第7話 異世界情緒
「おお……何と」
進之介は目の前に広がる光景を見るや、感嘆の言葉を口にした。
「さすがシャーセイッド大陸一の首都だね。賑わいがまるで違うよ」
進之介の隣にいたエリファスも、あちこちを眺めながら満面の笑みを浮かべていた。
進之介とエリファスの二人は、シャーセイッド大陸の南西側に位置するアトランティス帝国の首都――ゼノポリス内の歩道を寄り添うように歩いていた。
二人の目の前には行商人たちが所々に露店を出しており、宝石や古書、日用品から武器や防具などといった実に様々な品物を売買していた。
江戸の町並みと比較しても遜色のないほどの活気であったが、進之介は好奇な目を抑えられなかった。
進之介とエリファスの二人が歩いている歩道は石畳で綺麗に舗装された大通りであり、歩道の脇に並んでいる建造物群は木造ではなく石で出来ていた。
木造の町並みに見慣れていた進之介にとって、この街の光景は神秘以外の何物でもなかった。
そしてそれ以上に進之介が驚いたのは、街の中にいる人間たちであった。
進之介と同じ顔の作りをした人間は一人も見当たらず、代わりにエリファスと同じ金色の髪をした人間もいれば、肌が真っ黒の人間が平然と街の中を歩いているのである。
「どうしたの? シン」
周囲を見渡していた進之介にエリファスは声をかける。
「いや、やはり拙者が住んでいた江戸とはまったく違う場所のようでござる」
「そっか。やっぱり世の中は不思議に満ち溢れているんだね。最初に光とともにシンが現れたときは、もしかしたら神様じゃないかって思ったんだけど」
苦笑するエリファスを横目に見ながら、進之介は肩をすくめた。
「エリファス殿」
「ん? 何?」
進之介は自分の胸元くらいの背丈であるエリファスを見下ろし、このゼノポリスまで来る途中に散々訊いた言葉をもう一度口にした。
「本当に黒装束の男のことは何も知らないのでござるか?」
エリファスは申し訳なさそうにポリポリと鼻先を掻いた。
「ごめんね。何度も言ったけど、まったく全然これっぽっちも知らないんだよね」
進之介は無言で肩を落とした。
進之介が街道でエリファスに助太刀をした条件とは、時坂神社で一戦交えた異人の男の居所であった。
確かにその時のエリファスは知っていると答えたのだが、実のところそれは口からでまかせを言っただけで、本当は男の居所どころか顔すら知らないという。
エリファスは名前を聞けば何かわかるかもしれないと訊き返してきたが、黒装束の男は時坂神社では異国の言葉を喋っていたので、進之介は男の名前がわからなかった。
仕方なく進之介は街道にてエリファスにこの場所は何処だと訊いたのだが、返ってきたエリファスの言葉に首を傾げた。
エリファスや盗賊たちと出遭った街道はアトランティス帝国と呼ばれる国に通じるマールクス街道で、ここはシャーセイッドという巨大大陸ということであった。
進之介はこの時点で話についていけなかったのだが、エリファスが助けてくれたお礼と騙した罪滅ぼしなのか、あまりにも親切丁寧に地理について教えてくれるものだから、進之介は口出しせずに最後まで大人しく話を聞いていた。
エリファスが詳しく場所や国について教えてくれた後、やはり進之介は軽い眩暈に襲われた。
神威一刀流の極意と剣技を修め、目の前で人が斬られたとしても心臓の鼓動を乱さない精神力の持ち主であった進之介でさえ、エリファスの口から出た言葉は最初から最後まで信じられない内容であった。
混乱する頭で必死に状況を整理した進之介が理解したことといえば、自分がいる場所は住んでいた江戸とはまったく無縁の異国で、なぜかその異国の言葉を自分が喋れるようになってしまったということだけであった。
ゼノポリスの街並みを見て一層それを強く確信してしまった進之介に、エリファスはニコリと笑みを見せた。
「あんまり気にしないほうがいいよ。人間は精神が肉体を支配しているんだから、精神にばっかり負荷をかけすぎると病気になっちゃうよ」
『病は気から』と言っているらしく、進之介はエリファスが話す言葉の節々に日本の言葉と共通する内容があることはわかったが、それでも今の進之介にとっては気休めくらいにしかならず、根本的な解決には結びつかなかった。
「やはりあの男だ」
小さく呟いた進之介の言葉にエリファスが反応する。
「黒装束の男のこと?」
進之介は頷いた。
進之介がこの大陸に来てしまった原因は、間違いなく時坂神社の境内で赤く光っていた古池しか考えられなかった。
境内で命を懸けて仕合った黒装束の異国の男。
おそらく、〝神隠し〟の正体であり、梓を攫った張本人に間違いないだろう。
