第8話 入れ替え戦

 ようやく一人になったユウヒは眉間を撃ち抜かれたみたいにベッドに倒れ込む。

 

「疲れた。仲間たちには悪いが、今日は仕事を休んでこのまま寝てしまおう」


 重い瞼をゆっくりと閉じる。自室に久しぶりの静寂が訪れる。しかし、寝れるはずはなかった。ベッドに女勇者の濃厚な香りが残っているのだから。

 確かに昨晩の記憶はまったくない。だが、先ほどまで眼前にいたのだ。


 艶やかな銀髪が、肌理の細かい雪肌が、長いまつ毛が、桜色の薄い唇が、瞼の裏に鮮明に浮かび上がってくる。女勇者の汗ばんだ肌が、潤んだ瞳が、熱い吐息が、容易く想像できてしまう。

 ユウヒはベッドから飛び起き「あ~~~~~!!!」と髪をかきむしる。

 

「仕事に行こう! こういう時こそ仕事に没頭して邪念を振り払おう!」


 黒髪青年は部屋を出て所属ギルドに向かう。


「仲間たちとなにか適当なクエストでも受けて気分を変えよう」


 ユウヒが所属するのは【シャドウギルド】だ。

 暗殺者アサシン盗賊シーフや闇魔導士やネクロマンサーなどなど、一般的に印象のよろしくないジョブが身を寄せるギルドである。


 だが、外に出ても女勇者の呪縛は黒髪青年を捕えて離してはくれない。 

 なんせ女勇者は超がつくほど人気者なのだ。街の大通りを歩けば、女勇者の話題が嫌でも耳に入ってくる。

 ユウヒが道中のカフェで空っぽの腹に軽くなにかを入れようと立ち寄ると、


「ねえ、一週間後の【勇者入れ替え戦】にジュリアン様は勝てるかしら……?」


 若い女性のグループからさっそくジュリアンの話題が流れてくる。


「今回の挑戦者はオークのように大きくて屈強な重戦士だよね?」

「問題ないわ! 凛々しくて勇ましいジュリアン様がむさくるしい挑戦者になんて負けるはずがないわ!」

「そうよそうよ! 【剣聖の勇者】ジュリアン様なら絶対に大丈夫よ!」

「うん! 私たちファンがジュリアン様の勝利を疑ってはいけないよね!」


 現在、王都スタンフォードの話題はもっぱら一週間後に迫った【勇者入れ替え戦】についてだ。

 世界七大勇者セブンブレイブスには入れ替え制度があるのだ。


 半年に一度、開かれる武闘大会で優勝すると勇者への『挑戦権』を得られる。挑戦権を手にした冒険者は世界七大勇者セブンブレイブスの一人を指名する。

 そこで見事、指名した勇者を倒すと新たな勇者として世界七大勇者セブンブレイブスの末席に加わることが許されるのである。


 たとえば今回の挑戦者が勝利したなら【重戦士の勇者】とでも呼ばれることになるだろう。

 あくまで【勇者】とは称号であってジョブではない。

 ジュリアンのジョブは【剣聖】。よって【剣聖の勇者】と呼ばれている。


 要するに今回、挑戦者に指名されたのが最年少勇者のジュリアン・アーセナルというわけだ。


 今まさに街の巨大ビジョンには、女勇者と挑戦者の対決を煽るような映像が繰り返し流されている。

「ジュリアンも舐められたもんだな」

 映像の中でオークのごとく巨大で屈強な挑戦者が『小娘など恐れるに足らず!』と豪語している。確かに体格やジョブからしてパワーは挑戦者に分があるだろう。

 しかし、剣の腕はジュリアンが上だ。なにより彼女の【剣聖】というジョブのポテンシャルはずば抜けて高い。


「俺の部屋でも使っていた〈真実無妄パーフェクトトゥルース〉の前では小細工など通用しないからな」


 黒髪青年は女勇者の勝利を微塵も疑っていない。彼女とはいろいろと因縁はあるが、その才能は高く評価している。


 ところがだ――シャドウギルドの仲間たちから不穏な噂が流れてくる。


「ういーっす! ユウにい! 今日はずいぶんと余裕の出勤じゃん!」

「悪かったジョン。ちょっと寝坊してな……」


 ギルドの扉を潜ると、栗毛の猫耳青年が元気に駆け寄ってくる。

 この猫耳族の青年はジョン・レスター。同じ孤児院出身の弟分で、シャドウギルドのクエストを一緒にこなす仲間だ。


「ふむ。ユウヒ。お主が遅刻とは珍しいのう」


 いつの間にか背後に褐色の美丈夫が立っている。 

 この長髪美形のイケメンはカール・マインツ。口調は爺さんのようだが、ダークエルなので見た目は若い。

