暗殺の森 その4

 午後十時、就寝時間になり生徒たちが決められた部屋にいることを確認すると、私は合宿所のロビーに下りた。リトル・ブラッキーは眠っていたので部屋に残してきた。

 豊崎の姿はまだなかった。男を待つという行為がこれほど時間の浪費に感じられるとは。

 三十分後、豊崎は遅れたことを悪びれる様子もなくのろのろとやって来た。口臭と肌の火照りを見ると、酒を飲んできたようだ。この男のたちが悪いのはこれだ。熱血教師に見せようと振舞っているが、見せかけの薄っぺらいもので、本質は怠惰で自堕落。「思いやり」など持ち合わせてはいないのだ。それも崇高な精神のためであるなら許されることだが、この男の場合はそういうわけでもない。ただ、他人によく見られたいだけで、己の中を貫く一本の軸がない。他人に好かれたい。それも目先の好意だけだ。他人というのは女であり、美人に限る。女に好かれるために薄っぺらでその場しのぎの無責任な言動をする男だ。こういう類の男は珍しくもないのだが。現代の生んだ卑しき産物といえよう。"精神の宮殿"を持たぬ人間を私は生き物として認めない。

 「あ、懐中電灯忘れたわ」豊崎は私の手に下がった懐中電灯を見て大きな独り言を言った。「まあ、スマホのでいいか」豊崎はあくびをしながらだらだらと歩き出した。

 合宿施設の外周を回る間、私は一言も声を発しなかった。

 豊崎はブツブツと喋っていたが、私に返答を求めるような内容ではなかったので、勝手に喋らせておいた。

 私が施設の裏手から山に続く小径へ入ろうとすると、豊崎は足を止めた。

 「え? そっちまで行くんですか?」

 「祠はこの道の先でしょう?」

 豊崎は蔑んだ笑みを浮かべた。「祠って、あんた。学校の七不思議とか信じちゃうタイプ? 見回りなんてね、ちょっと歩いて何にもなければそれでいいんすよ。先生が見回りをしたっていう事実が、生徒を安心させるわけですから。テキトーでいいんすよお。本当に祠まで行かなくったって」

 「そうですね」私は"テキトー"に相槌を打った。「念のために、私は祠まで歩いてみます。ただの散歩ですよ。豊崎先生はお戻りになってくれて構いませんよ」

 私は豊崎の返事を聞かずに小径に入った。

 やる気がないのなら、初めからやらなければいい。

 やる、やらないを決意するには覚悟が必要だ。覚悟は誇りに繋がる。精神の高みへと繋がる。誇りは"精神の宮殿"を支えるものだ。"テキトー"を続けるのは、覚悟も誇りもないからだ。覚悟がないから無責任で、誇りがないから怠惰になる。そんな言動に価値はない。"宮殿"は崩壊する。何事にも覚悟と誇りが必要なのだ。

 「ちょっと待ってくださいよ」豊崎は私を追いかけて来た。「別に行かないとは言ってないでしょうが」

 私は無言で暗闇が続く小径を照らして歩いた。

 「あーあ。飲む時間が減るよ」豊崎はなおも独り言を続けていた。だから帰ればいいと言ってやったのに。

 豊崎の心理は容易に想像できる。先に帰ってはサボっただけでなく、幽霊に"ビビった"と思われ心証が良くない。また私の株だけが上がるのも面白くない。まるっきりやる気がなくても、私にだけやらせるわけにはいかないのだ。あわよくば、私にサボらせ、こっそりと一人で祠まで見回りしたことにし、私の評判を下げることまで考えていそうだ。

 加えて、豊崎が見回りを志願したのには大きな理由がある。この男は山本千恵子に好意を抱いているのだ。いや、好意とは上品に言いすぎた。この男になって言葉を選ぶとするなら、肉欲だ。下劣な肉欲を山本千恵子で満たそうと考えている。生物の、オスの本能として仕方のないサガではあるが、それにしてもあまりにも品がない。何より相手が悪い。山本千恵子がそういった関係を好むはずがない。彼女はそういう類の人間ではない。豊崎という男は、そんなことにまで考えが及ばない愚かな男なのだ。

 私はというと、他人からの評判など気にしてないないのだが、学校という狭い人間社会の中で身を潜めるためのある程度の信頼は残しておきたい。何より、やると決めたことを中途半端に放棄することは、私の誇りを貶めることになる。信念無くして"精神の宮殿"は築けない。

 そして、私は祠に興味があった。心霊現象の類を調べてみて、少し気になる点があったのだ。

 昭和初期、合併される前のこの辺りの集落は星住村ほしずみむらと呼ばれていた。小さな祠のある神社の名、〈星住ほしずみ神社〉も地域の名前に由来している。いつから星住といわれ、神社が建てられたのか明確な資料は残っていなかった。

 残っているのは言い伝え、噂だけだ。

 星住神社は鬼から人間を守るために建てられた。鬼は人間の心に取り憑き悪事をはたらく。心を食料とする魔物だと星住では考えられていた。人間の悪行も、俗に言う心霊現象もすべては鬼のせいだという教えだ。実際のところどの程度まで真剣なものなのか、文献からは把握するのは難しかった。

