第3話 車いすのヒーローに励まされた
宮下氏の家庭は工場を経営している資産家であったが、両親の仲が芳しくなく、出歩くことが多かった。
宮下氏が身障者になった原因は、夜中にドライブしていてスピード違反の交通事故を起こしたからである。
宮下氏の授業内容は、人権についてであったが、ことさら身障者差別を強調することもなく、ポジティブな気持ちのいいものだった。
まあ現代は、高齢化社会いや高齢社会であるから、電動車いすの高齢者もなんら珍しくはない。
しかし、昔は手動車椅子であるから、取り越し苦労をしてはならないと言われていたという。
なぜなら、取り越し苦労をすると、血液の循環が鈍くなり、手に力が入らなくなり、車いすも自由に作動できなくなるからだという。
宮下氏曰く、車いすの人は、起床した時点から人の手が必要だという。
洗顔も手洗いも、歯磨きという日常生活が、一人ではできかねない。
だから、まわりの人特に家族を大切にしなければならないということ、また、昔は、心ない連中からは、車いすの人は人に何かをしてもらって当たり前であり、与えるものなどは何もないのではないかと思われていた。
しかし、現実は決してそうではない。
車いすでも、ポジティブなチャレンジ精神で、いつも笑顔を絶やさない人もいれば、人の心の痛みを理解し、悪事を働いた人でも必要以上に悪者扱いし、一方的に責めたりしない心の広い人もいる。
犯罪者に幸せな家庭の人は、誰一人いないというが、誰しもが一歩間違えれば犯罪者になる危険性がある。
また環境に起因するケースもある。
どんなに理解し難い人でも、この人はそういった世界のなかで、そういった教育を受け、それに従い生きてきた人なのだろう。
そう思えば、納得できる部分もある。
このことは、人に癒しと安らぎと、希望を与えることができる。
人が誰しも抱えている憎しみを、和らげることすらもできる。
このことは、宮脇氏の亡き母親から教わったことだという。
宮下氏の母親曰く、宮下氏は健常者であるときは、母親とまともに目を合わせて会話をしたこともなく、反抗的だったという。
健常者時代の宮下氏は、スポーツマンで女子からも人気があったという。
しかし、車いすになってからは、母親と大人の会話ができるようになったという。
やはり、エゴイズムな部分が取れ、精神的に丸くなったのであろうか。
宮下氏の精神は、健常者時代と変わらず、ポジティブ精神満載だった。
なんと、一人でアメリカを旅したという武勇伝を話して頂いた。
アメリカは銃世界であり、拳銃をもつということは、自分の身を守るという手段である。
宮下氏の場合は、車いすだったのでそう手荒なこと、腕力を武器に乱暴なことはしない安全枠だと思われていたはずだったが、それでも銃を突き付けられそうになったという。
私も含めた介護学校の生徒は、宮下氏のポジティブな武勇伝を、半ば感心しながらも真剣に聞き入っていた。
人は、肉体は変わってももともとの精神は変わらないというが、まさに宮下氏は、車椅子以前のポジティブさはなんら変わっていなかった。
このことは、人に救いと希望を与え続けるだろう。
宮下氏は、八年前に車椅子生活になったときは、真剣に自殺を考え、母親に向かって
「なぜ、あのとき殺してくれなかったんだ。
なぜ、あんたは頼みもしないのに、俺を産んだんだ」と見当違いの八つ当たりをしたという。
もちろん母親は困惑した。
しかしその絶望の真っ暗闇のトンネルのような時期を過ぎると、今度は車いすとして、生きる覚悟のようなものが湧いたという。この覚悟は将来への勇気へとつながっていく。
宮下氏は、車いす生活になるまでは、家に居ることが苦手で、常に出歩いていた。
もちろん母親をおばさん扱いし、会話すらすることもなかった。
今はお互いが、大人の会話ができるようになったという親子のつながりができたことを、笑顔で語っていた。