そんな黒装束の男は夜鷹とおぼしき女を担ぎながら古池の中に消え、進之介は男の後を追って古池の中に飛び込んだ。
そして気づいてみれば、進之介はあの街道に立っていたのである。
信じがたい内容の出来事だったが、それらが夢幻ではないことは進之介の視界に映っている光景が如実に語っていた。
進之介の前髪をかすかに揺らす柔らかい風も、石で舗装された歩道を草履で歩いている感触も、様々な人種で賑わっているゼノポリスと呼ばれる街の活気も、間違いなく現実の出来事として存在していた。
進之介はそんな現状に頭を抱えてはいたが、同時に一縷の望みも少なからずあった。
古池を通じてまったく別の場所に来てしまったというのならば、あの黒装束の男も間違いなくこの近辺にいるはずであった。
なぜなら、あの男が最初に古池に飛び込んだからだ。
そして異国の言葉を喋っていた男から聞き取れた梓の名前から、もしかしたら自分と同じこの場所に梓も来ているかもしれないという望みが出てきたのである。
それを確かめるためにもあの男を捜さなくてはならなかったのだが、肝心のエリファスが知らないとなると、進之介には打つ手がなかった。
江戸の町並みですら完全に把握できていなかった進之介が、異国の地理について知っているはずもなかった。
進之介は隣にいるエリファスに視線を向けた。
結果的には騙されてしまった進之介だったが、嘘をついた罪滅ぼしとして黒装束の男を一緒に探す手伝いを申し出てくれたエリファスに感謝していた。
そんな進之介をゼノポリスに行こうと誘ったのがエリファスである。
エリファス自身、このシャーセイッド大陸からさらに海を隔てた場所にある――アテナス共和国と呼ばれる国から来たのだということであったが、何が目的なのかもアテナスがどこにあるのかも進之介は知らない。
ただ、エリファスは自分よりもはるかにこの世界の地理について詳しいはずである。
それだけでも進之介にとっては何よりも心強かった。
「ねえ、シン」
エリファスは少し困ったような顔で進之介に話しかけてきた。
「エリファス殿、これも何度も申し上げたが拙者の名前はシンではござらん。片桐進之介でござる」
「ええー、何か言いにくいよその名前。絶対シンのほうが呼びやすいよ」
街道からゼノポリスまで同行することになったエリファスは、進之介のことをシンと呼び続けていた。
どうもエリファスには、シ・ン・ノ・ス・ケ、と呼ぶことに抵抗があるらしく、シンという名前のほうが比較的呼びやすいという理由からであった。
逆に進之介にはどうもその呼び方が気になった。進之介だからシンだということは何となく理解できたが、やはり国の違いなのかと奇妙な気持ちになってしまう。
二人はそんな他愛もない話を繰り返しながら歩道を歩いていると、急に周囲の空気が一変したことに気がついた。
「何だ?」
進之介は周囲を見渡した。
露店を出している行商人たちは店先に並べている品物を急いで店の奥に仕舞い込み、進之介たちと同様に歩道を歩いていた人間たちは顔色を変えて歩道の脇に集まり出した。
まるで歩道の真ん中を大名行列が通るようなざわつきである。
「やばいっ!」
とエリファスが声を漏らすと、進之介の裾を握りながら路地裏まで進之介の身体を引っ張っていった。
「エリファス殿?」
進之介は訳もわからず路地裏に引っ張られると、エリファスの顔色が一変していることに気がついた。
先ほどまでは桃色に薄く紅潮していたエリファスの肌が、今では青ざめていたのである。
エリファスは路地裏の壁側に背中を預けると、首だけを出して歩道の様子を窺った。
進之介も何が起こっているのか気がかりになり、エリファスと同様に首だけを歩道に出して様子を窺った。
二人は身長差が違うため、お互いの首がちょうど縦に並ぶような形になっている。
それは大名行列の比ではなかった。
白銀の鎧を全身に纏い、体格のよい巨馬に跨っている二百人ほどの異形の集団が、一糸乱れぬ二列になって歩道を闊歩してきたのである。
進之介は食い入るようにその光景を眺めていた。
馬に跨っている人間たちは太い鞘に納まっている長剣を腰に吊るし、見るからに屈強そうな人間たちであった。
侍や武者ではなく、この世界では騎士、または重槍騎士と呼ばれている人間たちだとエリファスから聞いていた。
そしてその雰囲気から嫌でもわかる。
精悍にして獰猛な空気を放出させている人間たちが、完全に一つに統率されているのだ。
戦国時代の荒武者でもここまで凄まじくはないだろうと、進之介の背中にはじんわりと冷たい汗が滲み出てきていた。
その騎士団の中でも、特に進之介が気になった騎士がいた。
一糸乱れぬ二列で隊列を組んでいる中で、唯一、列をはみ出して馬に跨っている若そうな騎士。
