第5話   片桐進之介の実力

 片桐進之介は、エリファスや盗賊たち以上に困惑していた。


 進之介の視界には四人の男たちの姿が映っていた。


 進之介から見た正面には、禿頭の大柄な男と総髪の小柄の男。


 右側には白銀の鎧を着こなしている長髪の男。


 左側には黒い布服を着た男が、両腰にぶら下げられている短剣に手を置いて身構えている。


 その四人全員が怪異な目付きで進之介を見ているのだが、進之介が困惑したのは男たちの目付きではなかった。


 明らかに四人の人間とも異国の人間なのである。


 黒ではない栗色の髪の毛に、顔の作りや目鼻立ちも日本人とは微妙に違う。


 それに、四人とも進之介よりも頭一つや二つ分は背が高いのである。


「……ねえ」


 進之介は縦横無尽に首を動かし、周りの風景を凝視する。


 遥か頭上には青白い燐光を放つ満月が浮かび、澄み切った夜風が吹いていた。 


「……ねえってば」


 進之介は地面に視線を落とした。


 どうやら自分が立っている場所は、人気のない街道のような場所だということが何となくわかった。


 以前、兄弟子である佐々木京馬の供で奥州に足を運んだ時に通った街道と雰囲気が似ていたからである。


 そして進之介がさらに周囲の状況を把握しようとした矢先、背中に重い衝撃を感じた。


 何か小さな塊で背中を殴られたのである。


「ねえって言ってるでしょ!」


 進之介は背中を押さえながら、声がした後方を振り向いた。


 進之介の眼前には、一人の少女が進之介に向かって拳を突き出していた。


 少女も異国の人間であることは進之介もすぐに外見でわかった。


 自分が知る日本の女性とはまた違った美しさがある少女であったからだ。 


 それだけで価値があるような金色の髪は夜風でさらさらと揺らいでおり、小さな顔に収まっている二つのくりっとした瞳は澄み切った蒼色。


 ほのかに桃色に染まっている肌は、少女でありながら艶めく色香が感じられた。


「ねえ、あなたは……」 


 少女ことエリファスは、真っ直ぐに進之介を見つめながら呟いた。 


「ううん、この際誰でもいいわ。お願い、助けて。悪い奴らに捕まりそうなの」


 エリファスは真摯に進之介に助けを懇願すると、進之介はエリファスの両肩をしっかりと摑んだ。


「え? 何?」


 きょとんとするエリファスに向かって、進之介は信じられないという顔で口を開いた。


「お主、拙者に助けを求めているのか?」


「……そうだけど」


 エリファスが首を傾げて恐る恐る答えると、進之介は我が耳を疑った。


 異人であろう少女の言っている言葉がはっきりと理解できるのである。 


 進之介は頭を抱えた。


 急に訪れた頭痛とともに、今まで忘れていた記憶が鮮明に蘇ってきた。 


 兄弟子の京馬と飯屋で別れた後、剣の修練のために時坂神社に足を運んだこと。


 そこで夜鷹を抱えた異人の男と一戦交えたこと。


 そして、赤い輝きを発していた古池に飛び込んだこと。


 進之介はすべてを思い出した。 


「あの男はどこだ!」


「え? え? え?」


 エリファスの肩を再び摑んだ進之介の両腕に力が入る。


「ちょっ、ちょっと待って。何のこと?」


「この近くに全身黒ずくめの怪しい男はいなかったか? 足先まで伸びた奇妙な衣服を着こなした金色の両眼をした男だ!」


 血眼になりながら自分に言い寄ってくる進之介に、最初の方は困惑したエリファスだったが、


「し、知ってる! 私、その男のこと知ってるよ!」


 咄嗟についてしまった嘘だったが、進之介は微塵も疑う様子もなくエリファスに笑みを浮かべた。


「それはまことか? 教えてくれ、あの男はどこにいる」


「その前に」


 さらに言い寄ってくる進之介に、エリファスは進之介の後方にいる男たちに勢いよく指を突き付けて叫んだ。


「あいつらから私を助けて!」


 進之介はエリファスが向けている指の先に顔を向けた。


 屈強そうな男たちが四人、こちらを向いて身構えている。


 先刻はその場の状況を把握するだけで精一杯だった進之介だったが、改めて男たちから醸し出されている雰囲気と少女の態度で、男たちが野盗か人さらいの類ではないかと進之介は判断した。 