宮下氏の表情からは、不思議とネガティブな影は感じられず、むしろ屈託のない笑顔が板についていた。
まどかの脳裏に、宮脇と初対面での出会いの記憶が蘇ってきた。
今から、八年半前のことだった。
まどかがスーパーのコピー置き場で多量のコピーをしていると、後ろで順番待ちしていた青年が声をかけてきた。
「あのう、多量のコピーの途中、申し訳ないんだけど、一枚だけ割り込ませてくれませんか? 急ぎの用があるんですよ。
あっ、それと僕、拡大コピーの取り方、知らないんですよ。
教えてもらえると助かります」
まどかは、即時にOKして、青年に拡大コピーの取り方を教えた。
すると彼は、四十五度の角度で丁寧にお辞儀をして
「有難うございました。本当に助かっちゃいました。
お礼のしるしにお茶、ご馳走したいんです。となりのカフェでよろしいでしょうか?」
となりのカフェというと、スーパーに隣接している花屋のなかの小さなカフェであり、まどかが一度行ってみたいと思っていたあこがれのカフェだった。
彼曰く
「あっ、安心して下さい。その店は僕の兄が経営しているフラワーカフェで、今ならクーポン券もらえますよ」
まどかは思わず、えっ、これって新手のナンパ?!
しかし、その店に生花を販売しているので、まどかは大好きな白百合を買うことにした。
彼の兄は、笑顔で出迎えてくれた。
一人っ子のまどかにとって、兄がいるということは心強いことなんだなと少々うらやましく思った。
彼は席について、簿記のテキストを読み始めた。
「僕は学がないんですよ。名前すら書けば誰でも入学できる、体育大学付属高校を卒業したばかりですからね」
私は思わず吹き出したあと、ほころんだ表情で兄は言った。
「でも今、おまえがこの店の経理の手助けをしようとしてくれるために、簿記を学んでくれているのは、心強いよ」
彼はそれに答えるように言った。
「兄貴が夢だったこのフラワーカフェ、ぜひ繁盛してほしいな。
僕はヤンチャばかりして、母親に反抗し、そのたびに兄貴に庇ってもらっていたからな。僕にできる御恩返しだよ。
御恩返しは、できるときにしとかないとな。
人間の一生なんて、いつどうなるかわからないものな」
彼の兄は、しみじみと答えた。
「そういえば、お前とつるんでいた友達の一人は、バイク事故で即死したな。
お前はラッキーだったが、母親はお前のことを思うと寿命が縮まる思いだったぞ。これからは、命あるうちに母親孝行もしなきゃダメだよ。
この生花と同じ、満開に咲いた後は、必ず枯れてくる。
すると誰も見向きもしなくなる。
それでも、ドライフラワーになれば商品価値としては救われるけどな」
私はその言葉に返した。
「そうですねえ。桜の花見は、桜が散ると去っていく。
初夏になると葉桜になるが、葉桜を見にいく人はいない。
でも、来年は花を咲かせるという希望がありますが、一度摘んでしまった花は、枯れていくしかないんですね。
だからこそ、アートフラワーにはないみずみずしい美しさと、はかなさがあるんですけどね」
彼と兄は、深くうなづいた。
私は、兄の「有難うございました」を背中に感じながら、店を出た。
しかしその兄が、それから九年後、私と一緒に車いす生活になった彼の面倒をみることになったとは、そのときは想像もしていなかった。
そうだ、あのときの青年だ。
今、私の目の前にいる車いすの青年は、まぎれのなくあのときの青年だった。
お互い名前もメルアド交換もなかったが、顔つきと声は九年前のままである。
まどかは、思わず車いすの青年、宮脇淳に声をかけた。
「私のこと、覚えていますか?
九年前、スーパーのコピー機で知り合い、フラワーカフェに連れて行って頂いたことが、今でも印象に残っていますよ」
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