他の騎士たちは顔が確認できないような兜を深々と被っているのに対して、その男は顔を兜で隠してはいなかった。
銀色の短髪の一本一本が価値のあるような神秘的な輝きを放ち、体格は他の騎士たちに比べると華奢にも見える。
頬は細く顎の先端が尖っており、女性のような顔立ちの中にも鷹のような鋭い双眸を兼ね備えていた。
そしてその男だけは白銀ではなく赤い光沢を放つ鎧を上半身に纏い、右腰に吊るされている剣は枯れ木のように細い。
エリファスの話だと、〈細剣〉と呼ばれる主に刺突用の剣として知られているのだという。
進之介はそっと〈神威〉の柄に右手を掛けた。
熱い。
朱色をした柄だけではなく、〈神威〉全体が炎にでも当てられているかのような熱を帯びていた。
銀髪の男を見た瞬間に感じた胸騒ぎと何か関係しているのだろうか。
「あいつらアトランティス帝国の海外遠征部隊だ。たしか名前は白獅子騎士団とか言ってたっけ」
エリファスは恐る恐る口にしながらも、歩道を馬で闊歩している騎士団に目が釘付けになっている。
「詳しいでござるな、エリファス殿」
「そりゃそうだよ。あいつらの遠征先はアテナスだもん。言ったでしょ、私はアテナスから来たって」
アテナス共和国――シャーセイッド大陸より遥か西にある、エルシア大陸に存在する巨大国家の総称であった。
エリファスの生まれ故郷だというこのアテナス共和国はアトランティス帝国と同盟関係を結んでおり、お互いの騎士団や特使を派遣して友好を深めているらしいが、
「そんなの嘘っぱちだよ」
エリファスは恨めしそうに騎士団の行列を見ながら舌打ちをした。
「嘘、でござるか?」
進之介が下を向くと同時に、エリファスが上を向く。お互いの視線が綺麗に重なる。
「そうさ。アテナスはアトランティスに友好なんて粗末な物を望んじゃいない。奴らが欲しいのは戦争の武器なんだよ」
進之介は相変わらずエリファスの言葉の意味はあまりよくわからなかったが、エリファスが言うにはアトランティスはアテナスには存在しない武器を所持しているらしく、その武器を究明するために形だけでも友好関係を結んでいるとのことだった。
戦いにおいては異国も同じか。
進之介の頭に一瞬過ぎった言葉である。
戦いにおいて、一番重要なことは情報である。
進之介たち武芸者にとってもそれは同じであった。
自分の技を相手に知られ、その技の対抗策を練られることほど恐怖に感じることはない。
だからこそ剣士は一生を通じて無闇に刀を抜かず、しかし一度刃を交えることになった相手は必ず斬らねばいけなかった。
自分の技の情報が相手に漏洩することは、すなわち死に直結するからだ。
これが国家規模であれば、確かに無闇に戦いを仕掛けるわけにはいかない。
表向き友好関係を結んではいても、裏では虎視眈々と相手の秘密を獲得することに命を賭けるであろう。
だが、進之介にはどうもよくわからなかった。
「拙者たちがこうして隠れる理由があるのでござるか?」
「大アリだよ! この国ではまだそんなに私の手配書は出回ってないけど、アテナスに遠征していたあいつらは私の顔を知ってるだろうし……それに」
エリファスは進之介の顔から視線を落としていくと、進之介の胸元の辺りをじっと凝視した。
進之介は自分の胸元に何か付いているのかと、視線を自分の胸元に落とした。
「多分……そのままだとシンも捕まるよ」
進之介の胸元には、大きくて赤い模様のような染みが付着していた。
血である。
それは街道で、シムドを斬った時に浴びた返り血の跡であった。
血の跡は長着だけでなく袴にも付着していたが、袴は布地が黒であったのであまり目立つことはなかった。
問題は上半身に着ていた長着であった。
街道近くの小川で丁寧に洗い流したが、人間の血液というのは中々落ちるものではない。
そして、白地に赤は相当に目立つ。
ゼンポリスに入ってからというもの、進之介は周囲の人間を好奇な目で見ていたが、逆に周囲の人間も別の意味で進之介を好奇な目で見ていた。
進之介の珍しい顔の作りや衣装に目がいったということも考えられるが、10人に7人は進之介の胸元を見ていた。
おそらく、何の模様なのか気になっていたのだろう。
「先刻もそのことを言おうとしたんだけど、ちょうど騎士団のやつらが帰国した所に出くわしたから言いそびれた。早くその服をどうにかしないと巡回中の兵士にでも見つかったら面倒だよ」
ではどうすれば?
と言いたげな表情になった進之介に、エリファスは「衣装替えだね」と微笑んだ。
「シンもこっちの世界の住人にならないと」
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