第5話 聖女エマ・ワトフォード

 枕に顔を埋めて「ん~~~~~!」と唸っている女勇者を眺めながら黒髪青年は、とある重大なことを思い出す。


「あ、そうだ! ジュリアン!」

「ん?」

「その……エマのは本当か……?」

「エマの俺に関する件……ああ!」


 我を取り戻したかのように女勇者がベッドからむくりと起き上がる。艶やかな銀色の髪を素早く撫でて整え、ひとつ咳払いをして、凛々しい表情を浮かべる。


「エマが貴様のことが『好き』だという件だな?」

「そうだ……なにかの間違いじゃないのか?」

「なぜそう思う?」


「俺とエマは同じ孤児院で育った兄妹のような間柄なんだ。エマの好きは『兄として慕っている』という意味だと思うんだが?」


 ユウヒは必死だ。妹のような相手なのだ。いきなり好きだと聞かされて受け入れられるはずがない。むしろショックを受けている。

 だが、女勇者は無慈悲に「いや」と銀色の前髪を揺らす。


「本人の口からはっきりと聞いたのだ。幼い頃からユウヒ・マンチェスターのことをずっと好きだと」

「幼い頃から……?」

「そうだ。一人の男性としてずっと好意を抱いていると」

「一人の男性として……?」

「性的な目でずっと見ていると」

「せ、性的な目でッ!?」


 衝撃のあまり黒髪青年は声を荒げてしまう。


「『エマの初めてはユウヒくんに貰ってもらうの』と言っていたぞ?」

「な、なにを考えてるんだ……エマのヤツ……」


 ベッドにへたり込むのは青年の番だった。


「呆れたな。ずっと一緒に育ってきたのだろ?」

「まあな。俺が孤児院から独り立ちするまでの10年間以上ずっと寝食を共にしてきた。エマは妹であり家族だ」

「そんな近くにいてエマの気持ちにまったくに気づかなかったのか?」

「気づくわけがない。俺はエマを異性として見たことがないからな」

「なぜだ? 貴様とエマに血の繋がりはないではないか?」

「そりゃないが……そういう問題じゃないんだよ」


 女勇者が憮然と眉をひそめる。


「私には分からん。エマは器量良しで美人で胸も大きい。世の男性からの人気も凄まじい。名のある冒険者や貴族や王族からの結婚の申し込みも数知れず。そんな娘から好意を寄せられなにが不満なのだ?」


「俺だってエマのことは可愛いとは思っているよ! それこそ『世界で一番可愛い』と思ってるさ!」

「ふん! このスケコマシが! 貴様の世界一は一体、何人いるのだ!」


 途端、女勇者が不服そうに切れ長の目を吊り上げる。


「誤解すんな。カテゴリーが違うんだよ。エマは世界で一番可愛い『妹』なんだよ。ジュリアンは世界で一番可愛い『女』な?」

「……ふむ。なるほど」


 ジュリアンはすまし顔を浮かべているが口元の笑みは隠しきれていない。


「はっきり言って私は親友のエマを貴様のような危険な男に渡す気はない。だから貴様にその気がないのは朗報と言えよう」

「そりゃどうも」

「だが、エマのように愛らしい娘の好意を拒否するなど万死に値する」

「いや、どっちだよ」

「私も複雑な心境なのだ」

「同じだ。俺だって複雑なんだよ。エマのことをずっと妹のように思ってきたんだ。いきなり一人の男性として好意を抱いていると言われても困るんだよ……」


 黒髪青年は大きく息を吐き項垂れる。


「だったら……もしエマから告白されたらどうするつもりだ?」


 女勇者からの核心的な質問に黒髪青年は大きく息を呑む。


「それは……」


 ――――瞬間だ。


 女勇者の視界から一瞬にして黒髪青年が消失する。

 女勇者は気づくと黒髪青年にベッドに組み伏せられていた。


「き、貴様なにを! こんな明るいのにまた私のことを抱く――――」

 

 黒髪青年の大きな手に口を塞さがれる。

「……静かにしろ。足音が聞こえる」

 女勇者は胡乱な眼差しを浮かべている。当然だ。ジュリアンの耳には足音など聞こえていないのだから。


「こらこら、疑うなよ。俺を誰だと思ってんだ? 暗殺者アサシンだぞ? 気配を消すのも察知するのも得意なんだよ」


 そう言って黒髪青年がさらに感覚を研ぎ澄ませる。



【————〈鳶目兎耳シャープセンセーション〉————】



 建物に蜘蛛の巣のように張り巡らせた感覚が部屋に近づいてくる人物を捕える。

 足音、息遣い、背丈、髪型、服装、大きな膨らみ、魔力マナの量。さまざまな情報が一人の人物を導き出す。


「まずい……エマだッ! エマが階段を上がってこの部屋に向かって来てる!」

「んぐ~~~~~~!!」


 ジュリアンの顔がサーッと青ざめる。黒髪青年は女勇者の口から手を放す。


「も、もしかして……私が貴様と一夜の過ちをおかしたことをエマに気づかれたのでは……」

「分からん……とりあえず、ジュリアン! ベッドに隠れろ! 俺が対応する!」


 よほど親友にバレたくないのだろう。女勇者は素直にシーツを頭から被ってベッドの中に身を潜める。

 しばらくしてトントンと扉をノックする音が室内に響く。


「ユウくーん! 起きてるー! エマだよぉー!」


 聞き慣れた柔らかな声がする。

「……あー? なんだぁエマか? こんな朝っぱらからなんの用事だぁー?」

 黒髪青年は『今、起きました』と言わんばかりの気だるげな返事を返す。


「扉を開けてよ。直接、ユウくんの顔を見てお話したいの」

「いや、無理だ。俺は今、起きたばかりで全裸なんだ」

「そうなんだ。エマは気にしないよ。扉を開けて」

「気にしろよ! 年頃の娘だろうが!」


 事前に女勇者からエマが『性的な目で』と聞かされていただけに、ついつい語気が荒くなってしまう。


「急いで服を着るから! ちょっと待ってろ!」


 ベッドの膨らみに向かって黒髪青年は「しー」と口元に指を立てる。

 黒髪青年は黒装束の前ボタンの幾つかをわざと外して、わしゃわしゃと黒髪をかき乱してから扉を開ける。


「で? 用件はなんだエマ?」


 柔和な印象の金髪碧眼の美少女が眼前に立っている。ゆったりとした清楚な衣装が彼女の可憐さを際立たせている。


「実はね、昨日の夜からジュリちゃんが帰って来ていないの」


 黒髪青年の喉がゴクリと鳴ったのは言うまでもない。

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