神社の遊びとワルガキ

祠壊しや鳥居懸垂で自分が不謹慎なガキだった頃を思い出したのでその時のお話。


確か小学二年か三年の夏の事。

その日もいつものように自転車で行ける範囲をどこまでもいつもの同級生グループで遊び回ってたのだが、不意に誰かが

「なぁ、神社で遊ばない?」

と言い出した。


うちの町内の神社は、敷地はさほど広くないのだが、拝殿も手水舎も大きな石の鳥居もあって、今振り返ればそこそこ立派な神社であった。


とはいえ管理者が常駐しているわけでもないので、遊び場にするにはもってこいだった。


丁度その頃、テレビでは筋肉を番付する番組が流行っており、我々キッズも己のフィジカルを競い合わせたくて仕方なかった。そこで編み出した競技が『神社ターザンジャンプ』。

ルールは簡単で、お賽銭箱を足場にして鈴から下がる縄を使ってターザンよろしくスイングジャンプを決める。石段を飛び越えてより遠くまで飛んだ奴が優勝、という具合だ。


こんな罪深い遊びがあるだろうか。

キッズの発想は末恐ろしい。

しかしその頃の遊びモードに入った私達には怖いモノなどなかった。YouTubeが無い時代に生まれて本当に運がよかった。


そんなわけで我々は

「うりゃぁ!」「オラー!」「いくぞーっ!」

などと叫びながら一人、また一人とバチアタリジャンプをキメていく。

その度に


ガラン!ガラン!ガラン!ガラン!


ぎしっ!ぎしっ!ぎしっ!ぎしっ!


と鈴も縄も悲鳴のように鳴った。

それがまた、我々を盛り上げたのは言うまでもない。


とりあえず全員が二回のチャレンジを終えベストスコアを並べた。

結果は野球少年でもあったリュウヘイ(仮名)が一位、すでに重量級に足を踏み入れていた私が最下位の五位だった。


「むっちゃ楽しかったしまたやろうな!」


みんなでそう言ってその日は別れた。


しかしその時、私はなんだか奇妙な違和感を抱えたまま帰宅していた。それが何かが分かったのは夜寝る直前になってだった。


翌日、登校途中で四人が皆んな集まると、同じく違和感を覚え、またその原因にやはり同じく寝る前に気づいたのだという。


「あれから帰ってよくよく考えたんだけど、昨日神社にいたの、俺たち四人だったよな!?」


そうなのだ。我々は悪ガキは四人組だった。

リュウジ、タクヤ、ハルキ(全て仮名)、そして私だ。

いつも四人で連んでた。


だが昨日は何故か自然と誰も違和感なく、順位を五位まで番付していた。五人組だと、認識していたのだ。


そして再度全員で記憶を擦り合わせた結果、三位に該当する人物が、誰もいない事が分かった。


「なんで俺たち昨日気づかなかったんだろうな……」


タクヤがポツリと言った。


「わかんねーけど、やっぱり神社であんなことしたからか?」

「じゃあどうする?謝りに行く?」

「イヤだよ俺行きたくない」

「俺も……やめとく……」

「だ、大丈夫だよ。多分、ただ勘違いだからさ!」

「そうだよな。別に、他には何も起きてないしな!」

「だよな!もうこの事話すのやめよーぜ!」


そう言い合って、互いに不安や厭な気持ちを誤魔化した。これで終わりだ。もう忘れよう、と。




しかしやっぱりというか、当然ながらこれでは終わらず。


それからというもの、四人集まって遊んでいると度々


「なぁ、神社で遊ばない?」


と声が聞こえるようになった。

皆で確認するが、勿論誰も言っていない。誰の声でもない。

でも確実に、四人全員がその声を聞いていた。


「なぁ、神社で遊ばない?」


「なぁ、神社で遊ばない?」


「なぁ、神社で遊ばない?」


公園でサッカーしている時も、学校でケイドロをしている時も、子供会でバーベキューしている時も、スーファミでボンバーマンをしている時も、気づくとその声を四人だけは聞いていた。

周りに人がいる事もあり一応聞いてみたが、四人以外で声を聞いた人は誰もいなかった。


「なぁ、神社で遊ばない?」


そんな日々が続いた結果、誰かから言われたわけでも、皆で話し合ったわけでもないのだが



『この声に反応してはいけない』


『この声が何かも考えちゃいけない』



という暗黙のルールが出来上がっていた。


だからみんなでその声をずっと、無視し続けた。


俺たちは何も聞こえてない――

俺たちは何も知らない――


最初は四人が集まると必ず声は聞こえたが、無視し続けると頻度は徐々に減っていき、一年後には完全に消えていた。


この対応が正しかったのかはいまだに分からないが、このおかげでいまだに私達四人は集まっても、この件には誰も触れられないでいる。


もしかしたら、四人のうち誰かにはまだ声が聞こえてるのかもしれないが、それも誰も言えないし、聞けない。


そもそも――この件自体、実は私だけの妄想や思い込みだったのかもしれない。一緒に体験した仲間に聞くことが出来ないので、それすらたまに不安になる。


もし、本当にあの四人のうち、誰かに聞いて確かめたら

「そんなことあったか?」

「いや知らないなぁ」

と返されるかもしれない。それならそれでいい。

でももし


「なぁ、神社で遊ばない?」


とまた聞こえたら――私はそう、未だに考えてしまっているのだ。


なのでこの件はもう終わったのかもしれないし、まだ続いている、のかもしれない。


とりあえず私は無神論者だし宗教には詳しく無いが


「神社ではあまりはしゃがない方がいいんじゃないかなぁ……」


と思っている。


<了>

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ワタシのカイダン 森野樽児 @tulugey_woood

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