第6話 もう子供じゃないんだよ
「昨日、ユウくんずっとジュリちゃんとお酒を呑んでいたでしょ?」
「まあな……」
「それでお店のお酒を呑みつくして『もう一軒行くぞ!』ってジュリちゃんに引きずられて店を出て行ったじゃない?」
「ま、まあな……」
いや、この時点ですでに覚えがない。
「その後、ジュリちゃんがどうしたのかなって……ユウくん知らない?」
そう金髪聖女が眉尻を下げる。ひどく心配そうな顔だ。
いつもならその丸い頭に手を伸ばして「大丈夫だ」と撫でるところだが、黒髪青年は思い止まる。女勇者の言葉が脳裏を過ってしまったからだ。
「……いや、知らん。起きたら俺は自分のベッドで寝ていて、ジュリアンといつどこで別れたのかもまったく覚えていないんだ」
咄嗟の言い訳だが、嘘ではない。むしろ一番、真実に近いかもしれない。
「そうなんだ……」
金髪聖女がしゅんと肩を落とす。
「ジュリちゃん、どうして朝になってもお部屋に帰ってこないんだろう……なにか事件にでも巻き込まれていたらどうしよう……」
「平気だろ? ジュリアンは強い。万が一、事件に巻き込まれたとしてもアイツなら自力で解決できるはずだ」
幼馴染を安心させようと言ったのだが、逆効果だった。
「もう! ユウくん! ジュリちゃんはすごく強いけど、女の子なんだよ!」
エマが頬をぷっくりと膨らませる。
「ジュリちゃんって勇者だからどうしても勇ましい部分が目立っちゃってるけど、すごく美人さんなんだよ? 髪や肌も同性のエマから見ても羨ましいくらい綺麗だし」
「そうだな。黙ってれば美人だよな」
「でしょ? だからジュリちゃんが悪い男の人に口説かれたり騙されたりしてないかエマは心配なの!」
「な、なるほどな……そりゃすまなかった……」
黒髪青年があまりにもバツが悪くて友だち想いの妹分からそっと目を逸らしたは言うまでもない。
「ジュリちゃんは強くて賢い女の子だけど、真っすぐすぎて融通が利かないところがあるんだよ。それにすごく負けず嫌いだし」
「間違いない」
全面的に同意する。
「悪い男の人なんて無視すれば良いのに……ジュリちゃんは真面目だからまともに相手をしちゃって、売り言葉に買い言葉で引くに引けなくなって、気づいたら騙されてたなんてこともあると思うんだよ」
「そ、それは考えすぎじゃないか……?」
これは全面的には同意しかねるのである。
「ジュリちゃん……昨日はちゃんとベッドで寝たのかな? 酔い潰れて道端で寝てたりとかしてないといいけど……」
大丈夫、今もベッドの中だ。
「任せろエマ。俺がジュリアンを見つけてやるから。お前は宿舎でジュリアンの帰りを待っててやれ」
幸いにも女勇者の居場所に心当たりはある。
「ありがとう! ユウくんならそう言ってくれるって信じてたよ!」
そう金髪聖女が嬉しそうに抱きついてくる。昨日までなら無邪気で可愛い妹分だと微笑ましい気持ちだっただろう。
「こら、エマ! お前も昨日で17歳になったんだから、もう子供の頃のように気安く抱きついたりしてくるんじゃない」
金髪聖女を引きはがそうとするが、むしろより強く抱きついてくる。大きな胸の膨らみがぐにゃりと潰れるほどに。
「そうだよ。エマは17歳になったんだよ。もう子供じゃないんだよ……」
エマが黒髪青年の胸に頬を寄せながらクスリと笑う。やけに艶めかしいその表情に思わず息を呑む。
恐ろしくなって黒髪青年は慌てて金髪聖女を引きはがす。
「とにかくだ! ジュリアンが見つかったら、エマが心配してたからすぐに帰宅するように伝えておくから! エマは宿舎に帰れ!」
そう黒髪青年が慌てて扉を閉めようとすると、幼馴染がジト目を向けてくる。
