第3話 魔王でよかった




     *          *


「う…………ん?」

「気が……ついた? よかった……」


(膝枕……されてる?)


 ピートが見上げると、膝の持ち主が見慣れた笑顔で見つめていた。


(頭の中が妙にスッキリしてる。会社でストレス漬けにされた脳を一度取り出して、洗い流してもらったかのような)


「あ……亜美…………あれ、何だ……あれ?」

「お兄……ちゃん?」


 その言葉に、ハッとして顔を上げる。

 アーミティアが、目をまん丸にしてピートを見つめていた。


「もしかして、勇者ピートは……山川桃李の生まれ変わり、だったりする?」

「なっ…………!?」


(神よ、ふざけるな)


「ま、まさか……本当に? 亜美、なのか!?」


『勇者に転生して魔王を倒しに来たら、魔王は先に死んでいた妹の転生先でした』


(面白いとでも思ったのか? 人を弄ぶにも程があるぞ、神様)


「なんと言うか……私、さっきまで、あんな魔王口調だったので、ものすごく恥ずかしいのだけど。えっと……久しぶり、でいいのかな?」

「あ、ああ……久しぶり……。オレも『世界の半分』という『女よりどりみどり』に心揺らいでるところ見せたりして……お恥ずかしい限りというか」


(いや……前言撤回。神よ、ありがとう。こうして妹と再び会わせてくれたんだ。死が運命だったのなら、これはサービス以外の何でもない)


「もしかして、ずっと気付いてたのか? 兄をからかって笑ってたのか?」


 少し冗談っぽく、訝しむような表情を作るピート。

 アーミティアは慌ててかぶりを振る。


「ち、違う! お兄ちゃん、意識が無い間にも何度か私の名前を呼んでいて……起きた時の感じで確信したというか」

「そ、そうだったか。いや、どことなく雰囲気が似てる気はしてたんだけど、まさか本人だなんて。オレ……ずっと亜美のこと、後悔があったから」

「もしかして、ずっと私の死を悲しんでくれていた? 憶えていてくれるのは嬉しいけれど、そんな想いで生きさせてしまったなんて……」


(いや、まぁ、そんな想いで現世を生きたのは2年ほどの話だけどな)


「そんなの、家族なんだから当たり前だろ。それに……今、また会えたんだ。悲しみなんて、全部吹っ飛んでったよ」

「フフッ……そう、だね。私も……寂しさなんて、全部吹っ飛んだよ」


 アーミティアは瞳を潤ませながら、思わずピートを抱きしめた。

 転生したとはいえ、別人は別人。同じく再会の喜びを爆発させるつもりだったピートだが、名状しがたい複雑な気持ちで、そっと魔王の肩を抱いた。


「でも、やはり私、信じられないな。こうして今、転生前の口調を思い出すのも大変なくらい何十年もの時が経ったというのに……今になって、こんな奇蹟が起こるなんて」

「ん? あ、ああ……」


 アーミティアは自虐的な困り笑顔を見せ、ひとつ溜息。

 そして、心からの柔らかい笑顔へと変わる。


「でも……よかった。お兄ちゃんは、ちゃんと人の寿命をまっとうしてくれたのだよね」

「寿命……いや、オレは……」


(あれ……これ、そういうこと、か?)


 アーミティアの言葉にいくつか違和感を覚え、ピートの頭の中はフル回転する。

 そして、その意味を推測し、息を呑んだ。


(もしかして、亜美は違う時間軸に……人の一生分くらい前の時代に、すでに転生していた?)