「お主、名は?」


「え? な、名前?」


 後ろ向きのまま質問してくる進之介に、エリファスは一拍の間を置いて答えた。


「エリファス……エリファス・グランゼ」


 エリファスが自分の名前を名乗ると、進之介は横顔でエリファスをちらりと見た。


「拙者は片桐進之介と申す。エリファス殿とやら、ここを動かれるな」


 進之介は四人の男たちに向かって歩を進めていくと、はっきりと言い放った。


「お主たち、拙者の言葉が理解できるならば悪いことは言わん。早々にこの場から立ち去り二度と顔を見せるな」


 進之介のはっきりと口にした言葉に、


「くっ……ははは」


 グラソーが真っ白い犬歯を剥き出しにして笑い出した。


「はははははは! おい、聞いたかよ。こいつ頭悪すぎだぜ!」


 グラソーは腹を抱えて笑った。


 ゴンズとキンバもグラソーと同様に声を上げて笑い出したが、その中でただ一人シムドだけが値踏みするように進之介を観察していた。


 進之介は男たちと一定の距離で立ち止まった。 


 進之介の見開かれた双眸は燃えるような闘志を彷彿させる輝きを放ち、全身から立ち昇る気は陽炎のように揺らいでいた。


「ゴンズ! キンバ! さっさとその馬鹿を片付けろ!」


 ひとしきり笑い終わったグラソーは、ゴンズとキンバを見ながら親指で進之介を指差した。


 さっさと目の前に現れた男を始末しろということらしい。 


 ゴンゾとキンバは首を縦に振って了承すると、進之介に向かって走り出した。


 ゴンズの武器は両の拳を包んでいる頑丈そうな手甲、キンバの武器は革ベルトに差されていた一本の短剣であった。


 ゴンズとキンバの二人は、縦に並びながら進之介との間合いを詰めていく。


 二人は連携攻撃を得意としているようで、小柄で速さがありそうなキンバがまず敵に向かっていき、巨漢で力がありそうなゴンズが後から追撃するような隊形になっていた。


 始末を指示したグラソー本人は、ゴンズとキンバの二人が倒されることは微塵も思っていなかった。


 グラソーやシムドは戦闘に出ることは滅多にない。


 ほとんどの戦闘がゴンズとキンバの二人で十分だったからだ。 


 それだけ、ゴンズとキンバの実力はグラソーもよくわかっていた。


 なぜなら、グラソー自身が手取り足取り二人に戦闘を教え込んだのだから。


 しかし次の瞬間、深夜の街道に一陣の風が吹き荒れたかと思うと、ドドッという二つの何かが地面に崩れた音がした。 


 ゴンズとキンバである。


 キンバは右手首と右肩を折られて悶絶し、ゴンズは顔中を鮮血で染めたまま白目を剥いて失神していた。


 それは一瞬であった。


 エリファスの助太刀を覚悟した進之介は、四人の男たちに向かって自分の意志をはっきりと示した。


 進之介は男たちに「この場から消え失せろ」と言ったのである。


 この場合、十中八九大抵の人間は投げかけた言葉と逆の行動を取ってくる。


 案の定、四人の男たちは進之介に攻撃の意志を示してきた。


 最初に向かってきたのは二人の男であった。


 ゴンズとキンバと呼ばれていた、小柄の男と巨漢の男たちである。


 二人が手練れだということは進之介もすぐに直感した。 


 衣服から覗いていた鍛え抜かれた手足といい、指示されるや否や瞬時に行動を起こしてきた決断力といい、相当に場慣れしている人間の動きだったからだ。


 こういう人間は非常に危険な存在であった。


 標的を始末するのに躊躇や逡巡が一切ないのである。


 ある意味、武を生業にしている進之介たち武芸者が一番気をつけなければならない部類の人間たちであった。


 もちろん進之介自身、誰であろうと油断する気は最初からなかった。 


 ただ全力で相手を迎え撃つのみ。


 その覚悟で身構えた進之介だったが、不可解な現象がその身に起こっていた。 


 目の前から猛進してくるゴンズとキンバの殺気が、明確に〝視〟えたのである。


 今までは感覚として捉えていた抽象的な気が、はっきりと視覚として認識できていた。 


 例えるなら、衣服の上からさらに透明な衣を纏っているかのように見える。


 進之介が自分自身の変化に戸惑いを感じている中、キンバとゴンズは着実に必殺の間合いに踏み込んでくる。


 キンバは必殺の間合いに踏み込むと、腰に差していた短剣を抜いてそのまま進之介の腹部目がけて正確に短剣を突き刺してきた。


 一切の躊躇いを感じさせない刺突は、まさに疾風の如き鋭さがあった。 


 だが進之介はキンバが放った突きを最小限の動きで横に躱すと、同時に右手の手刀をキンバの右手首に正確に打ち下ろした。


 キンバは手首に感じた衝撃で短剣を落とし、進之介はその隙を見逃さずに左手でキンバの右手を摑んだ。


