暗殺の森 その5
祠は小径の途中にあった。なんでもないような木々の間に、なんでもないようにポツンとあった。注意深く探さないと見つからなかったかもしれない。偶然通りかかっていれば気付きもしなかっただろう。それほど、ひっそりと森の中に隠れるように存在していた。
小さな祠にライトを当て、目を凝らす。外見には特別変わったことはなさそうだ。しかし、異様な空気が立ち込めている。空間が消えてしまうような寒気を催す佇まい。おどろおどろしく堂々としているよりも、存在感が薄れている方がかえって恐怖心を煽ってくるように感じた。
祠には木製の小さな扉があった。からくり細工の人形を連想させる繊細なつくりだった。ハムスターのゲージ用のドアと大きさは変わらないが、触れると重みがあった。
注意深く、重厚な扉を開けた。
中には丸い玉が一つ入っていた。ライトの光で玉は暗く鈍く光った。人工的な光を嫌っているかのような輝きだ。神秘的な美しさと霊的な邪悪さが入り混じっているようにも見える。本能的に触れるのを躊躇う雰囲気があった。黄金比の綺麗な球体だったが、人間的な金銭価値はなさそうだ。下手に扱うとバチがあたる。そういう感覚のするものだった。
だが、それだけといえばそれだけだ。神にまつわる場所では大抵が厳格な雰囲気を纏っている。バチあたり、という感覚はこういう場所では珍しいものではない。特別にこの祠に何かがあるという感じではなかった。
それよりも変わっているのは岩だった。
祠の後ろにある高さ百五十センチほどの岩だ。その岩は人間の顔のように見えた。ちょうど「ムンクの叫び」のように芸術的で、人間的なリアリティがあった。恐怖の表情がそのまま岩に吸い込まれたとでもいうのか。不気味な岩だ。ここら一帯に立ち込める不穏な空気はこの岩から流れているとさえ感じた。
だが、私はこの空気を居心地が良いと感じた。誰もいない森の中、湖の真ん中でボートに寝そべり本を読んでいるような安らぎだった。顔をあげれば星明かりと月光が降り、湖の下にはいくつもの人間の屍が沈んでいる。屍は生物の養分となる。
私の"精神の宮殿"には透明な湖が広がっていた。穏やかな風が吹いてくる。
「桃山先生、ちょっと……」
それまでも豊崎は何か声を発していたが、私の耳には届いていなかった。意識的にこの男の声を遮断していたのだ。ムンクの岩に気を取られ、私の耳はこの男の声を拾ってしまった。まったく、辟易する。
穏やかな邪悪。
この男を殺すか? いまここで。奴の苦痛が強ければ強いほど、私の"宮殿"は穏やかになるような気がする。私ならできる。私の"宮殿"は湖の上に浮かんでいるのだ。この男が沈んでいく眺めはさぞ絶景だろう。
「桃山先生! 桃山!」
なに?
ムンク岩の側に黒い影があった。少年、いや、少女か? おかっぱ頭で着物姿の子供が静かに佇んでいた。暗くて顔は認識できない。男の子にも女の子にも見えた。着物はあまり上質なものではなさそうだが、時代があわない。夏祭りや初詣といったイベントで、現代人が着るものよりも生地やデザインが古い。資料で見たことがあるような、戦後、いや、戦前の着物か? これではまるで、別の時代からやって来たみたいではないか。
「ほ、ホントにいたんだ」豊崎は震えあがっていた。青ざめた顔で思考が追いついていないといったように、感情をそのまま口にしていた。「幽霊」
そう言い残すと、豊崎はその場で倒れた。失神して失禁していた。どこまでも情けない男だ。いつだって腕っ節を自慢しているくせに、精神は脆弱だ。人間の強さとは、精神であり暴力ではないのだ。
だが、これで邪魔者はいなくなった。私には都合がいい。
「すでに死んでいるのか? 幽霊、なのか? それともまだ生きているのか?」私は彼(あるいは彼女)に訊いた。「幽霊にこの質問はナンセンスか? 言葉は通じているのかな?」
着物の子供は答えない。
「祠が原因なのか。それとも、このムンク岩なのか。いずれにせよ、この場所が条件なのだろう。君が現れた条件。死後の世界からやって来たのか。それとも、時を渡って来たのか」
木々の間を暗い風が吹く。
「対話は望めぬか。それとも、通じていてわからないふりをしているのか。伝えるすべがないのか」私は片目を瞑った。
そうする必要があるのかはわからない。ただ、"精神の宮殿"に他人は不要だ。それが誰であっても。たとえ幽霊であっても。
この邪悪な空間が私の感覚を鈍らせていた。子供の幽霊から敵意が向いているのか、判断できない。
「本当に幽霊だとするなら、殺すことはできるのか?」
死者を殺すとはおかしな表現だ。だが、私のディープ・ファイブならそれができるだろう。幽霊であっても膨張は可能だ。私にはその予感があった。
私は開いている方の眼球で、幽霊の胸を見た。ちょうど心臓のあたりを。私の精神が他人の心臓を正確に捉えることができるのなら、心臓だけを膨張させることもできるのではないか。私はこれを試したくて仕方がなかった。
私は幽霊子供の心臓を思った。小さく力強い鼓動は次第に大きくなっている。血管が膨らみ、小さな臓器は膨れ上がる。膨張の感覚は確かにあった。やはり、私の精神は正しい。
心臓は破裂した。
弾ける音の後、幽霊子供は暗闇に倒れた。一見、外傷はない。血肉を撒き散らすことなく、心臓だけを膨張させることができた。
私は鼻に触れた。鼻血はない。これは大きな成果だ。
しかし、幽霊子供は死んではいなかった。
確実に心臓は破裂したはずだった。しかし、幽霊子供の鼓動が風に乗って聴こえてきた。
これが幽霊という証明か。いや、幽霊は死ぬことのない存在、もうすでに死んでいる存在とするなら、鼓動があるのはおかしいはずではないのか。いや。幽霊という存在自体、誰も見たことのない不確かなものだ。人間が勝手に作り出したイメージに過ぎない。
暗くてよく見えないが、彼(彼女)は吐血していた。確実にダメージはあったのだ。それでも、立ち上がった。
––––超再生。ディープ・ファイブの再生能力だけが特化したものがあるとするなら。
私は再び片目を瞑った。
幽霊子供の頭が破裂した。
さて、どうなる?
