探偵物語

 二〇一三年九月。眞田探偵事務所に新たな依頼人がやって来た。派手な髪に濃いめのメイク、大きなサングラスに露出度の高い服装。予想するに、風俗嬢だろうか。あるいは、安いキャバクラ勤めか。依頼人の女からはキツい香水と吸ったばかりの煙草の臭いがした。外見は若さを失いつつあるが、精神は若いままのようだ。若い女性特有の輝かしさはなく「若さ」に囚われたまま大人になってしまったというべきか。正しく経験を積んだ女性の聡明さは感じられなかった。

 眞田竜が感じたのは疼きだった。肉欲を疼かせる女、と無意識に湧き上がる性欲に、眞田は少しの自己嫌悪に陥った。

 女をソファーに座らせると眞田は言った。「では、ご用件をお伺いしましょう」

 浮気調査か、ストーカー被害の相談か。あるいは犬や猫の世話か引き取りか。この手の客はごまんと見てきている。

 「息子を探してほしいの」

 「ムスコ?」飼い猫の名前ではなさそうだ。「家出、ということでしょうか?」

 「息子は家出するような子じゃあないの。八月のサマーキャンプに行ったっきり行方不明で」女はサングラスを外して、目頭を押さえた。けばけばしいが、整った顔立ちの綺麗な女だった。

 「行方不明、ですか。警察に相談は?」

 「もちろんしました。でも、警察は信用できません」

 「それで、私のところに」

 「千葉県警の杉澤という男の人が、あなたなら信用できると言っていました」

 「杉澤」懐かしい名前だ。

 千葉県警の杉澤亘は高校時代の同級生で、当時から親しい仲だったが、近頃は交流が途絶えていた。歳を重ねるたびに、同級生は家庭を持ったり、仕事が忙しくなったりと、友人に割く時間がなくなっていく。昔のようにはいかないのだ。友人達と疎遠になっていくのは自然の成り行きともいえるが、眞田の場合、携帯電話を所有していないことも大きな原因になっていた。いまやありふれた電子機器に疎い眞田は、旧友と連絡をとる手段を持っていないのだ。

 それにしても、この女、警察は信用できないと言っておきながら、刑事の紹介は信用するのか。おそらく、過去に何かあったのだろう。警察に苦い思い出があり、その嫌な後味が忘れられないといった類の人種だ。

 「わかりました。詳しい話を聞かせてもらえますか?」

 女はテーブルのは灰皿を一目して、煙草を取り出した。ピアニッシモだった。

 川島里奈は煙草を深く吸って、語りはじめた。「八月十三日の火曜日から五日間、稲毛第四小学校と提携している"エルマーのクラブ"で羅夢はサマーキャンプに行きました。十七日の夕方には学校に着いて、帰ってくるはずだったのに……」川島里奈は目を潤ませた。

 「羅夢、というのが息子さんのお名前ですね? 十七日に帰ってくるはずだった、ということは帰宅中にいなくなったということですか? 普通、キャンプ場まではバスか何かで集団で移動しますよね?」

 「いなくなったのは十六日だと聞いています。キャンプ最後の夜にいなくなった」

 「その時、お母様に連絡はなかったのですか?」

 「電話はかかってきてたみたいです。でも知らない番号だったからでませんでした」

 「キャンプ場はどちらに?」

 「館山です」

 「キャンプ場の名前は?」

 「〈エルマーの牧場〉だったと思います」

 「キャンプ場への行き来はバスですね? 学校に集まり、バスで移動。帰りも同様に。それで、帰宅予定日の十七日に学校に迎えに行った」

 川島里奈は頷いた。

 「ラムくんがいなくなったのは何時頃と聞いていますか?」

 「キャンプファイヤーの後だそうです」

 眞田竜は深く息を吐いて、スラックスからハイライトのパックを取り出した。普段、依頼人の前では煙草を控えるが、今回は例外にすればいい。川島里奈だって勝手に煙草に火をつけたのだから、無礼に思うことはない。それに、要領の悪い説明に辟易していた。

 「キャンプファイヤー、というと夕食後ですかね。二十時頃? 二十二時には就寝、ですかね、小学生なら。おっと、ラムくんは何年生ですか?」

 「二年生です」

 「ざっくり午後八時から午後十時の間に、小学二年生のラムくんの行方がわからなくなった。そういうわけですね? キャンプに参加していた子供や引率の先生、先生なのですかね? まあ、大人たち、ですかね。彼らは誰もラムくんがいつ、どこへ行ったのか、見たり聞いたりしてはいないのですか?」

 「キャンプファイヤーのときには確実に居て、その後部屋に戻って、寝る前の点呼のときにいないことがわかったそうです。どこへ行ったのか、誰も知らないって」川島里奈は溜めていた涙をこぼした。

 泣いているわりには落ち着いているようにも見えるな、と眞田は思った。子供がいなくなった親が取り乱す様は何度か目にしたことがあった。まずはなだめるのに苦労するのだが、彼女にそれはなかった。

 誰もが要領の得ない説明をし(川島里奈もそうだが、それは彼女の頭脳の問題だろう)、泣き、場合によっては怒りや不安の矛先を見失い、手当たり次第に罵倒する。眞田探偵が矛で突かれることも珍しくはなかった。

 どれもやむを得ない行動だが、川島里奈はそれに比べ落ち着いていた。建前として、涙を見せる。そのような受け取り方は、穿っているだろうか? 

 「小学二年、川島ラムくんは館山のキャンプ場〈エルマーの牧場〉で午後八時から午後十時の間にいなくなった。わかりました。ラム少年の捜索依頼、引き受けましょう。できる限りのことはやってみます」

 「ありがとうございます」

 「では、簡単な依頼書にご記入をお願いします。サマーキャンプの詳しい資料、そうですね、旅のしおり、みたいなものをコピーしていただけたらと思います。参加者に話を聞きたいので、その辺も教えていただければと。個人情報は慎重に扱いますので、ご安心ください。では、よろしければ事務的な手続きに進めさせてください。すぐに捜査に取り掛かります」

 こうして、探偵眞田竜の少年失踪事件の捜査がはじまった。数奇な歯車が動き出したことに、探偵はまだ気づいていなかった。

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