第4話 世界で一番可愛い

 銀髪の女勇者が拗ねるみたいに唇を尖らせる。


「そもそも、貴様が悪いのだぞ! 貴様が『ジュリアンは色恋も知らぬガキだ』と言うから! 『男も知らぬ生娘が魔王を倒せるのか?』という言うから!」


「それは俺も言い過ぎたと深く反省している」


 まったく記憶にないが、すぐさま謝罪しておく。


「もちろん、私に落ち度がなかったと言わん……」

「そうかもな」

「貴様も知っての通り昨日は私もかなり酒に酔っていたからな……」

「確かに」


 まったく記憶がないので、基本、全乗っかりである。


「売り言葉に買い言葉で『だったら貴様が私を抱いてみろ!』と『貴様ごときに抱かれたところでなにも変わらん!』と私から貴様の唇を奪った結果がこれだ……」


 女勇者がしゅんと小さく肩を落とす。彼女もまた反省しているようだ。


(そういう経緯だったのか……強情で負けず嫌いなジュリアンのことだ。嫌いな俺から挑発されて引くに引けなくなったということか)


「すまなかった。どう考えても俺が悪いな」

「……え?」


 女勇者が目を丸くする。青年があっさりと非を認めたのが意外だったらしい。


「ジュリアンと知り合ってから一年以上は経つ。親しい間柄とは言い難いが、お前の性格を知らないわけじゃない。年上で女性経験のあるが引くべきだったんだろうな。本当にすまなかった」


 悪いと思っている。反省もしている。それは本当だ。

 だが、年下の女勇者に対してずっと下手に出ているのはさすがに癪だった。だから、ささやかな反撃をする。

 もっとも、ユウヒの嫌味に気づかないほどジュリアンは愚鈍ではない。すぐさま銀色の眉を跳ね上げる。


「笑わせるな! 誰が大人だと?」

「俺以外にいるか? まさかとは思うがジュリアン……たった一度、をしただけで大人になったつもりか? ん?」

「ど、どの口が言うか! 望み通り! 昨晩、貴様がベッドで私になんと囁いたか聞かせてやろう!」


 余裕の黒髪青年を女勇者が下唇を噛みしめながら睨みつける。


「貴様はこともあろうか! ベッドで震える私に『怖いか? だったらここで止めてもいいんだぞ?』と悪戯っぽく笑ったのだぞ!」


 あ。ダメだ。それは彼女には逆効果だ。絶対に言ってはいけないヤツだ。


「貴様にそんなことを言われて勇者であるこの私が引き下がれるわけがなかろう! そんなことも理解できぬ人間のどこが大人か!」


「どうもすみませんでしたあああああああああああああああ!」

 

 黒髪青年が速攻で土下座したのは言うまでもない。


「ジュリアン! すまなかった! 頼むから俺に償いをさせてくれ!」

「貴様の償いなどいらん! 悪いと思うなら一刻でも早く昨晩の件を忘れろ!」

「すぐ忘れる! 今すぐ忘れる! 他言もしない! だが、それとは別に俺になにか命令してくれ! お前の言うことをなんでも聞く!」

「……なんでも良いのか?」

「ああ、なんでもだ」

「じゃあ今すぐ死ねと言ったら?」

「それ以外でお願いしますッ!」


 女勇者は「うーむ」とおもむろに長いまつ毛を伏せる。

「な、ならば……答えよ」

 しばし逡巡してから銀色の毛先を細い指先でもてあそびながらおずおずと尋ねてくる。



「貴様が昨晩ベッドで……私に何度も何度も囁いたあの言葉は本心か……?」



「さ、昨晩? 何度も? 俺が囁いた言葉……?」

 こめかみ付近を嫌な汗が流れてゆく。


(ヤバい……まったく思い出せない。いや、思い出せるはずがない。まったく記憶がないんだからな!)