「正確な時間はわからないが……転生を自覚してから云十年、退屈な魔王生活の中で、家族のみんなのことをずっと考えていたんだよ」

「そ、そうか。それは……大変だったな」


(やっぱり、そうなのか。そんなにも長い時間を、人の悪意を向けられながら。そんなツラい現実……)


「フフ……まあ、寂しいのは確かだったな。しかし、人間でいた頃とは心の容量が違うというか……喜怒哀楽に振り回されるようなことはあまりなくなったけどね」

「そういうものなのか。魔王メンタル……いいな」


(オレには想像もできないが、亜美の苦しみが少しでも軽くなったのなら、それはそれでよかったのだろう)


 もし、山川亜美が普通の人間としてその時間軸に転生していたなら、桃李が転生してきたこの時代には、すでに存在していなかったかもしれない。

 この時間のズレは、魔王という特別な存在でなければ成立しなかったのだ。


(妹が魔王で……よかった。オレが何歳で死んだかなんて、正しい情報は必要ない。まぁ、いつか会話のどこかでバレるかもしれないが……)


「そういうわけだから……お兄ちゃんもすぐ慣れると思うよ。私よりも立派な魔王として、やっていける」

「…………え?」


 しばし無言で顔を見合わせていたが、ピートはおそるおそる自分の頭に手を添えた。

 石のように硬いものに触れる。それは、アーミティアとおそろいになる二本の角だった。


「オ、オレ……勇者から魔王にジョブチェンジしちゃったのか!?」

「ジョブチェンジ……フフッ、懐かしい言葉! ゲーム……だよね」

「懐かしんでないで、ツッコんでくれよ!」


 魔王の象徴ともいえる凍れる角。

 そして、よく見ればアーミティアの角は、髪飾りかと思えるくらいに縮んでいた。

 左手が起こす一度きりの奇蹟により、ピートは魔王のチカラを得た。そして……。


「勇者は……本当に魔王わたしを解放しに来てくれたのだな」

「解放……?」

「なんとなく判る。私は今、精神的にも肉体的にも、人間らしさを取り戻している。おそらく……私は、人並みに死ねる」


 百年近い時を魔王として過ごしてきたアーミティアは、自分が老いで死ぬことはないと感覚で知っていた。

 その『感覚』で、今、自分の身体のルールが変わる音を聴いていた。

 ピートが人間から魔王へ近付き、アーミティアは魔王から人間へ近づいた。

 その時からふたり、おそらく同程度のペースで歳を重ねていくのだろうと感じられた。


「亜美は……それでよかったのか? 本当に、幸せになれるのか?」

「そうだよ。やっと私は人生を再始動できる。死という終わりを恐れながら、それでも、お兄ちゃんという家族と一緒に……死ぬまで生きるのだ。あっ……」


 うっかり魔王口調が出てしまい、アーミティアはカアッと頬を染め、その顔を隠すようにピートの腕にしがみつく。


「決死の思いで倒しに来た魔王が、今こうしてオレにくっついてる可愛い妹だなんてな。ほんと……勇者としては、ボロ負けして消滅したって感じだよ」

「やはり、そういうことになるのかな。でも、これからは『二人合わせて魔王』という感じなのかも、だね」

「そう……なのかな」


(だったら、大変な魔王業を長年務めてきた亜美の代わりに、オレが頑張ってやるべきか)


「お兄ちゃん、これからどうする? まあ、結界がある限り、この城でふたり暮らしていくことになるけど……」

「結界ね……」


 ピートはまぶたを閉じ、両手を広げてみる。

 勇者としての魔法を使う感覚で念じてみると、自分の魔力を性質変化できるようになっていることに気付く。

 そのまま、自分の手をどこまでも伸ばすイメージで思い切り突き出す。


 バキン!


 城の外で分厚いガラスが割れるような音が鳴り響き、霧が晴れていくように室内の空気の色が明るく変わっていく。


「こ、これは……お兄ちゃん、まさか?」

「これでもう、この城に籠もる必要はない」


 いとも簡単に結界を解いた新米魔王ピートを、呆れるように見つめるアーミティア。

 その肩を抱き、ピートはイイ笑顔で告げる。


「亜美、旅に出よう。ひと所にはとどまれないかもしれないけど……一生かけて旅をしよう」

「で、でも、私は人間に憎まれているのだよ」

「その誤解を解くのを目指す旅さ。最終的に……人間に愛される魔王になればいい」

「ええ……そんなの、うまく行くかなぁ」


(正直、『妹をずっと閉じ込めていた人間をとっちめてやりたい』という気持ちもある。それはオレがまだ魔王になりたてで、亜美みたいな魔王メンタルが身についていないからだろうか。亜美が人間を憎んでいないとしても……魔王を利用していた人間をそのままにして、果たしていいものだろうか?)


