夜の来訪者と大野先輩


関西の大学に通ってた時の話。


私は小さなTRPGサークルに所属していたのだが、そこに大野先輩(仮名)もいた。


学年は一つ上だが年齢は三つ上。口数少なく無愛想、滅多に笑わないしノリも悪い。


「あぁ」とか「うん」とか「あ……」だけでコミュニケーションを取ろうとする面倒な人だったので、同じ卓を囲む人からはかなり嫌がれてはいたが、私の作る和風伝奇シナリオをよく褒めてくれたので個人的には嫌いではなかった。


もう一つ、大野先輩がサークル員からあまり好かれてなかった理由がある。


彼は絶対に自分の部屋に人を上げなかった。


うちのサークルは基本大学構内の自習室的な場所で活動していたが、そこが使えない時はメンバーの自宅を持ち回りで開放していた。

私の汚部屋も例外無く、全員から文句言われながらもサークルに提供した。


しかし大野先輩だけは、頑なに自宅開放を拒否し続けた。


理由は語らず


「うちは無理」


の一言だけ。


まぁ強制力ある話ではないからみんな無理強いはしなかったが、内心不満に思ってたのも事実だ。



そんな大野先輩宅に私が上がり込み、宅飲みした経緯は、正直あまりよく覚えていない。



私が三回生で先輩が卒業控えた四回生の、確か年末の忘年会だった気がする。


私は今の嫁と付き合いだしたあたりで、妙にハイテンションになってた時期だったのもあったかもしれない。飲めない酒を無理して飲んでべろべろになってたようだ。

大野先輩が酔っ払ってたかどうかは定かではないが、多分本人なりに楽しんでたのではないかと思う。


なので会がお開きになった後で


「じゃあ、森野、俺ん家、来るか」


と声こそいつものテンションだったが、そんな風に誘ってくれた。


勿論私は二つ返事で快諾した。


普段飲まない二人がコンビニでよくわからず知らない酒を色々買い込み、徒歩で5分ほどかけて先輩が住むアパートへ向かった。


二階建ての小さな建物は、そこそこ年季を感じさせる風貌だった。

しかし荒れた様子はなく、綺麗に草刈りされたアパート周辺を見る限りむしろ管理はよくされてるように感じた。


(もしかして先輩、このアパートを見られるのが嫌で誰も呼ばなかったのかな……)


と思った。

もっとボロアパートに住んでる奴もいたのだから気にしなくていいのに……

そんなことを思っていると


「うち、二階だから」


と先輩が外階段を登っていった。慌てて私も後を追い、一番奥にある先輩の部屋へ向かった。


もしや部屋の中がやばいのでは?と期待したが、散らかってはいたものの大して変わった様子もない、正直いうとつまらない部屋だった。


「なんかふつーの部屋ッスね!」


私の失礼な感想に、相変わらず先輩はあぁとか、うんとか反応していた。


そこからはまた記憶が曖昧なのだが、コタツの上に酒やつまみを並べるだけ並べて、乾杯してまたあれやこれや雑談したはずなのだが、恐らく大して時間も経たない内に私も先輩も寝落ちしたのだと思う。

酒とコタツに敵うわけが無かった。






ぴ ん 

     ぽーーーーーん




「んあぁっ!?」


次に私の記憶にあるのは、眠りを破った間の抜けた変なチャイム音だ。


携帯を見れば、深夜2時。

どれだけ寝てたかは定かではないが、随分遅い時間だ。


ドアチャイムが鳴るにはいささか近所迷惑だろう。

こんな時間に来訪者か?配達?なわけないか。



ぴ ん 

      ぽーーーーーん



古いマンションだからか、チャイムまでボロくなってるようで、妙な間と調子の外れた音がなんだが気持ち悪い。


「先輩、先輩、なんか?誰か?来ましたよ?」


目の前の大野先輩を揺さぶるも、ぐぅぐぅ寝ていて起きそうにない。

仕方なく私は来訪者が何者か確認する為、玄関まで行き、扉の覗き窓から外を見た。

配達業者なら文句を言ってやらねば、と何故かその時は息巻いていた。


しかし扉の向こうに配達員はいなかった。




女性がいた。



くりっとした丸い目の女性がじっ──とこちらを見ている。


ボブカットの黒髪でグレーのスーツを着た、恐らく歳上の社会人であろうその女性は、手ぶらでじっと扉の前に立っていた。



マジか。



私は驚きを隠せなかった。


あの大野先輩に彼女がいたなんて……


覗き窓から目を離した私は、立ちくらみがするくらいショックを受けた。


こんな時間に部屋を訪ねる女性なんて、それしかないだろ。


当時の私はそう考えた。

しかし。

いやいや、なんかの間違いだろ。

ありえない。あの人が。

大野先輩だよ?

そうだ、きっと部屋を間違えてるんだ。

隣に住んでる人かもしれない。

いやもしくは身内だ。姉かなんかだろ。

間違いない。

そうじゃなきゃこれは夢だ。酒が見せた悪夢だ。

そんな失礼な事をあれこれ考えていると、また



ぴ ん 

      ぽーーーーーーん



チャイムが鳴る。


音が頭に響く度になんだか妙に不快になる。この感覚は、少なくとも夢じゃなさそうだ。


とりあえずこんなにしつこくチャイムを押すんだから間違いなく先輩に用がある人物ではあるのだろう。

私は今度こそ先輩を起こそう、そう考えながら玄関を背にして部屋に戻ろうとした。



あれ?


