第10話   超金属オリハルコン

 日の光が神々しく部屋の空間を明るく彩っていた。


 見上げると恐ろしく高い天井には天使と悪魔の姿が濃密なタッチで描かれていて、床は歩くたびに乾いた音を立てる石床の造りになっている。


 そこは巨大なホールであった。


 左右の壁は透明な硝子製になっており、城下であるゼノポリスの景色を一望できる。


 その硝子壁を通して、日の光がホール内に斜線となって入ってくるのである。


 そしてこのホールには装飾らしい装飾は天井の絵画だけであったが、不思議にも無骨な印象は感じられなかった。


 それはホールの奥――玉座に座っている一人の男から放出されている高貴な雰囲気が、ホール内に装飾品を必要としない美を醸し出していたのかもしれない。


 玉座に座っている男の年齢は二十四、五ぐらいだろうか。


 髪全体は雪のような白髪で、垂れ下がっている二つの前髪は顎まで届くほどに長い。


 また、男が纏っている衣類は宝石と同等の価値があるような映える紫衣。


 さらにその上から白の外套を羽織っており、それがまた男の優美さを強調していた。


 そして玉座に座っているということは、男は間違いなくこの国の象徴とも呼べる人物であった。


 だが男の顔貌からは厳格な雰囲気は微塵も感じられず、その代わり、春風のような柔和な笑顔が綺麗におさまっていた。


 白髪の男はまるで湖畔のほとりで森林浴を楽しんでいるように安らいでいると、静寂に包まれていたホール内に乾いた音が鳴り響いた。


 ぱりっとした黒服を纏った初老の男が、白髪の男に近づいてくる。


「アダム陛下、キース様がご到着なさいました」


 アダムと呼ばれた白髪の男は、ニコリと笑いながら頷いた。


「わかりました。通してください」


 初老の男は頭を下げると、ホールの入り口のほうに歩いていく。


 ほどしばらくすると、軽快な足運びでアダムに近づいてくる男がいた。


 銀色の髪が印象的な優男で、上半身には神鎧と呼ばれる赤い光沢を放つ鎧を纏っている。


 アテナスより帰還したばかりの白獅子騎士団団長キース・ワグナーである。


 キースはアダムから三間ほど手前で立ち止まると、片膝を床に付けながら一礼した。


「お久しぶりでございます、アダム陛下。白獅子騎士団団長キース・ワグナー、此度のアテナス遠征より無事帰還いたしました」


 アダムはキースの帰還挨拶に笑みを浮かべながら頷いた。


「久しぶりだね、キース。どうでしたかアテナスは?」


「はい。アテナス側は相変わらずです。これからもアトランティスと友好を深めていきたいということだけを強く要求してくるだけで、まったく手の内を見せようとは致しません」


 アダムは鷹揚に頷いた。


「彼らが欲しいのは友好ではなくアトランティスのオリハルコンだからね。今は様子見というところかな」


「おそらく」


 アダムは玉座から立ち上がると、硝子張りになっている壁に歩いていく。


 アダムの眼下にはゼノポリスの街並みがどこまでも広がっていた。


「わかりました。貴重な報告感謝しますよ、キース。ゆっくり休んで旅の疲れを癒してください」


 キースは立ち上がりアダムに一礼すると、


「そういえば陛下」


 キースは何かを思い出したようにアダムに視線を向けた。


「私が遠征中に御結婚されたと聞きましたが」


「ん? ああ、君にはまだ言ってなかったかな」


 アダムは半ば恥ずかしそうに苦笑した。


「正直、僕にはもったいないほどの女性でね。異国の人間だが、彼女こそこれからのアトランティスには必要な人間かもしれない。そう思ったからこそ結婚を決めたんだ」


「陛下がそれほど仰られるとはよほどの女性なのでしょうね」


「近いうちに君にも紹介するよ」


「わかりました。その日を楽しみにお待ちしています」


 キースは再度アダムに一礼すると、入室してきた時と同じ軽快な足取りでホールから退室していった。


「さて」


 アダムは硝子張りの壁から身を翻すと、玉座の後ろにある扉に向かって歩き出した。


 扉を開けてホールを出ると、床には赤い絨毯が敷き詰められている専用の細長い通路へと躍り出た。


 左右の壁は無機質な灰色の石壁で、装飾品の類の代わりに等間隔にランプが取り付けられていた。


 アダムは細長い通路を歩きながら、これからのアトランティスの行く末を気にしていた。


 このシャーセイッド大陸には実に大小無数の国々が存在するが、大きく分けて勢力は西のアトランティスとシルバ。


 東のポートレイとシェスタに分類されていた。


 しかしシャーセイッド大陸の中心には、文字通り大陸を二分するドラグロア山脈が上から下に向かって連なっており、西と東にはあまり交流がなかった。


 例え西と東が戦争状態に陥ったとしても、広大無辺なドラグロア山脈が大量の物資や人間の侵入を拒んでしまうのである。


 では海からなら船を使っていけるのではないか? 