「ねえ、ユウくん」
「な、なんだよ……?」
「今日はどうしてお部屋の中にエマを入れてくれないの?」
黒髪青年のこめかみ付近を嫌な汗が流れてゆく。
「そ、それは……部屋の中が散らかってるからだ」
「エマがそれを気にすると?」
「俺が気にするんだよ!」
「なぜ? いつもはエマがお部屋のおかたづけをしたら喜んでくれるじゃん」
エマがひょっいと部屋の中を覗き込んでくる。
「もしかして――――女の人でも連れ込んでるのかな?」
背後でベッドがギシッと微かに揺れたのは気のせいではないだろう。
「そ、そんなわけないでしょうがぁぁぁぁぁ!」
声が裏返った。
「相手は誰? どこの女を部屋に連れ込んだの?」
「エマ……? 眼が怖いんだが……?」
「ギルドの受付嬢のナタリーさん? それとも行きつけの
「次から次へと出てくるな! おい!」
女の勘というヤツだろうか。エマが旦那の浮気を疑う嫁の勢い詰めてくる。
もしもジュリアンがベッドに隠れているのがバレたら間違いなく修羅場だ。なんとしてでもこの場を乗り切らなければならない。
「違う違う! 俺は考えを改めたんだ! 聖女様を独身男の部屋に気安く入れるなんてダメだってな! 掃除させるなんてもっての外だ!」
これは嘘じゃない。前々から思っていたことだ。
(エマも17歳になった。見た目も実力も今や立派な聖女様だ。寂しいが、俺のような男とは少し距離を置いたほうがいいんだ)
もっとも金髪の幼馴染に引き下がる気配はない。
「エマは気にしないよ。エマは聖女である前にユウくんの幼馴染だもん」
「お前はそれで良いかもしれない。だが、世間が許しちゃくれないんだよ」
「そんなのおかしいよ。エマが好きでやってることにどうして文句を言われなきゃいけないの?」
エマは大人しそうに見えて実は意思が強い。いや、頑固とも言うが。
「エマには聖女としての立場がある。皆の期待を裏切りたくはないだろ?」
「それはそうだけど……」
「天下の聖女様に部屋の掃除をさせてるなんて知られたら俺の立場も危う」
「でも!」
「でもじゃない! 子供じゃないなら分かるだろ? 生きるってのは、そういう面倒ななしがらみとどう折り合いをつけてゆくかってことだろうが」
山に一人籠って生きてゆくのでもなければ、人間という生き物は、しがらみの中で、社会のシステムの中で、上手く立ち回ってゆくしかないのだ。
「そんなのエマだって分かってるよ! 分かってるけど……立場が邪魔して好きなものを好きだと好きなように言えないなんて……すごく窮屈だよ!」
「だが、立場のお陰で恵まれている部分もあるじゃないか。孤児院育ちの俺たちが世間で馬鹿にされることなく生きていけるのはジョブのお陰だろ?」
「……うん。分かってるよ……聖女という素晴らしいジョブを与えてくださった女神様に感謝してる」
黒髪青年は一瞬だけ躊躇ったが、金髪少女の丸い頭を撫でる。これは純粋な庇護欲だ。エマは途端に顔をほころばせる。
「ごめんね。ユウくん……エマね、ユウくんにはついついワガママを言っちゃうんだ」
「気にすんな。エマはいつも聖女として世間の期待に応えようと一生懸命に頑張ってるんだ。幼馴染の俺にくらい好きなだけワガママを言えよ」
「ありがとう! ユウくん! 大好き!」
「……分かったからさっさと帰れ」
「うん! ジュリちゃんのことよろしくねー!」
満面の笑みで金髪少女が去ってゆく。遠ざかる幼馴染の背中に手を振る黒髪青年の心中はなかなかに複雑だった。
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