 この鬼の伝承に拍車をかける出来事が起こったのは大正時代。星住では子供の失踪事件が相次いでいた。結局、子供たちは誰一人見つかっておらず、鬼に食われたのだと人間は考えたようだ。

 精神を食らう鬼と肉体を食らう鬼。似ているようでまるで違うと私は思うが。

 その後も不可解な失踪事件は不定期に起こっていたようで、当時の人間がそれを鬼のせいにするのもわからない話ではない。

 時代は流れ、戦後の星住でまた事件が起こった。二十一人。それまでの失踪人数を大幅に上回る人間が姿を消した。子供に加え成人女性までもがその対象だった。遺体が発見されていないことから、失踪と扱われ、戦後復興のままならない状況下での警察介入はないに等しいものだった。

 沈黙する警察とは無関係な人物が一人、独自に星住の失踪事件に目をつけた。大阪の新聞記者だ。

 きっかけは星住に嫁いでいた妹だった。

 最初は定期的に連絡を寄越していた妹だったが、次第に途絶えてしまった。彼女の性格をよく知る新聞記者はそれを不審に思い、調べを進めることにした。やがて星住の過去に起きた失踪事件を知り青褪めたことだろう。

 結果を先に述べると、失踪事件は殺人事件だった。そして、犯人は法的に捕まってはいない。

 法的に、というのは警察が逮捕していないということで、確固たる証拠と犯人と呼べる人物を見つけることができなかったからだ。だが、村人は知っていた。薄々勘づいていた。しかし、それだけでは逮捕できず、法で罰することはできなかった。

 ではなぜ、失踪が殺人だと判明したのか。答えは遺体だ。遺体の一部がでたのだ。二十一人目の被害者、眞田ちさ子の右脚が、ある民家から見つかった。発見者は彼女の兄、新聞記者・眞田健太郎だ。ちさ子の右脚には幼い頃にできた火傷の痕があり、眞田はその傷を見て誰の右脚なのか理解したのだ。

 眞田はその民家の住人が殺人鬼だと考え、手記を残したが、当時は誰の目にも留まらなかった。警察は動かず、新聞の記事にもならなかった。

 それが公になったのは平成になってからだ。理由は単純なもので、眞田健太郎の推理が間違っていたからだ。

 殺人鬼は別にいたのだ。

 そして、正体不明のまま長年謎に包まれていたのは、村全体が関わっていたからだ。

 星住の土地は土壌や気候が相まって、農作物が育ちにくい地域だった。現在と比べ交通の便も悪く、絵に描いたような貧困の村だった。村人たちは貧困を乗り切るため、再び神に祈るようになった。やがて星住神社は願いを叶え、村人たちは食料を手に入れた。

 村人が失踪しはじめたのはその頃だった。

 殺人鬼は誘拐した女子供を殺し、切断した。切断したのは遺体を隠すためではなく、食すためだ。そして、それは村全体に行き渡っていた。いなくなった子供たちは村人の食料となっていたのだ。

 村人たちがどこまでそれを理解していたのかは定かではない。が、おそらくすべてを理解していただろう。それでもなお、飢えには抗えなかったのだ。

 新聞記者・眞田健太郎は最後の犠牲者となり、星住連続失踪事件は幕を閉じる。星住に巣食う鬼は人間の精神と肉体を食い、忽然と姿を消したのだった。

 以上が私の調べた星住村の伝承だ。インターネットだけでなく新聞記事や雑誌の記事も読んでみたが、どれほどの信憑性があるのだろうか。人肉を食らう村人? フィクションのようにしか感じられない。村絡みで犯罪を隠すということだけならわかるような気もするが。

 大方、オカルト話のために捏造されたものだろう。人間は理解し難い邪悪なホラーを好むものだ。

 私の興味を引いたのはこの伝承ではない。星住の名前の方だ。名前には必ず由来がある。田んぼと川があれば「田川」、沼があれば「田沼」、埋め立てれば「埋田」というように。

 時代が過ぎれば、「埋田」から「梅田」のように文字が変わることはある。が、最初は単純なものが多かった。人間は身近なものから便宜上の名称を決めていった。

 では、星住の由来は何だろう? 

 「星に住む」とはあまりにも大それた名ではないか。

 私はすぐにその答えに辿り着いた。もちろん、よくあるように「諸説ある」のは確かだが、私はこれが正解だと確信していた。

 星住には星が降った。つまり、隕石だ。

 地球に隕石が落下したのは一度だけではない。大規模なものから小規模なものまで、いくつもの隕石が落下した。ほとんどは大気圏で燃え尽きてしまったが、いくつかは地球に落下した。星住は、隕石の多い土地だった。

 も同じだ。

 加えて、ここには火山がある。

 祠のあるこの山は、二〇〇五年、あの彗星が降った日に噴火していた。ここら一帯にもディープ・ファイブが散布された可能性は高い。祠が隠れた心霊スポットとまことしやかに囁かれるようになったのは、二〇〇五年以降だ。

 つまり、このオカルト騒ぎの元凶は、ディープ・ファイブによる"ギフト"の仕業なのではないか、というのが私の見立てだった。

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