第4話   異世界転移したサムライ

 満月の夜であった。


 少女が獣道の中をひたすら全力で走っていた。 


 空からは青白い月明かりが降り注ぐも、薄暗い獣道の地面にはあまり届いていない。


 獣道は少女の背丈を上回る木々の群生でふさがれ、人間が走るには困難な道であった。


 それでも少女の足は止まらない。


 止まってはいけないのである。


 少女は荒くなる呼吸を必死に抑え、木々の群生を掻き分けて前に進んでいた。


「あっ!」


 声を漏らした少女の目の前には、闇の中に煌めく一筋の光が見えてきた。


 少女は迷わず光の中に飛び込むと、首を回し辺りを一望した。


 街道である。


 少女は獣道を抜け切ると、細い街道に躍り出た。


 普段は行商人の荷車や旅行者などが通る街道も、深夜では人通りは皆無である。


「撒いた……かな?」


 少女は街道に自分しかいないことを確認すると、安堵のため息を漏らした。


 月明かりに照らされた少女は、桃色に紅潮した肌にうっすらと汗を滲ませていた。


 少女の年の頃は15、6歳ぐらいだろうか。


 腰の位置まで伸びている金色の髪は、月明かりのせいか高級な絹糸のように輝いて見える。


 着ている赤の布服は動きやすいように裾を破いており、そこから伸びている手足は太すぎず細すぎない柔らかそうな肢体であった。


 街道の地面はあまり舗装されてない砂利場になっていたが、少女は足に履かれている黒ずんだ革靴のお陰でしっかりと地面に立っている。


 また、少女の右肩から左腰には丈夫な紐が掛けられており、紐の先端には革で作られた丸い茶色の鞄が取り付けられていた。


 少女はおもむろに自分の腰に手を回した。


 後ろにぶら下げていた丸鞄を腹の位置にまで持ってくると、鞄の中身をゴソゴソと探り一枚の地図を取り出した。


「ここを通ってきたから……この街道を抜けないといけないのか」


 少女は何度も地図と街道を交互に見て、自分の居場所を確認する。


 自分の居場所と目的の場所までの距離をきちんと把握すると、少女は鞄に地図を戻して再び走り出そうとした。


「逃げ切れると思っていたのかい、譲ちゃん」


 少女の顔色が一瞬で青ざめた。


「まったくだ。なかなか楽しめたがそろそろ終わりにしようぜ」


 少女は声が聞こえてきた街道の正面と、後方の道に視線を交互に向けた。


 いつの間にか、少女を挟むように男が二人街道の道に佇んでいた。


 少女の正面にいる男は栗色の長髪を無造作に伸ばし、がっちりとした体格の上には白銀の鎧を着用している。


 そして、左腰には黒鞘の長剣が携えられていた。


 後方の男は同じく栗色の髪を短く切り揃えており、少女の正面にいる男とは対照的に鎧の類は一切まとってはいなかった。


 黒い布服を重ねて着ており、左右の腰に一本ずつ短剣をぶら下げている。


 正面の鎧の男が言う。


「グラソー、他のやつらはどうした?」


 後方の黒い布服の男が答える。


「あいつら足が遅すぎるから途中で置いてきちまったよ、シムド兄貴」


 二人とも少女を無視して会話を進めていた。


 少女は動けなかった。 


 ここまで全力で走り続け、疲労が蓄積していたせいでもあったが、撒いたと思っていた人間たちが呼吸も乱さずに追いついてきたことに恐怖を感じていた。


「ちょっ、ちょっと待って。私がいったい何をしたっていうのよ!」


 少女は毅然とした態度で二人の男に向かって叫んだ。


「何をだと? おい、グラソー」


「あいよ」


 エリファスの後方にいたグラソーと呼ばれた男は、懐から一枚の紙を取り出した。


 薄汚れた紙には少女にそっくりな人相書きと、その下には何やら金額が記されていた。 


「賞金額5万ゴールの指名手配人エリファス・グランゼ。アテナスでは禁止された古の業を持って世に混沌をもたらす魔術師なんだろ?」


 エリファスと呼ばれた少女は、ぐっと下唇を噛み締めた。


