第15話 ミッションインポッシブル
ユウヒは〈
本気で気配を消したユウヒの存在を見破れる者はいない。いるとすれば〈看破の魔眼〉の持ち主か〈
ユウヒは息を殺して壁に近づくと、壁の隙間から特区の中に視線を飛ばす。
影から影に移動する〈
ひとつは視認できる影にしか移動できないということ。
西日の位置から壁の影が特区の敷地内に長く伸びているのは間違いない。だが、分かっていても目で確認できなければアビリティが発動できないのだ。
それと影に潜っている間は呼吸ができない。深い海の底を泳ぐように影の中では移動速度も制限される。それらも考慮して距離を見定める必要がある。
あとは〈
(……よし、噴水の影に移動しよう)
正面
ユウヒは気配を消したまま底なし沼に飲み込まれるようにズブズブと足元の影に沈んでゆく。
コツン。コツン。巡回する衛兵たちの革靴が石畳を規則正しく叩く。
足音が遠ざかるのを見計らって噴水の濃い影からユウヒが顔を覗かせる。ユウヒはそこで呼吸を整えると、巡回する衛兵たちの背後を音もなく移動して、植木に身体を滑り込ませる。
【————〈
アビリティを発動させ巡回する衛兵の数や配置、それと魔法結界やトラップの位置を把握する。幸い特区の地図は頭の中に入っている。
「……いける。ルートは完璧」
実は特区を訪れるのはこれが初めてではなかった。エマに許可されて一度だけ女勇者と幼馴染が暮らす宿舎に遊びに来たことがあるのだ。
(職業病だな……その時にどうやったら侵入できるかっていうシミュレーションは一通り終わってんだよな)
職業病の甲斐もあってユウヒは危なげなく女勇者たちの宿舎にたどり着く。
「相変わらず立派な住まいだな……格差を感じるね」
宿舎と言っても黒髪青年が暮らす長屋のような簡素な木造建築ではない。天下の勇者様の住まいだ。高級ホテルのような赤レンガ造りの豪華な建物だ。
女勇者と幼馴染はこの最上階のペントハウスで暮らしている。
最上階だが、建物内の魔法式エレベーターを使うわけにはいくまい。エレベーターを起動させるには自らの
「だったら外から行くしかないよな」
建物全体に魔法結界が張り巡らされているが、少なくとも、内部よりはセキュリティは緩いはずだ。
プランはこうだ。最初に〈
【————〈
さながら黒い稲妻だ。宿舎の壁を黒髪青年が駆け上がってゆく。そそり立つ壁をこれほど素早く昇ることのできる者はそうはいないだろう。
瞬く間に最上階にたどり着くと、柵をひょいと越えてベランダに降り立つ。ユウヒはひとつ大きく深呼吸をする。
「ジュリアンが寝ていたら花束だけ置いて黙って帰ろう」
寝ていることをわざわざ起こす必要はない。ユウヒは腰のアイテムボックスから花束を取り出すと、窓に近づき部屋の中の様子を窺う。
ユウヒの部屋とは比較にならないほど豪華で広い部屋だ。ベッドも大きくいかにも高級そうだ。その時だった。
「————————!?ッ」
黒髪青年は目を見開き固まってしまう。凹凸がくっきりとしていて、ほどよく引き締まった理想的な肉体が目の前にはあったからだ。
シャワーでも浴びてきたのだろう。茜色に染まった部屋に銀髪の女勇者ジュリアン・アーセナルが全裸で入って来たのだ。
西日に照らされほんのりと赤らんだ女勇者の肢体は、名工が魂を込めて造った彫像のごとく神々しく美しかった。
ユウヒは見惚れて手にした花束をうっかり落としてしまう。足元でバサリと大きな音が鳴る。
「————————何者だッ!」
女勇者が即座に反応する。瞬間、ガラス越しに二人の視線が重なった。
「やあ……ジュリアン! 今日はいい天気だな!」
黒髪青年がぎこちない笑顔を浮かべる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
しばし無言で見つめあっていたのだが、女勇者は錆びた
彼女は無言で枕元の長剣を手に取り抜き放つと、
「ぶ、ぶ、ぶっ殺してやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅー!」
全裸のまま涙目で剣を振りかぶる。
「待て待て! ジュリアン落ち着けぇぇぇぇぇー!」
「貴様を殺して私も死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅー!」
「見えてるからぁ! 大事なところが、全部見えちゃってるからぁぁぁぁぁ!」
黒髪青年から指摘されて女勇者はバッとその場にしゃがみ込む。
「うううう、また裸を見られたぁ! 私はまたユウヒ・マンチェスターに
人聞きの悪いことを叫んで女勇者は背中を丸めて膝に顔を埋める。
黒髪青年は慌てて〈
「ジュリアン! 他意はない! これは偶然だ!」
「他意がないだと!? ベランダから侵入したくせに!」
「信じてくれ! お前の見舞いに来ただけなんだ!」
「貴様が? 私の見舞いに?」
胡乱な眼差しである。
「嘘をつけ! やましい気持ちがないのなら正々堂々、正面から見舞いに来れば良いではないか!」
「だったら聞くが、正々堂々『見舞いに来た』と告げたらお前は俺の入場を許可してくれたか?」
「ふざけるな! 貴様のような危険な男を招き入れるわけがなかろう!」
「ですよねえ!」
案の定である。
「だから少々、強引な手段を使わせてもらった」
「呆れた男だ……特区のセキュリティを突破するなど前代未聞だぞ? このことが誰かに知れたら大事だ……分かっているのか?」
「仕方がないだろ……お前のことが心配だったんだから」
「……え?」
予想外の答えだったらしく驚きの声を漏らしてジュリアンが固まる。
「実は街でエマと会ったんだよ」
「エマに?」
「ああ。エマからジュリアンが『最近ずっと眠れなくて体調が悪い』って聞いて……気になって様子を見に来たんだ」
黒髪青年はベランダの素早く花束を拾うと、
「ほら! これ! 見舞いの花束だ!」
証拠だとばかりに差し出す。押し付けるように渡したのは女性に花束を贈ることにユウヒが慣れていないからだ。
女勇者は不服そうに花束を受け取ると、それをじっと見つめる。
反応を固唾をのんで見守っていると、女勇者はおもむろに花束に顔を近づけ「いい匂いだ」と柔らかな笑みを浮かべる。どうやら花が好きらしい。ようやく落ち着いてくれた。
ところが、落ち着いた途端、女勇者は素っ頓狂なことを口にする。
「だがなぜだ? なぜ貴様が私の心配をする? 貴様に心配される言われなどないはずだが?」
女勇者が少女のような無垢な瞳で小首を傾げている。
「なんで分からないんだよこいつは……」
黒髪青年は思わず片手で顔を覆う。
『仮にも一夜を共にした間柄だろ! 俺のせいで体調を崩してたらどうしようって心配するのは当たり前だろうが!』
と喉の先まで出かかったが言葉をぐっと飲み込み、
「いいから服を着ろ! 話はそれからだ!」
黒髪青年は呆れるように言い放って背中を向けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます