未知との遭遇 その3

 石上太一が"精神の宮殿"からでてきたのは年が明けてからだった。

 一月の冬休みも終わろうとしていて、私は学生たちが戻ってくるより前に研究室にやってきた。髭を伸ばした石上は、私を待っていたと言わんばかりに饒舌に喋り出した。そんな石上を見たのは初めてだった。

 「桃李、これは凄い。世紀の発見かもしれない。まず、このウイルスはヒトからヒトへの感染はしないと考えられる。マウスでも実験してみたが、それもない。生物から生物への感染はないだろう。ではどうして桃山桃李に感染したのか。不明だ。感染経路についてはまだ不明点が多すぎる。どうしてヒトへ感染したのかまったくわからない。空気中のウイルスを吸い込んだからなのか、ウイルスを含んだ食料を食べたからなのか。研究材料がもっと欲しい。

 次にウイルスの生存状況だが、ええっと。生物の体内に入り込んだウイルスは細胞の奥深くに入り込み、他の細胞に隠れて生存するようだ。寄生する、という表現が一番しっくりくるかな。とにかく、普段は目に見えない。肉眼でという意味ではなく、顕微鏡などの機材を使っても見えない。僕は前に擬態という言葉を使ったけど、まさしくその通りなんだと思う。寄生する細胞に擬態して生きている。おそらく、このとき宿主の生物に、人体に害はない。それどころか、有益なものなのかもしれない。

 こいつはな、自己再生能力が極めて高いんだ。寄生する細胞が損傷すると、ウイルスが細胞と結合し修復される。ウイルス自体の大きさ、質量は変わらず、寄生する細胞だけを復元させるんだ」

 「修復、復元。再生能力か。破壊の兆候は?」

 「破壊? いや、体内のどんなものもこのウイルスは破壊していないよ」

 「外部はどうだ? 感染者ではなく、例えば、周囲の物体を破壊する。無機物、有機物にかかわらず、他の物体や生物を破壊することは?」

 「何の話だ?」

 「"ギフト"を授かったんだ」

 私はもう一度研究室を見渡し、誰もいないことを確認してからハワイ島での出来事を話した。

 石上は驚愕していた。同時に、彼の目は輝いていた。未知との遭遇に歓喜する開拓者の目だった。恐怖は微塵もなく、探究心だけが秘められている目だ。思った通りだ。石上は私の同類。ありきたりの善悪のモラルに囚われるような人間ではない。だから、私は彼を信頼しているのだ。

 私と石上は極秘に研究を進めた。すでに本大学の研究室に就職を決めていた石上のおかげで、ウイルスの解明は面白いように進んだ。

 まず、前述のようにウイルスは人体に害を及ぼさず、有益なものだということがわかった。自己再生、つまり、自己治癒能力を著しく高める効果があるのだ。例えば、ウイルスに感染した状態で足首を捻挫しても、数分のうちに治癒する。火傷した頬も擦りむいた肘も同様に治癒する。

 治癒までの時間に規則性はなく、どこの部位でどの程度の怪我や病気で、どの程度の時間がかかるのかはまだ研究途中だ。わかっているのは、この効果に即効性はないということ。治癒までにはある程度の時間が必要だということだ。

 仮に感染者が脳にダメージを受ければ、例えば、銃で撃たれたりすれば、その感染者は死亡する。死んだものを生き返らせることはできないし、生命活動が可能な状態まで超高速再生することもない。不死身ではないのだ。

 また、この効果による副作用も確認できていない。

 私が"ギフト"と呼ぶのは、もう一つの効果だ。

 ウイルスは生命体に寄生すると、脳細胞に入り込む。扁桃体など、精神にかかわりの深い箇所に、より密接に寄生する。

 つまり、ウイルスは精神とリンクする。

 その状態で感染者が外部の物体に感情を飛ばせば、その物体は破壊される。より正確な表現をすれば、「膨張」だ。

 感染者が目の前の物体に念じをかければ、その物体は膨張する。その現象が破壊だ。その対象は空気でも可能だ。空気を膨張させ、空間を破裂させることができる。

 膨張の対象は目で見える範囲。目で見て、それを認識できる範囲に限られる。だが、遠くに豆粒のように見える高層ビルを膨張させることはできなかった。「認識」には範囲の限界があるのか、あるいは、精神の強弱によるのか。後者の場合、精神を向上させることで範囲が広がるのかもしれない。それはこれから実験を重ね、確かめていこうと思う。

