第16話 あの夜よ再び

「私が良いというまで振り返るな! 目も開けてはダメだからな!」


 女勇者はそう念を押してからそそくさと着替え始める。

 さらになにやらパタパタと走って部屋から出てゆく。

 しばらくして戻ってくると、


「……いいぞ。こっちを向いても」


 ようやく許可が下りる。黒髪青年はさっそく本題の『眠れない件』について尋ねようと振り返るのだが、女勇者の姿を目にした途端、言葉を失ってしまう。


 この銀髪の可憐な女性は、一体、どこの貴族のご令嬢だろうか——?


 意外なことに女勇者はピンク色のネグリジェを身にまとっていた。普段の凛然とした印象とは異なる清楚で可憐な姿に戸惑うなというのは無理な話だった。

 唖然とする黒髪青年に女勇者は唇を尖らせる。


「ふん! どうせ柄にもない恰好をしてると言いたいのだろ?」


「いや、別にそういう……」


「言っておくが、この寝間着はエマの趣味だ! エマが私の誕生日に送ってくれたものだから大切に着ているのだ! 誰かに見せるためのものではない! 笑いたければ笑うがいいさ!」


 ジュリアンが気恥ずかしそう長いまつ毛を伏せる。ユウヒは慌てて弁解する。


「違う違う! 似合ってる! あまりに可愛くてびっくりしたんだ……それで思わず言葉を失ってしまっただけだ」


「…………え?」女勇者が目を丸くする。


「驚いたよ。意外と女の子らしい恰好もジュリアンは似合うんだな」


 見舞いに来て相手を不機嫌にさせるなんて本末転倒もいいところだ。黒髪青年は素直な気持ちを伝え場を穏便に治めようと試みる。

 しかし、残念ながら便とはいかなかった。顔を真っ赤に染めたジュリアンは全身をワナワナと震わせながら枕を手にすると、


「き、貴様はまたそうやって甘い言葉で私を惑わそうとて! 変態ッ! スケコマシッ! エロイケメンッ!」


 枕で思いっきりぶん殴られてしまう。黒髪青年は激しく床を転がり背中から壁に激突する。一瞬、お花畑が見えたがどうにか踏み止まる。


(危なかったぁ……相変わらず恐ろしいパワーだな)


 心臓が激しく鼓動している。しかし、こういう時こそ年上の余裕を見せる場面だろう。ユウヒはおもむろに立ち上がりなにごともなかったかのように微笑む。


「安心したよ。意外とジュリアンが元気そうで」


 もっとも、笑顔とは裏腹にユウヒの両足は生まれたての小鹿のように小刻みに震えていたが。

 すると、女勇者が「元気そうに見えるか……」と力なく漏らしてストンとお尻をベッドに落とす。


「貴様に弱音を吐くのは不本意だが……正直、今の私は万全とは言い難い」


 言われて目を凝らすと、ジュリアンの目元に薄っすらとクマらしきものが浮かび上がっているのに気づく。


「やはり寝れてないからか?」


 ジュリアンがこくりと小さく頷く。


『さすがのジュリアンも入れ替え戦にプレッシャーを感じてるんだな!』


 咄嗟にそう言いかけたが黒髪青年はぐっと言葉を飲み込む。負けず嫌いのジュリアンのことだ。意地になって否定するだけだろう。


「なにか心当たりはあるのか?」

「分からん……」


 どうやら無自覚らしい。


(これはこれで良いのか? 変に意識するほうが余計に眠れなくなるかもしれんしな……ただ無自覚だと俺にはどうすることもできんぞ)


 悩みを打ち明けることで気持ちが楽になることはある。しかし、無自覚では話を聞くことすらできない。

 女勇者はこてんとベッドに横になると、予想外の言葉を口にする。


「……ユウヒ・マンチェスター。あの夜、貴様は私に『頼ってくれて構わない』と言ったな? あの言葉に嘘偽りはないか?」


「もちろん、噓偽りはない」



「そうか。ならば、あの夜のように——―私のことを抱いてくれ」



「………………へ?」


 ユウヒの時が止まった。驚きのあまり肉体から魂が抜けてしまったみたいに部屋全体を高いところから俯瞰している自分がいる。

 我を取り戻すと鼓動が騒ぎ始める。身体のラインがはっきりと分かるネグリジェ姿の美少女が無防備にベッドに横たわっている。『お好きにどうぞ』と言わんばかりのシチュエーションだ。