心臓の損傷は修復できても、脳なら即死か? それとも、これも復元できるのか?
幽霊子供は起き上がらなかった。だが、死んではいなかった。破裂した頭部が内側から修復されていた。気味の悪い、おぞましい光景だった。
残っていた首から血管が伸び、肉が伸びる。身体の内器官が瞬く間に形成されていく。透明人間の内側を見ているような気分だ。
脳がある程度復元すると、その周りを骨が覆いはじめた。やがて骨に肉がつき、皮膚が浮き上がる。眼球や鼻も生まれ、頭皮からは髪も生えてくる。僅か数分のことだった。
おかっぱ頭の子供の姿は、私が目撃した最初と変わらぬ姿で、ムンク岩の隣に立っていた。
これは不老不死というのか?
おそらくは違う。これは予感だ。予知に近いのかもしれない。
超再生能力には限界があるだろう。再生される前に肉体と細胞を全て破壊すれば、修復はできない。燃やしたり、爆破したりするのが有効だと思われる。即座に焼き尽くせば、再生前に死滅する。
無限など、この世界には存在しないのだ。
とはいえ、ここまでの再生能力は無限に等しい。銃弾で脳を撃ち抜かれようが、心臓をナイフで抉られようが、修復できるのだ。
では、副作用はなんだ? 副作用もなしに超人的な能力は手に入らない。
声が聞こえた。正確には、声のような音だ。風に乗って聞こえてくる声は、仔猫が喉を鳴らすような音をしていた。目の前の幽霊子供が発しているのだと、私は本能的に理解した。
もしかすると、彼(彼女)は強力な"ギフト"も有しているのか?
私は後退り、片目のまま構えた。
しかし、何も起こらない。幽霊子供は、またも仔猫のような音で喋っていた。
私は気を失ったままの豊崎の肩を抱えた。この男などここでのたれ死ねばいいのだが、そうなると私にあらぬ容疑がかかるかもしれない。こんな男のせいで、私の崇高なる日常が汚されるなどあってはならない。
私は小径を戻った。幽霊子供はまだ鳴いていた。顔はまだ、認識できない。この子供の姿をした幽霊は、私に何かを訴えているのか。あるいは、これは敵意の表れなのか。声の理由はわからない。しかし、今すぐに私を攻撃する気配はなかった。
私はゆっくりと逃げた。
私の"ギフト"では、幽霊子供の修復よりも早く、膨張させることは不可能だ。対話もできず、殺せもしないなら、逃げるしかあるまい。
備えるのだ。
思えば、これは私に降りかかった「不運」だったのかもしれない。飯塚千夏は間違いなく「不運」に魅入られた少女だった。しかしそれは、必ずしも幸運でないことにはならないのではないか。私はそう思いはじめていた。
彼女は溺れるという「不運」に見舞われたが、そのおかげで練習から離脱し、熱中症を回避することができた(実はこの翌日に男子女子合わせて八人が軽度の熱中症で病院に搬送されたのだ。幽霊子供との因果は不明だが、何かあると私は思う)。
さらに、飯塚千夏はこの日の夜の「悲劇」をも回避することができた。豊崎教諭が気絶し失禁した噂が広まるのは容易に想像できることだろう。それは瞬く間にパニックを呼び、ホラー映画さながらの「悲劇」が合宿所を襲っていた。
私にとっては取るに足らないつまらないことだったが、「悲劇」は教員、生徒の間に広がっていて、まるで未知のウイルスによるパンデミックのような光景だった。
うんざりするその現場を、飯塚千夏は一人、体験することはなかった。パニックに陥った人間たちは、自室療養中の飯塚千夏の存在をすっかり忘れていたのだ。だから、彼女だけが、穏やかな夜を過ごすことができた。
私は考える。
飯塚千夏は「小さな不運」によって「大きな不運」を回避しているのではないか。現に彼女はパニックの「悲劇」も「熱中症」も回避した。「幸運」を捨てる代わりに「大きな不運」を回避しているのではないだろうか。
きっとそれだけではない。もしも「大きな不運」が彼女だけに降りかかっていたら、命の危険に陥っていたかもしれない。「大きな不運」を複数の他人に振り分けることで、自己防衛しているともいえる。つまり、周りにいた我々が飯塚千夏の「不運」を代わりに消費したのだ。
「不運」を他人に振り分ける能力。それが飯塚千夏の"ギフト"なのかもしれない。
くだらない考えだと思うだろう? 私もそう思う。しかし、こんなことでも考えていないと、精神がどうにかなってしまいそうなのだ。パニックの「悲劇」とはそれほど悲惨なものだ。彼ら全員を殺すわけにもいかない。私にできるのは、「不運」についての"ギフト"に思考を巡らせることと、この場の人間たちが全員、地球温暖化に抗議して焼身自殺することを願うしかできないのだ。
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