第6話 元騎士VSサムライ
シムドに向かって鋭い眼光を放つ進之介の横では、固唾を呑んで状況を見守っているエリファスがいる。
できれば、エリファスはこの時点でシムドには自分を追うのを諦めて欲しかった。
「どいつもこいつも役にたたない奴らばかりだ」
シムドはため息とともに不満を漏らした。
同時に、シムドの身体からは陽炎のような殺気が湧き上がる。
進之介はシムドの殺気を明確に〝視〟ると、初めて〈神威〉の柄に手を掛けて抜刀する構えを取った。
「変わった構えだな。貴様の国の剣技か?」
シムドは左腰に携えられていた長剣の柄を握り締めると、静かに長剣を鞘から抜いた。
シムドが持つ長剣の刀身は反りがある片刃の日本刀とは違い、反りがない白銀に輝く両刃の長剣であった。
その長剣は切れ味よりもただ頑丈に鍛えられている印象が窺えたが、決して駄剣ということではなかった。
ようは遣い手次第である。
そして、シムドは間違いなくその遣い手の一人であった。
それはシムドと対峙した進之介自身がよくわかった。
シムドの全身から湧き上がっている殺気が、シムドの身体中を淀みなく流れているのが〝視〟えるのである。
「名を訊いておこうか、異国の剣士よ」
シムドは静かに抜いた長剣を両手で握り締めると、顔面右横の位置に堂々と構えた。
その構えは初太刀に全身全霊を賭ける、薩摩示現流〈
「相手の名を聞くときは、まず自分から名乗るものだ」
進之介は腰を落として居合いの構えを取ると、左の親指で鯉口を切った。
「なるほど、どの国でも礼儀は同じか。いいだろう。俺も落ちぶれたとはいえ元騎士だ。礼儀には礼儀を尽くす」
シムドの殺気は徐々に凄さを増していき、身体全体に纏っていた殺気は顔面右横に構えている長剣に向かって流れていく。
「元アトランティス帝国・黒龍騎士団、シムド・タルミアス――いざッ!」
シムドは名を名乗ると同時に、勢いよく大地を蹴って疾駆した。
「神威一刀流、片桐進之介――参るッ!」
進之介も名乗りながらシムドと同じく大地を蹴って疾駆した。
二人の距離が一気に縮まる。
「ぬあああああああ――ッ!」
裂帛の気合とともに、シムドの剛剣が進之介の頭上に向かって振り下ろされる。
進之介は頭上から振り下ろされる白刃を右に躱しつつ、シムドの顔面に向かって〈神威〉を抜刀した。
虚空に交じる二つの剣閃。
進之介はシムドの剣を躱していたが、進之介が放った剣もシムドには避けられていた。
シムドは自分の顔面に放たれた電光の如き抜き打ちを、上半身を後方に倒すことにより躱していた。
見た目からは想像も出来ない恐るべき反射神経と柔軟性の持ち主であった。
進之介は必殺の抜き打ちを躱されると、すぐさま右手一本で抜刀した〈神威〉を両手に持ち替え下から跳ね上げた。
そうすればいくらシムドが柔軟な身体の持ち主であれ、避けられることはできないと読んだのである。
「あまいッ!」
シムドは進之介の剣を避けなかった。
それどころか、自らの上半身を進之介が跳ね上げてきた剣に向かって容赦なく晒してきた。
ギイイイン、という甲高い音が鳴り響いた。
進之介は両手に広がる痺れに顔を歪ませながら、後方に跳躍してシムドと距離を取った。
二人の闘いを傍観していたエリファスは、あまりの早業に何が起こったのかさえ目視できなかった。
「残念だったな、異国の剣士。お前では俺は斬れん」
シムドは自分と距離を置いた進之介を見ながら、自分の胸元を拳で叩いた。
鎧である。
進之介はシムドが上半身に着用している白銀の鎧を斬りつけていた。
もちろん、偶然ではない。
進之介が追い討ちを仕掛けてきた刹那に、シムドが鎧を斬りつけるように自分の身体を操作したのである。
進之介は激しく動揺しながら〈神威〉の刀身に目を見やった。
〈神威〉の刀身に刃毀れ一つないことを確認すると、進之介は安堵の息を漏らした。
刀という物は構造上非常に脆い剣である。
鉄などの金属類を刀で斬りつけた場合、いとも容易く刃毀れするか折れてしまう。
しかしそんな刀を使用し、台に固定された鉄兜を斬る「兜割り」と呼ばれる技法も存在していた。
だが、それはあくまでも表演としての技法であった。
実戦ではそう上手くはいかない。
きちんと刃筋を通さなければ畳一枚斬れない刀である。
常に相手が動いている状態の実戦では、鉄の兜どころか生身の身体に刃筋を通すのも難しい。
それだけ刀は扱いが非常に困難な剣であった。
ましてや、進之介が手にしているのは神威一刀流後継者に渡される宝刀である。
絶対に折ってはいけない剣であった。
「後悔しても遅いぞ」
シムドは〈蜻蛉〉のような構えを取りながらじりじりと間合いを詰めてくる。
その表情には笑みこそ浮かんでいたが、決して油断はしていない。
野生の獣が獲物を狩るときには全力を尽くすように、勝負とは最後まで何が起こるかわからないことを経験している人間の足運びであった。
進之介は呼吸を整えながら正眼に剣を構えた。
どうする。
進之介は考えた。