(いや、さすがに二回目は不味いだろ……いよいよ言い訳ができなくなる)


 一回だけなら『一度きりの過ちで』で誤魔化すこともできるだろう。だが、二回目はなにかしらの言い訳の効かない関係が生まれてしまう。

 勇者とこれ以上、込み入った関係になるのは好ましくない。女勇者にとって自分という存在がプラスになるとは思えないのだ。

 ユウヒがどう答えていいのか分からず黙っていると、銀髪の女勇者が悲しそうに背中を丸める。


「そうか。嫌か……断られて当然だな。私のような魅力のない女など……私は強くなることばかりに必死で、女としての己を磨いてこなかったからな」


 普段強気の女勇者に弱々しい姿を見せられてはさすがに無碍にはできない。ユウヒは慌ててベッドに駆け寄る。


「誤解だ! 嫌なわけないだろ? 前にも言ったが、お前はとても魅力的だ! もっと女としての自分に自信を持て!」

 

 咄嗟にユウヒは色男モードを発動させ彼女の背中に寄り添う。

「本当か? 口先だけではないのか?」

「本当だ! 口先だけじゃない!」

 自ら泥沼に足を突っ込んでいる気もしないでもないが、こうなったら別のベクトルで説得するのみだ。

「ただ! お前を抱くには今はあまりに時期が悪い!」

「どういう意味だ? 抱くのに良い時期とか悪い時期とかあるのか?」

 不思議そうな女勇者に「ある!」と黒髪青年は断言する。


「明日には大事な入れ替え戦が控えているだろ? そんなお前に無理をさせるわけにはいかない」


 これがユウヒの『抱きたいのは山々だが、君のためを想って泣く泣く諦める作戦』である。これなら彼女のプライドを傷つけることもないだろう。

 万が一、目先の誘惑に負けて銀髪の女勇者を抱いて、入れ替え戦で本来の力が発揮できずに負けましたなんてことにでもなったらシャレにならない。


(それこそ彼女の関係者から殺されかねないからな……)


 ユウヒは想像して身震いする。ファンだけではない。最年少勇者の彼女はセブンブレイズの面々からも、とても可愛がられているのだ。


「は? 貴様はなにを言っている?」


 ところが、銀髪の女勇者はまったく引き下がらない。


「むしろ明後日、入れ替え戦があるから私は貴様に抱かれたいのだが?」


 平然と言い放つ。さすがにユウヒも戸惑いを隠せない。 

 

(むしろってなに? 明日の入り替え戦なんて関係ないってこと? それよりも目先の快楽ってこと? 初めてを経験して目覚めちまったとか? 俺はもしかしてとんでもない性の化け物を生み出してしまっ——―)


 彼女がぽつりと漏らす。


「……寝不足のまま明日を迎えるのは非常によろしくない。私は勝たねばならぬのだ。しかも、圧倒的な勝利でもって私が勇者に相応しい人間だと皆に示さねばならぬのだ!」


 熱のこもった声色から切実さが伝わってくる。

「そこで不本意ながら貴様に頼ることにした……思い出したのだ! あの夜、私は人生で初めてと言っていいほど熟睡できたことを!」

 途端、銀髪の女勇者がガバと振り返る。



「つまり、あの夜と同じく貴様に眠れば熟睡できるのではないかと私は考えたのだ!」



 直後、黒髪青年からため息が漏れたのは言うまでもない。


『えーっと、ジュリアン? 俺が思うにあれは一晩中ベッドで激しくまぐわってお互い身も心もすっきりしたから熟睡できたんだと思うんだが?』


 と喉まで出かかったが、余計なことは言うまい。

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