に私は彼を騙すようなことを言っちゃって……それに、シンも私と同じ大切な人を探しているとわかったら……何か他人とはどうしても思えなくて」


 エリファスは進之介に申し訳なさそうに顔を下に向けた。


 そしてエリファスの意外な言葉に、進之介はずっと胸のうちにつかえていた〝何か〟が取れていくのを感じた。


 進之介は街道からゼノポリスに来るまでの間、ずっと疑問に思っていたことがあった。


 それは、なぜエリファスが自分に親切にしてくれるのかということであった。


 確かにエリファスは街道で助勢を頼む際に交換条件を持ち出したが、その時についた嘘はきちんと謝罪し、そのお詫びとしてエリファスは、この世界の状況や地理をできるだけわかりやすく教えてくれた。


 この時点でお互いの貸し借りは無くなったはずなのだが、何とエリファスはその後に自分から進之介の探し人である梓の捜索を手伝うと言い出したのである。


 エリファスも自分と同様に会いたい人間がいる。


 進之介はエリファスに抱いていた疑問が晴れていくと同時に、自分もエリファスのことが他人とは思えなくなっていた。


 進之介はエリファスの肩にそっと手を置いた。


「エリファス殿、もしよろしければ拙者も御父上を探すのに協力するでござる」


「え?」


 エリファスはゆっくりと振り向く。


「でも……シンにも迷惑かけちゃうよ?」


 進之介は真剣な表情で首を左右に振った。


「困ったときはお互い様でござる。エリファス殿は御父上を、拙者は梓様を、一人よりも二人のほうが成果も上がるというものでござるよ」


 進之介がそう言って優しく微笑むと、エリファスの表情がパアっと明るくなった。


「ありがとう、シン!」


 エリファスは嬉しそうに進之介の腕を取ると、ブンブンと上下に振って喜んだ。


 その光景を後ろで見ていたバンヘッドは、目を見開いて持っていたパイプを進之介に突きつけた。


「思い出した! 兄ちゃんを最初に見たときからどうも気になっていたんだが、そうだ、アズサ王妃に似ているんだ」


「!」


 エリファスと進之介は勢いよくバンヘッドに顔を向けた。


 バンヘッドは喉に刺さった小骨が取れたようなすっきりした表情で頷いていた。


 やがてエリファスがゆっくりと口を開いた。


「バンヘッドさん……そのアズサ王妃って?」


「ああ、今から1年前くらいか。現国王のアダム・アトランティスが突然婚約を発表してな。その相手がアズサという名前の異国の女だったんだ」


 進之介はよろよろとバンヘッドに近づくと、幽鬼のように青ざめた顔でバンヘッドの両肩を摑んだ。


「バンヘッド殿! そのアズサという女性の特徴はご存知でござるか!」


「お、おい、痛えよ。そんなに力入れて摑むんじゃねえ」


 バンヘッドは進之介の手を振り解くと、自分の両肩を擦った。


 進之介は恐ろしいほどの握力でバンヘッドの両腕を握っていた。


「背中まで届く黒髪に白い肌自体この国じゃ珍しいからな。全部が全部特徴だとは思うが……そういや、左側の唇の下に黒子があったな」


 バンヘッドのその言葉に進之介は確信した。


「間違いない、梓さまだ!」


 進之介は左手で二本の大小刀を固定すると、すぐさま振り返り部屋を出て行こうとした。


 だが、エリファスは進之介の背中の服を摑んで行動を制止させた。


「エリファス殿、手を離してくだされ!」


「駄目だよ、シン!」


 進之介は必死にしがみ付いているエリファスを振り解こうとしたが、エリファスは断固として手を離さなかった。


「シンの気持ちはわかるけど、闇雲に行動したところで捕まるだけだよ。そしたらシンの大切な人にも一生会えなくなっちゃうよ」


 進之介はエリファスの言葉の意味を理解したのか、走り出すのを止めてその場に立ち尽くした。


 エリファスは進之介の身体から力が抜けたのを確認すると、そっと手を離した。


「シン……」


 進之介の唇から下顎にかけて一本の線のように血が流れていた。


 進之介が下唇を悔しそうに噛み締めていたのである。


 進之介はエリファスにこの大陸の政治についても話を聞いていた。


 エリファスの話によれば、この近隣の国々の政治は国王と呼ばれる人間が自国を治めるという江戸幕府とよく似た政治体制であった。


 だからこそ、進之介はエリファスが自分を止めた理由にすぐ気がついた。


「エリファスが兄ちゃんを止めたのは正解だな」


 言ったのはバンヘッドである。


「もし兄ちゃんがここを飛び出して城に乗り込んでも門番の兵士に捕まって一環の終わりだっただろうよ。ただでさえ最近は東のポートレイとシェスタと戦争になるかもしれないって国事態が騒がしいんだ。血気で事に走るのは得策じゃねえよ兄ちゃん」