シムドの剣術の腕前は他の三人とは桁が違っていた。
それに加えて、相手を軽んじている雰囲気が微塵もないのである。
進之介は改めてシムドを観察した。
自分よりも頭二つ分くらい背が高いシムドには、真正面から首を狙ったとしても躱される可能性が高い。
胴体を狙うにもシムドは上半身に鎧を着込んでいるので、むやみに剣で斬るわけにはいかない。
刃毀れしてしまうか、刀身自体が折れてしまう。
だとしたら狙うべきは剥き出しの手足なのだが、それ自体も困難だと進之介は察した。
進之介が見たところ、シムドの長剣は五寸三尺(約100センチ)以上もある長大な両刃長剣であった。
その長剣を軽々と振り回すシムドの怪物的腕力もさることながら、縦横無尽な角度からでも斬撃を放てるシムドの腕前が十二分に手足の防御を担っているのである。
「チェイッ!」
シムドの双眸が異様な輝きを帯びた瞬間、進之介の胴体に烈風のような連続突きが放たれた。
信じられない遠間から空気を裂いて放たれるシムドの突きを、進之介は身体を開いて左に躱した。
だが、シムドの攻撃は止まらない。
突きを躱されるや否や、シムドは驚異的な腕力を駆使して片手で長剣を薙ぎ払ってきた。
金属と金属がぶつかる鈍い音が鳴り響いた。
「くっ!」
進之介は咄嗟に〈神威〉で防御したが、シムドの長剣から伝わる膂力により身体ごと吹き飛ばされた。
「やばい……かな?」
エリファスは呆然と二人の闘いを傍観していたが、さすがに進之介のほうが不利ではないかと思うようになっていた。
傍から見ているとよくわかるが、二人の体格はそれこそ大人と子供のような差がある。
二人が手にしている剣にしても、長さや強度においてシムドのほうが有利に見えた。
エリファスの不安をよそに進之介のほうは身体を吹き飛ばされたが、何とか踏みとどまり体勢を整えていた。
進之介とシムドは再び対峙した形になった。
シムドはすでに長剣を顔面右横に構え、今にも進之介に飛び掛っていきそうな形相をしている。
進之介は長い息を吐き出すと、〈神威〉を握り締める両手に力と意識を集中させた。
あれしかない。
進之介の脳裏には、打つ手がない今の状況から脱するための秘策が浮かび上がってきた。
進之介はゆっくりと〈神威〉を大上段に構えた。
今まで修練を繰り返してきた自分の腕と、宝刀と呼ばれた〈神威〉を信じて。
「おおおおおおお――ッ!」
シムドは殺気という名の暴風を纏いながら進之介に突進していった。
おそらく、シムドには数瞬後に進之介を斬り伏せている映像が見えていただろう。
傍から見ているエリファスにも、シムドと同様の映像が見えていたかもしれない。
すなわち、進之介がシムドの長剣に斬られる映像である。
その間にもシムドは一切の構えを崩さず踏み込んでいく。
そして、シムドの雷光と化した白刃が進之介の身体目がけて落ちていった瞬間――
「あっ!」
エリファスは思わず声を漏らした。
シムドの長剣は見事に振り下ろされていた。
その長剣の切っ先は地面をも深々と切り裂いており、まともに受ければ人間の五体など真っ二つに割れるほどの威力が込められていたのがわかる。
では、進之介は無残に斬られてしまったのか?
エリファスは進之介の身体に目を向けると、進之介の剣もいつの間にか地面に向かって振り下ろされていた。
だが、長さが足りないのか地面には剣の切っ先が届いていなかった。
エリファスは目を細めて二人を交互に見つめた。
すると、シムドの腰の辺りからは地面に向かってポタポタと滴り落ちる水滴が確認できた。
最初は水かとも思ったエリファスだが、よく見るとそれは水ではなかった。
長剣を振り下ろしている状態で静止していたシムドの身体が、小刻みに震えだした。
「そ……その剣……まさか……オリハル……コン」
シムドの身体には、額から股間にかけて一本の線が浮かび上がってきた。
そしてその線からは勢いよく鮮血が噴出し、シムドの目の前にいた進之介の身体は返り血で真っ赤に染まった。
シムドは進之介の剣により、身体を真っ二つに斬られて絶命した。
進之介はシムドの巨体を縦に割った〈神威〉の刀身を顔の高さにまで持ってくると、その異様な輝きに目を奪われた。
美しいほどに白銀に輝いていていた直刃の刀身が、紅一色に染まっていたのだ。
月明かりの中、エリファスは自分を抱きしめるような格好をしていた。
屈強な盗賊たちを倒してのけた剣士を前に、エリファスは全身に広がる肌の粟立ちと高揚を抑えられなかった。
それは、単純に恐怖からくるものではなかった。
16年の人生の中で始めて出逢った――体格差を凌駕する本物の剣士。
恐怖が微塵もないといえば嘘になる。
けれど、その恐怖を遥かに上回る好奇心がエリファスの心をひたすらに突き動かしていた。
二人の頭上に青白く輝いていた満月は、いつの間にか血のように赤く染まっていた。
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