太陽を盗んだ男 その2

 翌日、いつものように午前五時に目を覚まし、軽いランニングの後、出勤した。通常通りに授業をこなし、午後一時には学校をでた。月曜日の私の授業スケジュールは午前中までだ。午後も職員室で火曜日の授業準備をすることもあるが、帰宅することも多い。

 今日は帰宅せずに千葉県佐倉市に向かった。

 例の"事故"があった印旛沼の一部では、いまも黄色いテープが巻かれ、立ち入りが禁止されていた。

 私は印旛沼から徒歩五分ほどの二階建て木造アパートに来ていた。アパートの前には砂利の敷かれた駐車場があり、軽トラックが一台停められていた。軽トラックに寄りかかるように男が一人立っている。口元は煙草がくわえられていた。

 私は男に近づいた。身長168センチ、小太り。汚れた作業着は少なくとも1か月は洗濯していない。はげかかった髪をベースボールキャップで隠している。キャップは買ってから一度も洗っていないと思われる。無精髭とニキビを潰した痕が頬に見られた。

 「田中一二三さんですね?」

 男は私を見た。「あんたは?」

 「桃山と言います。葛和彦という人物のことでお話があります。少しよろしいですか?」

 男の煙草を吸う手が止まった。「誰だって?」

 「葛和彦、です」

 男は煙草を捨て、スニーカーの裏で踏み消した。「知らねえなあ。わりいな。時間もねえんでな」

 「お仕事ですか?」

 「まあね」

 「そういうつなぎを着ていると、作業員に見えますものね。しかし、あなたは作業員ではないでしょう? あのときは、自営業と答えていましたね。でも、本当は無職」

 「なんだって?」男はまた煙草をくわえた。

 「テレビですよ。夕方の民放報道番組で、自営業・田中一二三と名前が出ていました。印旛沼の焼けた車の第一発見者。どうです? 少し歩きませんか?」私は男の返答を待たずに歩き出した。

 数件の住居と空き家が混ざった通りを抜けると、草が生えっぱなしの空き地に出た。この先を歩いて行けば印旛沼に着く。

 「おい」

 それまで私のあとをだらだらと歩いていた男は、私を追い越し、私の前で止まった。いい位置だ。私の背後から注ぐ太陽に目を細め、男は新しい煙草をくわえた。

 「おい、なんなんだよ、おまえ」

 「中山千里さんをご存知ですね?」

 ライターを握る男の手が止まった。

 「彼女、迷惑しているそうですよ」

 「そんな女知らねえよ」男は火のついていない煙草をくわえたまま言った。

 「葛和彦。それがあなたの本当の名前だ。あの焼けた車の持ち主。トランクの中で見つかった遺体が田中一二三。そうでしょう? ああ、勘違いしないでくださいね。あなたが田中一二三を殺したかどうかなんてどうでもいいのです。どうして、田中一二三と入れ替わる必要があったのかも。正直に言うと、中山千里が困っていることもね。あの女性の名前を聞いたときのあなたの反応を見たかった。そして、私がもっとも気になっているのは、車のトランク。ねじ切られたトランクだ。あれ、あなたの仕業でしょう?」

 男は火のない煙草をくわえて黙りこくっていた。

 「どうやったのか。私にはわかる」私は片目を閉じた。

 男の煙草がパチパチと小さな音をたて、膨らみ、弾けた。男は慌てて煙草を落とした。

 「ほらね。私も同じ力を持っている。君が車のトランクをねじ切ったのもこの"膨張"の力だろう?」

 「おまえ……」

 「二〇〇五年十二月、ハワイ島でキラウエア火山が噴火した。彗星が降った日だ。あの日、ハワイ島だけでなく世界中の多くの場所で同時に火山が噴火した。噴火するまでそんな兆候は見られなかったという。偶然だと思うか? 彗星と噴火。何か因果がるはずだ。あの日、私は"ギフト"を授かった」

 私は片目を瞑ったまま、もう片方の目で男のライターを睨んだ。ライターは膨張し、破裂した。

 男は私を睨んだ。だが、逆光で狙いが定まらないようだ。細めたままの目は焦点が定まっていない。

 「君も、あの日火山の近くにいた。他にも"ギフト"を与えられた人間はいる。君はこの"ギフト"をどこまで理解している?」私は男の喉を弾け飛ばした。

 だが、絶命はしていない。叫び声が出ないよう、声帯を破壊するように手前の空間を膨張させ、弾いたのだ。コントロールが巧くなってきた実感がある。

 男は首をおさえ、倒れこんだ。汚らしい作業員が赤黒く染まっていく。

 「そういえば、中山千里の件だが、リベンジポルノというやつなのだろう? 彼女の話し方や仕草でわかった。ついでだから処分しておいてやろう」

 私は男の右の腰に視線を移した。肉の弾ける男がした。

 「こっちは煙草だったか」

 私はもう一方の腰を狙った。肉とともに機械が壊れる音がした。血液の気泡がブクブクと膨れては弾ける。

 私は男の頭を"膨張"させ、両目を開けた。鼻血が唇に触れるのを感じた。"ギフト"は無限ではないのだ。

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