 途端に進之介とエリファスの表情が暗くなる。


 進之介は梓と会うために、エリファスは父親のグラムに会うためにアトランティス城にどうしても行く必要があった。


 しかし今の状況ではどうしようもなかった。


 バンヘッドの言葉の通り、一般人が城内に入城することは基本的に不可能であった。


 それに加えて進之介は身分素性が明らかではない異国の人間であり、エリファスは同盟国からの手配人である。


 二人がまともに入城することは絶対に不可能であったはずだが、


「……だが、うまくすりゃ城に入れるかもな」


 バンヘッドは天井を見上げながら煙草の紫煙を吐き出した。


「本当なの、バンヘッドさん!」


 バンヘッドの言葉を聞くなり、今度はエリファスがバンヘッドに詰め寄った。


 バンヘッドの胸元を両手で摑みながら激しく前後に揺さ振った。


「だから、少しは人の話を聞きやがれ!」


 バンヘッドはエリファスの両腕を振り解き、襟元を正した。


「さっきも言ったが、このアトランティスは東の領土を治めているポートレイとシェスタの二カ国と近々戦争になる雰囲気だ。それを見越してかどうかは知らねえが、1週間ほど前から志願兵の募集が行われてる」


「志願兵?」


 聞きなれぬ言葉に進之介が首を傾げた。


 一方、エリファスはバンヘッドの言いたいことがわかったらしい。


「それって、シンを兵に志願させて堂々と城内に入るってことですか?」


 バンヘッドは首を縦に振ったが、エリファスは首と両手を左右に振った。


「シンはいいとして私に兵なんて務まりませんよ」


「何言ってやがる。どのみちお前は手配人だから無理だろうが。お前は目一杯変装して兄ちゃんの雇い主として一緒に同行するんだよ。うまくいけば二人とも無事に城内に入れるかもしれねえ。それに俺が見たところ、そっちの兄ちゃんは相当腕が立つだろう。俺はこの国に来て以来、この裏通りで腕が立つ奴相手に武器や情報を売って暮らしてきたんだ。強い奴は見ただけでわかる」


 バンヘッドの言葉にエリファスは考え込んだ。


 普通の方法で城内に入れないとなると、これは千載一遇の好機かもしれない。


 しかしその中にも不安なこともあった。


 自分は賞金を懸けられている手配人であるし、進之介はこの世界の人間かどうかもわからない。


 おそらく、自分の正体が判明したら進之介ともども命はない。


 エリファスは元より国を抜け出した時点で覚悟を決めているが、進之介は別である。


 基本的にどこの国も一般兵志願者は身分不相応の輩が多いので、進之介は遠い異国から来たとでも言えば大丈夫であろう。


 だが雇い主が犯罪者であった場合、雇われ主も同様の処罰を受けることになるからだ。


「私はシンの雇い主ですか?」


「雇い主だろうが何だろうが、お前たちは城内に入りたいんだろう? 兄ちゃんが晴れて城に召抱えられれば王妃の謁見もあるかもしれんし、グラムにも会えるかもしれねえ。どっちにしろ打つ手がない現状よりは遥かにマシだと思うぞ」


 エリファスは振り返り、進之介の顔を見た。こればかりは自分の一存では決められないことである。


「シンはどう思う? 万が一、私の正体がバレたらシンも一緒に処罰されちゃうよ。それなら私と一緒にいるよりはシン一人だけのほうがいいかもしれない」


 進之介は〈神威〉を鞘から少しだけ抜くと、鍔の音が響くように瞬時に納刀した。


 すでに進之介の腹は決まっている。


「エリファス殿、一蓮托生という言葉をご存知でござるか。お互いまだ知り合って間もない身でござるが、拙者自身エリファス殿の気持ちはよくわかる。ここまで来たら最後まで協力し合おうでござる」


「シン」


 嬉しそうに顔をほころばせたエリファスの後ろで、バンヘッドもニカッと口を半月形にさせると、


「じゃあ決まりだな。入隊試験は2日後だ。それまではここで好きなだけ寝泊りしな。ただし料金は頂くぜ」


 そう言ってバンヘッドが吐き出した煙草の紫煙は、綺麗な輪になりながら虚空に消えていった。

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