第3話   両雄激突、そして――。

 進之介と異人の男の間合いは、およそ5間(約10メートル)。


 進之介が本気で踏み込んでいけば、一気に必殺の間合いに入れる距離であった。


 しかし鬼のような形相で間合いを詰めていく進之介とは対照的に、異人の男は両腕を組んだまま泰然と構えていた。


 その間にも進之介は疾風のような踏み込みから、異人の男に向かって剣を抜刀した。


 漆黒の闇さえも切り裂くような銀色の閃光は、確実に人間の五体を切り裂くほどの威力が込められていたはずであった。 


 だが次の瞬間、剣を放ったはずの進之介の腹部に強烈な鈍痛が走った。


 進之介の腹部に異人の男の右拳が深々と突き刺さっていたのだ。 


 異人の男は進之介が放った必殺の抜き打ちを難なくかわすと、そのまま踏み込んで槍のように鋭く伸びた拳を進之介の腹部に放ってきたのである。


 進之介は腹部に広がる激痛に顔を歪めながらも、水平に抜き放った剣を何とか切り返して異人の男に再度斬りかかった。


 異人の男は切り返してきた進之介の剣を後方に大きく跳躍して躱すと、進之介も体勢を立て直すために自分も後方に飛んで距離を取った。


 進之介は片手で握っていた剣を両手持ちに変えて、すかさず正眼に構える。


「ははは、楽しいなーっ!」


 進之介が正眼に構えている剣の直線上には、何やらせせら笑っている異人の男がいた。 


(こやつ、化け物か)


 進之介は目の前の敵を人間ではなく魔物の類ではないかといぶかしんだ。


 素手であるにもかかわらず、異人の男の体術の腕前は真剣同様の凄さと威力が感じられたからだ。


 だからといって、進之介の頭の中には降伏や逃走の文字は浮かばなかった。


 目の前の男は梓のことを知っている。


 それを確認せずにこの場から逃げ出してしまったら、永遠に梓の消息が途切れてしまう気がした。


 進之介は正眼に構えていた剣を下段に構えなおした。


 進之介と異人の男の間合いは先ほどと同じおよそ5間。


 だが、お互いの立ち位置は見事に逆になっている。


「あれ? もうお終い?」


 異人の男はせせら笑うことを止めると、その場で軽く上下の跳躍を取り始めた。


 何やら拍子びょうし(リズム)を取っているようにも見えるが、進之介にとっては奇妙な行動以外の何物でもなかった。


 剣を握る進之介の両腕に生ぬるい汗が伝うと、異人の男に動きがあった。


「じゃあ、今度は僕の番だね!」


 言葉を吐くと同時に、異人の男は進之介に向かって突進した。


 それはまさに漆黒の暴風であった。


 5間の間合いを一気に詰めてくる異人の男に対して、進之介は相手の胴に向かって水平に剣を薙ぎ払い対処する。


 殺さぬよう刃を返してはいたが、それでも猛進してくる異人の男との距離を把握して放った一撃は、絶対に回避不可能だと進之介は思っていた。


 静寂した空間に風切り音が響いた。


 進之介は剣を握る自分の両腕に視線を向けた。


 またしても進之介の腕には手応えがなかった。


 進之介が渾身の力を込めて放った斬撃ですら、異人の男には掠りもしなかったのである。


 だが相手は自分が放った剣で体勢を崩したはず。


 そう思った進之介は、すかさず水平に薙いだ剣を切り返して追撃を放つつもりであった。


 しかし進之介は正面を見て愕然とした。異人の男の姿が忽然と消えていたのである。


 もし水平に薙いだ剣を躱したならば、相手は後方に逃げているか、地面に伏せていなければならない。


 だが、正面にも地面にも異人の男の姿は見当たらなかった。  


 困惑した進之介が動きを静止させた刹那、敵の猛威は進之介の予想もしない場所から襲い掛かってきた。


「ぐっ!」


 進之介は息を詰まらせ、苦痛の表情を浮かべた。


 背中である。


 異人の男を見失った直後、進之介の背中に今まで経験したことのない強烈な痛みと衝撃が走った。


 まるで鉄槌で強打されたような衝撃に、進之介の身体は前方に大きく吹き飛ばされた。


 視界がぐるぐると回転し、鼻腔の奥に土の匂いが充満する。 


 進之介の肉体は砂塵を巻き上げながら激しく転げ回った。


 それでも何とか受身を取っていた進之介は、体勢を整えて立ち上がり背後を振り向いた。


 平然と両腕を組んで、笑みを浮かべている魔物がそこにいた。


 異人の男は進之介が放った渾身の斬撃を前方に跳躍して躱すと、空中で回転しながら進之介の背中目掛けて後ろ蹴りを叩き込んだのである。


 もはや、人間の身体能力の限界を超えていた動きであった。 


 地面に着地した異人の男は、白い歯を剥きだして笑っていた。


 彼我ひがとの実力の差が愉快でたまらなかったのだろう。


 しかし、笑みを浮かべたのは何も異人の男だけではなかった。


「あれーっ!」


 異人の男は何かに気がつくと、両手で背中の辺りを弄り激しく動揺した。


 それを見た進之介は小さく笑う。


 進之介は背中に蹴撃を受けたことで前方に倒されてしまったが、ただではやられてはいなかった。


(手応えあり!)