 カールは同じくシャドウギルドのクエストを一緒にこなす仲間だ。


「大方、女でも部屋に連れ込んで、起き抜けに一戦交えたせいで遅刻したじゃろ?」

「ヒュ~♪ ユウ兄やるぅ! いつからそんな色男になったのさ!」


「そ、そ、そ、そんなわけないでしょうがぁぁぁぁぁ!」


 動揺のあまり声が裏返った。


「違うのか。ワシが遅刻する時はいつもそれが理由なんじゃがな」

「カールの基準を俺に当てはめるな……てか、仕事前に一戦交えんなよ」

「羨ましいよなぁ。カールの兄貴は死ぬほどモテるもんな。おいらとは生きてる世界が違いすぎるぜ」

「ジョン。カールを羨むなんて無意味なことは止めろ。このイケメン爺のジョブは【女たらし】だからな。天性のものなのさ」

「寝ぼけたことを言うな。ワシのジョブは【狙撃手スナイパー】じゃ」

「知ってるよ! 嫌味だよ!」


「だとしても的外れじゃ。ワシはおなごを『たらし』たことなど一度もない。おなごの方から抱いて欲しいとワシの寝床にやってくるからのう」


 イケメンダークエルフは平然と言ってのける。黒髪青年と猫耳青年が顔を見合わせ白旗を振るみたいに小さく首をくすめたのは言うまでもない。


 カールは老獪で掴みどころのない人物だが、冒険者界隈では誰もが認めるモテ爺なのだ。当人曰く『なぜモテるのかよう分からん』そうだ。噂によると普段は笑わないカールが女性と二人きりの時にだけ特別な『笑顔』を見せるらしい。

 そんなモテ男が「それよりお主ら聞いたか?」と切り出す。


「【剣聖の勇者】が今日の『七勇しちゆう会議』を欠席するらしいぞい」


 あまりにタイムリーな話題に黒髪青年は思わず咳き込む。


「おいらも聞いたっす! シエロ・マドリードは二日酔いが酷くて今日の予定をすべてキャンセルしたって」


 さすがシャドウギルドの仲間たちだ。耳が早い。


「いや、女勇者の二日酔いってのは表向きらしいんじゃ」

 途端、ダークエルフが声を潜める。

「実は一週間後に控えた入れ替え戦のプレッシャーでかなり精神的に追い詰められているって話じゃぞ」

「マジっすか! あの天才ジュリアン・アーセナルも人の子だったか!」


(そういうことか……昨日に限ってやけに俺に絡んでくると思ったら……入れ替え戦のことでナイーブになってたからかもしれないな)


 黒髪青年の中でいろいろと辻褄が合う。


「ジョン。笑いごとではないぞい? 番狂わせが起こるかもしれん」

「え? まさか挑戦者が勝つって言いたいんすか? でも、入れ替え戦で勇者が負けるなんてここ数年一度もなかったじゃないっすか?」


「確かにのう。だが、いくら天才と言っても剣聖の勇者は18歳の少女じゃ。プレッシャーから本来の力を発揮できずに負けたとしても不思議ではなかろう」


「こりゃ見ものっすね! 俄然! 入れ替え戦が楽しみになってきたっす!」


 ジュリアンの勝利を確信している黒髪青年だが、仲間たちの会話を聞いているうちに徐々に不安になってくる。

 考えてみれば、昨日は腑に落ちないことが多すぎた。

 本人も言っていたが、酔っていたからと言って嫌いな黒髪青年に抱かれるなんて女勇者らしくないのだ。


(精神的に追い詰められていて、誰でもいいから縋りたかった……それがたまたま俺だった……そう考えれば納得できないこともないか)


 あれで女勇者の気が紛れたのなら、黒髪青年としても少しは救われる。だが、根本的な問題の解決ではない。あくまで一時的な逃避にすぎないだろう。


(ますますジュリアンのことが心配になってきた……エマに探りを入れてみるか)


 黒髪青年がそう神妙な顔を浮かべているとギルドの受付カウンターから、

「ユウヒ! まだクエスト受注してないわよね?」

 受付嬢の女性の声が届く。


「どうした? ナタリー?」

「実は緊急のクエストがあるんだけど受けてくれない?」

「緊急のクエスト?」


 受付嬢のナタリーが黒髪青年たちに告げる。


「ええ。ユウヒたちにお願いしたいのは【魔王ダンジョン】で悪さをしている『密猟者』の排除よ」

 

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