「私は魔術師なんかじゃない。真理学者よ!」


 エリファスは腰が引けながらも、グラソーに向かって言い放った。


「お前が魔術師だろうと学者だろうと何だろうと関係ねえ。ガキ一人捕まえて賞金が貰えるならこんな美味い仕事はねえんだよ」


 グラソーの顔に酷薄そうな笑みが浮かんだ。


 汚れた仕事は一通り経験したことがあるような嫌な顔つきであった。


 エリファスは自分から見て左側に顔を向けた。


 左側は急な崖になっていて、とても落ちて助かるような高さではなかった。


 左は崖、正面にはグラソー、後方にはシムドが道を塞いでいる。


 だとすれば、エリファスに残された逃げ道は先ほど通ってきた獣道だけであった。


 しかし、その獣道も結局は塞がれてしまった。


「やっと追いついた」


「このガキっ! もう逃がさねえぞっ!」


 エリファスが通ってきた獣道からは、額に汗をびっちりと掻いた二人組みが現れた。


 無精髭を伸ばし放題にした汚らしい身なりをした二人組みは、見た目には盗賊以外の何物でもない格好の男たちであった。


「ゴンズ! キンバ! てめえら遅えんだよっ!」


 グラソーはゴンズとキンバの二人に怒声を浴びせると、二人は何度もグラソーに頭を下げながらエリファスの前に立ちはだかった。


「さて譲ちゃん。もう覚悟を決めてくれたかな?」


 無表情でさらりと言い放つシムドに対して、


「そうそう、捕まったってせいぜい強制帰国されるぐらいさ。まあ、その後どうなるか俺らは知らんがね」


 グラソーはニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべている。


 エリファスの頬に冷たい汗が流れた。


 死ぬ思いで国を抜け出してきたのに、目的を果たさないまま素直に捕まるわけにはいかなかった。


 ましてや、賞金狙いの薄汚い人間などに捕まるのだけは絶対に納得がいかなかった。


「アンタたちに捕まるくらいなら……」


 エリファスはじりじりと崖のほうに身を寄せていった。


 崖の遙か下には水流が見えた。


「おいおい、さすがにここからは飛べねえだろ」


 グラソーは頭を掻きながらゴンズとキンバに首をしゃくり合図を送った。


 ゴンズとキンバの二人はグラソーの意図に気がつくと、エリファスを刺激しないように徐々に近づいていく。


(――父さん)


 エリファスが両目を閉じながら崖に足を踏み出そうとした瞬間、その場にいた全員が目も眩むような強烈な白光に包まれた。




 エリファスは呆然と口を開けていた。


 両目を何度もまたたいて、目の前で起こった出来事を必死に直視しようとする。


 しかしそれがどうしても出来ない。


 現実感が一向に湧いてこないのである。


 それでもエリファスは胸の奥から込み上げる疑問とともに、目の前にいる人物に声を投げかけた。


「あなた……誰なの?」


 エリファスの眼前には、一人の見知らぬ男が立ち尽くしていた。


 目も開けられないほどの膨大な光の消失とともに、突如として出現した若い男。 


 エリファスが着ている布服よりも丁寧に作られている白いゆったりとした上着に、腰から下に穿かれている黒のズボンは両足が確認できないような不思議な作りになっていた。


 また、若い男は二本の短い剣と長い剣を左腰に差しており、その背中には棒が埋め込まれているのではないかと思ってしまうほどに背筋がしっかりと伸びていた。


 エリファスを逃がさないように包囲していた賞金狙いの盗賊たちも、突如として現れた男に困惑を隠せない様子であった。


 その中でグラソーが若い男に向かって怒声を浴びせた。


「て、てめえ、いったい何者だ!」


 グラソーの怒声にも動じる様子を見せない若い男――片桐進之介は、ただじっとその場に立ち尽くしていた。

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