 そして進之介はキンバの右手首の関節を極めながら身体全体を半回転させると、後方にいたゴンズに向かってキンバの身体を投げつけたのである。


 キンバの後方にいたゴンズは激しく動揺した。


 進之介に攻撃を仕掛けたはずの相棒が、苦悶の表情を浮かばせながら自分に向かって投げつけられてきたのだ。 


 ゴンズは何の行動も起こせないままキンバの身体を受け止めた。


 しかし、この時にはゴンズの運命はすでに決まっていた。


 進之介はキンバの身体をゴンズに向かって投げつけると、そのまま神速の踏み込みから跳躍し、ゴンズの顔面に強烈な掌底突きを放ったのである。


 結果、キンバは右手首と右肩骨折により悶絶、ゴンズは鼻骨粉砕骨折により失神した。


「て……てめえ、殺す!」


 ゴンズとキンバがあっけなく倒されてしまった光景を見て、グラソーは怒り狂った。


 両腰にぶら下げていた短剣を瞬時に抜き、逆手に持ち返して構えを取る。


「待て、グラソー」


 臨戦態勢を取ったグラソーに声をかけたのはシムドである。 


「止めるな、シムド兄貴! この黒髪は俺が殺す!」


 グラソーはシムドに声を返すと同時に、勢いよく大地を蹴って疾走した。


 進之介に向かって間合いを詰めてきたグラソーの両手からは、虚空をも切り裂くような二つの銀色の閃光が迸る。 


 グラソーの動きは実に多彩かつ豪快で、右だと思えば左から斬撃が襲い、下だと思うと上から斬撃が振り下ろされてくる。


 その技の鋭さや速さからみても、グラソーがただの盗賊ではないことは一目瞭然であった。


 確実に訓練された動きだったからだ。 


 グラソーの容赦のない怒濤のような猛撃が進之介を襲う。 


 その度に進之介の髪の毛が数本ずつ宙に舞い衣服が切り裂かれるが、進之介は絶妙な体捌きでグラソーの攻撃を躱していた。


 進之介には〝視〟えているのである。


 グラソーの身体から沸き上がる蒸気のような強烈な殺気が、進之介に繰り出される攻撃箇所を事前に教えてくれていた。


 例えグラソーが右手と思わせて左手で攻撃を仕掛けてきたとしても、進之介の目には右手よりも左手に殺気が集中しているのが〝視〟えているのである。


 後は比較的簡単であった。


 グラソーが集中させている殺気を頼りに、進之介は自分の身体を操作させるだけでよかったからだ。 


「クソッ!」 


 グラソーは自分の攻撃が全く当たらないことに苛立ちを感じ始めると、仕切り直しとばかりに後方に跳躍して距離を取った。  


 息を呑むほどの攻防を傍から見ていたエリファスの小さな身体には、波紋のように粟立ちが拡がっていく。


「す、すごい」


 エリファスが驚いたのは俊敏多彩な短剣の技を見せるグラソーではなく、突如として自分の前に姿を現した進之介であった。


 戦闘に関しては素人であるエリファスでも、進之介の強さは異常であった。


 最初に進之介に向かっていったゴンズとキンバの二人もそうだが、今、進之介と闘っているグラソーも恐ろしいくらいに強いのがわかる。 


 しかし、進之介はそんな盗賊たちをまるで子供扱いにしていた。


 生半可な剣士や格闘士よりも実戦経験に長けている盗賊たちよりも、進之介の強さは頭一つ分くらい飛び抜けていたのである。


 エリファスは思った。


 おそらく、次にグラソーが攻撃を仕掛けたときが二人の闘いに決着が付くのだろうと。


 不意に街道を強風が襲った。


 木々の群生からは無数の木の葉が宙に舞い、エリファスは強風のせいで巻き上がった砂塵に驚き、両手で顔を守るような体勢になった。


 強風が吹いたのは一瞬であった。 


 数瞬後、砂塵が晴れたことを確認したエリファスは、再び進之介とグラソーに視線を向き直した。


 エリファスは目を見開いた。


 進之介とグラソーは、いつの間にか互いの身体を密着させた状態で静止していたのである。


 エリファスは何が起こったのかわからないまま二人を注視していると、歪んだ笑みを作っていたグラソーの口からはだらだらと透明色の液体が溢れてきた。 


 グラソーは白目を剥いたまま地面に昏倒した。


 そのときになって、ようやくエリファスにも何が起こったかが理解できた。


 進之介は突進してきたグラソーの心臓の箇所に、腰に差したままの状態であった剣の柄頭の部位を叩き込んだのである。


 進之介は自分の足元に平伏した状態で倒れているグラソーを眺めた後、その場に残っている最後の一人に視線を向けた。


「残りはお主だけだが……どうする?」

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