 そう思っても、この大陸にはそれを実行する船乗りは誰一人としていない。


 なぜならば、大陸の北の海域は無数の潮渦がひしめき合っている魔の領域で、南の海域もまた違った意味で航行が不可能な場所だったからだ。


 南の海域には潮渦はそれほど多くはないのだが、代わりに槍のように尖った岩礁が無数に存在しているため、この海域に不用意に足を踏み入れた船は一瞬で座礁して海の藻屑へと消え去ってしまうのである。


 だからこそ、今までは西と東が戦争になるということがなかった。


 もし反対側の領域を支配しようと大量の軍隊を揃えたとしても、目的地に着くまでには半分以下の勢力にまで減少する可能性が高いからだ。


 しかし近年、この暗黙の状態に変化が見られてきた。


 10年前、シャーセイッド大陸の南西に国を構えるアトランティスは、北西に国を構えていたシルバを攻め落とした。


 これ自体は何もおかしなことではなかった。


 単に東と西は争わなかったというだけで、西の領域内、東の領域内に存在する国の小競り合いは昔から行われていたことである。


 けれども、このときほどシャーセイッド大陸全体が震撼したことはなかっただろう。


 アトランティスは当時のシルバが保持していた軍備の五分の一たらずの戦力で、シルバを瞬く間に攻め落としたのである。


 この噂が疾風の如くシャーセイッド大陸全域に広まると、他の国々の王たちは急ぎ事態の究明に乗り出した。


 いつの間にアトランティスは、圧倒的な戦力を整えられることが出来たのか。


 その真相に各国の王たちが辿り着いたとき、一つの金属の名前が浮かび上がってきた。


 金属の名前はオリハルコン。


 それは、今までに見たことも聞いたこともない特殊な金属であることがわかった。


 純粋な状態では金属特有の硬さはなく、むしろ生き物のような柔らかさを保ち、他の金属と合金化をすれば信じられないような硬度と軽度を兼ね備えた万能な能力を発揮するという超金属。


 アトランティスはこの超金属オリハルコンを使って国防力を向上させただけではなく、オリハルコンの特性を生かした装飾品を海外に輸出し、国庫をも潤わしたのである。


 最早、西の領域ではアトランティスに反旗を翻す国は皆無となっていた。


 そしてそれは東の領域も同じかと思われたが、


「そう簡単には納得しませんよね」


 アダムは通路を歩きながらぼそっと呟いた。


 オリハルコンの神秘性と、実用性を目の当たりにしたのは、主に西の領域の国々である。


 情報がほとんど隔絶した状態の東の領域の国々では、オリハルコンの噂は広まったとしても直に見たことがある人間は極少数であった。


 その中で遂に東のポートレイとシェスタの二大大国は互いに同盟関係を結び、アトランティスに対して宣戦布告したのである。


 理由は至極簡単に予想できた。


 オリハルコンである。


 ポートレイとシェスタは互いに同盟を結んでまでも、超金属オリハルコンの正体を摑みたいのだろうというのがアダムの見解であった。


 今までの常識を超えるモノに魅せられる人間の性。


 そのためには血で血を洗う戦争すら厭わない。それはアダム自体もよくわかっている。


 そして一国の王である自分がしなければいけないことは、この国の平穏を永遠に守らなければいけないということであった。


 その為には、悪魔に魂を委ねることも躊躇わない。


 アダムは長かった通路を歩き終えると、一つの扉の前で立ち止まった。


 赤い光沢を放つ金属製の扉には、アトランティスの紋章である黄金の鷹が彫られていた。


 アダムは軽く扉をノックする。


「入るよ」


 アダムが扉を静かに開けて部屋の中に入ると、テラスの中で小鳥たちと戯れている黒髪の女性の姿が目に入った。

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