 進之介の持っていた剣――〈神威〉の切っ先には、僅かながら血が付着していた。


 進之介は背中に蹴撃を受けた一瞬に、身を翻して斬撃を放っていたのである。


 不安定な体勢から放ったにもかかわらず、進之介の剣は異人の男の背中を横一文字に切り裂いていた。


 だが手応えからして致命傷に至らないことは進之介にもわかっていた。


 それでも、実力の差がある相手に一矢報いたのである。


 進之介はこれを機に一気に勝負に出るつもりであった。


 進之介は両手で握り締めていた〈神威〉を右手一本に持ち替えると、背中で隠すような構えを取った。


 そして、空いた左手を腰に差してある脇差の柄にそっと置いた。


 それは、神威一刀流・秘剣の構えであった。


「血だ……血だ……」


 闘志を湧き上がらせた進之介とは逆に、異人の男は自分の両手に付いている血を見て全身を震わせていると、


「凄いっ! 凄いよ、お兄ちゃん! 僕の身体を傷つけた人間なんて初めてだよっ!」


 突如、異人の男は声を張り上げた。


 進之介は異国の言葉で喋り続けている異人の男を無視して、秘剣を放つ瞬間を刻々と狙っていた。


 慎重に相手との距離を測りながら摺り足で近づいていく進之介。


 そのたびに背中に鈍痛が走るが、進之介はそれを表情に出さずに間合いを詰めていく。


 背中に受けた傷は、確実に身体の動作に支障をきたす。


 進之介自身も異人の男から受けた攻撃で背中に鈍痛が残っていたが、それでも真剣で斬られるよりは動作に支障はでない。


 進之介と異人の男との距離は4間(約8メートル)まで詰まっていた。


 あと1間(約2メートル)の距離を詰めれば、神威一刀流・秘剣〈神颪〉の射程距離に入る。


 進之介は捨て身の覚悟で踏み込むつもりであったが、むざむざ命をドブに捨てるつもりはなかった。


 あくまでも覚悟の問題である。


 捨て身の覚悟で挑まなければ、目の前の魔物を戦闘不能にはできない。 


 神威一刀流の行く末や梓のことを思えば、万が一にも負けるわけにはいかなかった。


 そして進之介が秘剣の射程距離に足を踏み込んだ瞬間、


「――?」


 進之介の動きが止まった。


 異人の男が異様な構えを取っていたのである。


 両足を大きく左右に広げ、顔面の前で両腕を×字に交差していた異人の男の姿は、自分の身を必死で防御しているようにも見えた。


 だが、その構えが防御の型ではないことを進之介は直感で判断した。


 異人の男の身体から無造作に放出されていた大量の気が、一気に上半身に収束していくのを進之介は感じたからだ。 


 奇妙な体勢になった異人の男は次の動作へと移った。


 すうううう、と異人の男は身体を後方に仰け反らせると、大きく空気を肺に吸い込み始めた。


 異人の男の上半身は見る見るうちに膨張していく。


 進之介はその異様な光景に目を奪われ、同時に確信する。


 異人の男が自分と同じ必殺の構えに入ったことに。


 境内の中には張り詰めた空気が充満していた。 


 徐々に体力を削っていく緊迫感に見舞われながら、進之介は覚悟を決めた。


 まさにその瞬間であった。


 進之介と同じく必殺の構えに入ったはずの異人の男は、なぜか口から大量の血液を放出したのである。


 押さえた手の間からも、ボタボタと地面に血が滴り落ちている。


 進之介は秘剣を放てなかった。 


 異人の男が吐いた大量の血を見て躊躇したということもあったが、異人の男自身が口元を押さえながら瞬時にその場から移動したのである。


 異人の男は最初に佇んでいた古池の場所に戻っていた。 


 その姿には先ほどとは違い、異常なくらい疲労しているのが感じ取れた。


 異人の男の気が徐々に萎えてきているのである。 


「残念……どうやら時間切れかな」


 異人の男は地面に寝かされていた夜鷹を肩に担ぎ始めた。


 まるで道端に落ちている小石を拾うかのような異人の男の剛力にも驚いたが、それ以上に進之介には異人の男が何をしたいのかがわからなかった。


 異人の男は赤く輝いている古池の端に佇み、進之介の方に視線を向けてニヤリと笑った。


「じゃあね、お兄ちゃん。最後まで遊べなかったのが残念だよ」


 まさか。


 進之介がそう思ったときには、夜鷹を肩に担いだ異人の男は古池の中に飛び込んでいた。


 普通ならば盛大に水飛沫が上がるはずなのだが、異人の男と夜鷹の身体は底無し沼にはまっていくかのようにゆっくりと沈んでいった。


 進之介は急いで古池の場所まで走っていくと、すでに古池には二人の姿はどこにも見えなかった。


 それどころか、赤く輝く古池は血の塊で出来ているかのようにどろりとしていて底が全く見えなかった。


 進之介は今しがたまで闘っていた境内に視線を移した。


 このまま屋敷に戻り内弟子衆を呼んでくるかも一瞬考えたが、果たしてこのことを信じてもらえるかが気がかりだった。


 神社で異人とおぼしき男と一戦交え、なおかつその男は夜鷹とともに古池の中に消えたなど、とても信じてもらえるような類の話ではない。


 進之介はふと古池に視線を戻した。


「これは?」


 進之介が視線を戻すと、赤く光り輝いていた古池に変化があった。


 光が徐々に収まってきているのである。


 古池自体はさほど大きなものではない。


 せいぜい10畳ほどの大きさの古池である。


 その池全体が端から徐々に赤い光が消えかけていたのである。


 進之介は瞠目どうもくした。


 目の前で起こっていることは夢幻ではないかとも思ったが、背中にはじくりと騒ぐ鈍痛が残っている。 


 進之介はしばし目をつむると、懐にある梓のかんざしを衣服の上から優しく握った。


 そして――覚悟を決めた。


「……南無三」


 進之介は大きな深呼吸をつくと、古池に向かって跳躍した。

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