 その時、扉が強く開かれ、勇者の仲間達が雪崩れこんできた。

 結界の壊れる音、城内の異変を感じたのだろう。

 『妹との再会』という大イベントで、すっかり彼らのことを忘れていた元勇者は、少し焦る。


「ピート! その姿は? おのれ魔王……!」


 ダッガは大剣を構え、アーミティアを睨みつける。


「ま、待ってくれ、ダッガ! 話を聞いてくれ!」

「フッ……ダッガもピートも慌てるなよ。俺は『みんなとなら闇に堕ちるのもアリかも』と言ったぜ?」


 ハーゼンは相変わらずの軽いノリで、何ならアーミティアに色目でも使いそうな顔をする。


「ハーゼン……本気でそう思ってくれるのか? いや、闇堕ちしたわけじゃないんだけど……」

「ピート君の目を見る限り、魔物側の存在になったわけではなさそうですよね……どういうことなんですか?」


 モンクスはビビリで戦闘ではミスもあるが、邪悪を見破るスキルを持つ。その目を通しても、ピートは魔の者とは判断されなかったようだ。


「ありがとう、モンクス。実は……」


 信じてもらう自信は無かったが、ピートは三人にすべてを話した。


 勇者と魔王がそれぞれ異世界から転生してきたこと。

 元は兄妹であったこと。

 『魔王が人々の脅威』とされていたのは、複数の国が仕立て上げたフィクションであること。

 左手の特殊スキルで、ふたりが人と魔を併せ持つ存在となったこと。

 そして……。


「最後は……君らに一番関わりのあることだ」


能力スキルを明かすことで、彼らの心にどう作用するのかは判らない。もしかしたら効果が消え、ぶん殴られるかもしれない。だが……それでも、誠心誠意詫びるだけだ)


「オレの右手には、握手することで相手の信用を得る能力スキルがある。オレはこのチカラで君らを仲間にし、ここまでやってきたんだ」


 立て続けに信じがたい事実を並べられ、トドメとばかりの告白。

 無言で噛みしめる三人を前に、重いストレスが心にのし掛かるのをピートは感じていた。


「騙していたようで、本当にすまないと思う。何か罪滅ぼしができればとは思うが……オレ達はこれから、魔王の無実を証明する旅に出るつもりだ。もしオレに恨みがあるなら……」

「つくづく水くせえことを言うじゃねーか。俺はお前に騙されたなんて思っちゃいねーぜ。それとも、お前は俺達を手駒としか見てなかったのか? そうじゃねーだろ!」

「フン……ハーゼンに先を越されるのは癪だが、拙者ももちろん同じ気持ちだ。そもそも、最初のキッカケがスキルそうであっただけで、ピートが我らに理不尽な振る舞いをすることなどなかったのだしな」

「実は……色々な人と握手しているのを見ていて、何か不思議なチカラがあるとは思ってはいましたね。でも、ピート君の人柄のよさは確かだ。チカラの使い方としては『どうせ仲良くなる予定の人との手続きを円滑にしただけ』だと思いますよ」

「ハーゼン……ダッガ……モンクス……みんな、ありがとう」


 涙が滲み、それが恥ずかしくてピートは背を向けた。

 それを見て、ハーゼンが相変わらずのおどけた調子でツッコむ。


「おいおい、『魔王が熱い友情に男泣き』だとか……民衆は混乱して、むしろ気味悪がるかもしれねーぜ?」

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