 だが、覚えてないでは済まされない。ジュリアンの様子からしてが意を決して尋ねているのだ。正しい答えを導き出さなければ激しい怒りを買うことになるだろう。


「なぜ答えない……本心ではなかったということか……?」


 女勇者が悲しそうに眉をひそめる。

「いや、そんなことはないさ」

 黒髪青年は当たり障りのない返答で時間を稼いで必死で頭を巡らせる。


(一体、なんだ? 『昨晩ベッドで……私に何度も何度も囁いたあの言葉』とは? 俺は彼女になにを囁いた……?)


 黒髪青年はハッとする。ようやく一つの答えにたどり着いたのだ。

 ユウヒは大仰おうぎょうに髪をかき上げ、余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせる。


「天下の女勇者も年頃の娘だな! 俺が何度も何度も囁いた『ジュリアンは世界で一番可愛い』という言葉が本心だったのか知りたいとは!」


 ここまで自信たっぷりに言い放って違っていたら死ぬほど恥ずかしいが、どのみち違っていた終わりなのだ。一か八かだ。


「か、勘違いするな! 貴様の化けの皮剥がしてやろうと思っただけだ! どうせ多くの女性に『世界で一番可愛い』と節操なく囁いているのであろう!」


 女勇者が気恥ずかしそうに目を伏せる。


(あっぶねえええええええ! 正解だったああああああああああ!)


 心の中でガッツポーズをする。

 黒髪青年はこの勢いのまま突き進む。


「ジュリアン・アーセナル。だからお前はガキなんだ。くだらない質問をするな」

「なんだと! なにがくだらない! 言ってみろ! ユウヒ・マンチェスター!」

 案の定、女勇者が目じりを尖らせ詰め寄って来る。

「決まってるだろ? 本心に」

「……え?」

「本心からお前のことを『世界で一番可愛い』と思ったから抱いたんだ」

「そ、それはどういう……」


 女勇者の瞳が戸惑いに揺れている。


「よく考えてみろ? 俺とお前が一夜を共にすることにどんなメリットがある?」

「メリット? そんなものあるわけなかろう」


「だろ? 俺とお前は犬猿の仲だ。一夜を共にしたら、翌朝、ひどく気まずい思いを味わうことになるのは火を見るよりも明らかだ」


「確かに……今、ひどく気まずいな」

「これからだって顔を合わせる度に気まずい思いを味わうことだろう」

「それは否定できんな……」


「それにお前は勇者で俺は暗殺者アサシンだ。社会的な立場がまるで違う。将来有望なジュリアンに手を出したなんて知られたら俺は王都では生きていけない」


「いや、そこまで大事か?」

「大事なんだよ! お前は自分の影響力をもっと自覚したほうがいい」

「……ふむ。覚えておこう」

「そして、最大の問題はエマだ。エマに言えるか? 俺たちが一夜を共にしたなんて? 俺には絶対に言えない」

「私だって無理だ! エマは親友なんだ!」


「てな具合に俺たちが一夜共にするのはあまりにデメリットが大きいんだよ」


「そのようだな……」

 女勇者が改めて事の重大さを噛みしめる。

「だが! そんな数々のデメリットを承知で! 俺はお前に手を出した! それはなぜか?」

 女勇者がじっと見つめてくる。



「単純な話さ! 昨日のお前のことを俺がと思ってしまったからだよ!」



 黒髪青年が臆面もなく言い放つ。女勇者の顔が一瞬にして赤になる。女勇者は火のついた身体を水風呂で冷やすみたいにベッドにダイブして枕に顔を埋める。


 何度も言うが、昨晩の記憶はない。ほぼ憶測で喋っている。

 だが、必ずしもすべてが嘘じゃない。それは断言できる。


 なぜなら、目の前で悶絶して両足をバタつかせている女勇者を見ながら『ジュリアンにも可愛いところがあるじゃないか』と本心から思っているのだから。


 

 

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