 "ギフト"発現のきっかけは、感染者の強い感情が必要だ。私の場合は、怒りだった。憤怒、憎悪の感情がウイルスを刺激し、あの若者を膨張させ破裂させた。

 ただ、思うがままに感情を吐き出しても、目に映るすべてが対象であるため、狙い通りの箇所を膨張させることは困難だ。必要なのは感情のコントロール。どんな感情を抱いても、冷静さを欠いてはならない。膨張させる箇所へうまく「感情」を「念」じられるか。

 私は片目を瞑ることでこの課題を乗り越えた。こうすることで、対象に狙いを定めやすくなり、ブレずに細部を膨張させることが可能になった。自ら片目を塞ぐという負荷を背負うことで、より能力が研ぎ澄まされるのかもしれない。私の精神に関係しているため、これは確かだろう。私がそう感じているということは、それが現実になっているということだ。

 この膨張による破壊能力を私は"ギフト"と呼んでいる。訓練を重ねることで"ギフト"の精度は増した。

 "ギフト"を使うにはかなりの精神力を消耗する。精神を研ぎ澄ませる。精神統一。言葉で言うのは簡単だが、実際に実行するとなると容易ではない。この感覚を言語化する言葉を持ち合わせていないのが残念だ。

 まとめると、ウイルス感染者は強く念じることで目の前の物体を破壊する能力を得る。

 この破壊効果の副作用として、使用者は鼻血を流す。

 精神力を消費し、脳細胞のウイルスは活発に活動する。それにより、ウイルスは寄生する細胞を破壊するのだ。目の前の物体(または空間)を破壊させると同時に、自分自身の細胞を破壊する。そして、自己治癒の効果により、破壊された体内の細胞は修復されていく。外部の物体を破壊することで、自身の細胞も破壊し、自己修復するという仕組みだ。

 前述の通り、修復のスピードに即効性はない。破壊効果を多用すれば修復が追いつかなくなり、絶命するだろう。

 鼻血はその目安だと私は考えている。一度や二度の小さな膨張では、鼻血を流すことはないが、続けてそれ以上を膨張させると鼻血が出てくる。細胞の修復がまだできていないという危険信号なのだ。

 精神と細胞の修復は関連している。だとすると、訓練次第で強化できるのだと考えられる。おそらく、精神の消費量に関係しているのだ。最初の膨張のとき、私は一度目ですでに鼻血を流していた。しかし、いまでは三回ほどなら何事もなく"ギフト"を使えている。精神の消費量を抑えることができているのだろう。

 石上は、細胞の"深く"に入り込み、地球の概念をも覆すような"ギフト"を与えてくれたこの未知のウイルスを「deep 05」と名付けた。

 ディープ・ファイブがどこから来たのか、我々はまだ知らない。彗星と火山の関係についても不明だ。

 感染者は他にも存在する。葛和彦がいい例だ。

 あの日、葛和彦と中山千里はフィリピンにいたという。フィリピンでも噴火が起こった。彗星と噴火。私のときと条件は一致する。だが、それならどうして中山千里は感染していないのか。能力に気づきながらもすっとぼけて私に黙っていたのか。それとも、自身でも気がついていないのか。

 おそらくは後者に近い。きっと中山千里は感染者ではない。根拠はないが、私の中のディープ・ファイブはそう訴えている。

 検証すべきなのは、どうして同じ状況下で感染しなかったのか。

 私の予想では、中山千里は建物内にいた。噴火現場から離れた建物内にいて、ディープ・ファイブは人体に届く前に消滅したのではないか。ディープ・ファイブの感染経路は、まだわかっていないが。

 ディープ・ファイブの全貌を知るために、中山千里は価値がある。この先も彼女との人間関係を保つ必要がある。

 不明点が山積みではあるが、私はこの"ギフト"で精神の聖域をより美しく広大にしていける。そう確信していた。

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