そこで違和感に気づいた。

酒が抜け出しているからか、この部屋に来た時の記憶が少しずつ戻ってきた。


ゆっくりと、確かめながら、思い出す。



「この部屋、ドアチャイム無かったよな……」


私は一人呟いていた。




ぴ ん

       ぽーーーーーん



まだ鳴っている。

私はまた回れ右して玄関に戻ると、恐る恐る覗き窓を覗いた。


先程の女性がまだじっと立っている。


あれから何分経った?

微動だにしていないように見える。いやそれどころか、しばらく眺めていたが、瞬きすらしていないようだ。

くりっとした丸い目だとさっきは思ったが、よく見ると黒目ばかりがデカくてなんだか不気味に思えてくる。


おかしい。

何かがおかしいぞ。


私が嫌な汗をかき始めた頃、ようやく彼女に動きがあった。


覗き窓の中の女性は、おもむろにゆっくりと口を大きく開け──




ぴ ん 

       ぽーーーーーん




間の抜けた音が、彼女の口から発せられた。


声真似してるわけでは無い。


ぽっかり空いた真っ黒な口から、チャイムの音が鳴っているのだ。




ぴ ん

       ぽーーーーーん




声も出せなかった私は覗き窓から顔を離すと、転げるように部屋へ戻った。



「先輩!あの!ちゃ、チャイム!女が!口!!口から!!!げ、玄関に!!!!」



しどろもどろになりながら先輩を起こした。起こしたというより、めちゃくちゃに叩いた。

流石に目を覚ました先輩は、当たり前だがひどく不機嫌そうだった。何かを言いたげだったがそれを遮るように



「せ、先輩!今、玄関に女がいて……あ、あの、ドアチャイムが……女から……!!」



私は早口で捲し立てた。そう言ってる側からまた



ぴ ん

       ぽーーーーーん



とチャイムが鳴る。


「ほ、ほら!これ!!この音!!先輩、あの、これ……!」


先輩はゆっくりと携帯電話を取り出すと、画面を見て時刻を確認し




「あと5分くらいで終わるから。気にしなくていい」




そう言って、また眠りについた。



「いやいやいやいやいや!何すかそれ!おかしいでしょ!ちょっと!ちょっと先輩なんすかこれ!!おい!!!」



私はそんなんで納得いくかい!という気持ちで先輩をとっ捕まえた。


寝かせてたまるか。

何も納得いってない。


しかし先輩は、めちゃくちゃ機嫌悪そうに私の手を振り払うと



「あれは、うるさいだけ。無害だから。他になにもしないし。無害なの。だから、寝ろ」



と言って、今度は本当に横になって眠ってしまった。




ぴ ん

       ぽーーーーーん



まだチャイムは響いている。


「えぇ……」


私は一人取り残され、呆然とした。


しかし家主がそう言うのだから、もうどうしようもない。

テーブルに残ってたほろよいだとかスミノフだとかを色々まとめて飲み干すと、私もそのまま横になり目をつぶった。



ぴ ん

       ぽーーーーーん




ぴ ん

       ぽーーーーーん



早く眠れますように……早く眠れますように……


チャイムの音を聞きながら、私はそう頭の中で唱えていた。




ぴ ん

       ぽーーーーーん





ぴ ん

       ぽーーーーーん







目を覚ますと、すでに昼近かった。


外は完全に昼間だし、先輩はすでに起きてキッチンにいるようだった。

念願叶っていつしかちゃんと眠れたようだ。


実際あれから本当に5分後あのチャイム女がいなくなったのかは分からないが、少なくとも今はもう何の音もしていなかった。


「あ、おはようございます先輩」

「うん」


先輩はいつも通りだった。

昨晩のことは、もしかして酒が見せた悪い夢だったんだろうか?


しばらく悩んだが、私は思い切って聞いた。


「あの、先輩。昨日の晩の」


と言い出した所を食い気味に


「だから無害だから」


と言われた。


「あれは、無害だから。いいの。無害なんだから」


やたらと「無害」を強調するその言い方が、また何とも嫌な気持ちにさせられたので、私はそれ以上なにも聞かなかった。


念の為帰りに玄関を見たが、やはりドアにチャイムは無かった。

ついでにと他の部屋を見たら、ちゃんとどのドアにもチャイムが付いていた。



あー……と私は思わず口に出し、ダッシュでそのアパートを後にした。




それから先輩は地元の印刷会社に就職し、ボロマンションからはすぐに引っ越していった。




あれ以降も、大野先輩の部屋に誰かが行くことはなかった。





それから一年後、再び大野先輩と話すタイミングがあった。


私の卒業記念でOBも呼んでのセッション+飲み会をやろうという話になったのだ。

一応地元にいるから、という理由で私から先輩に連絡を取った。


「……というわけなんで、大野先輩もよかったら来ませんか?」

「ああ、うん、俺は、いいよ」


予想通りの回答ではあった。

そこで用は済んだので切ってもよかったのだが、折角久々の会話だったので仕事はどうですか?とかあれからTRPGしてます?とか色々気をつかって話を続けようとした。


しかし先輩はいつも通り「ああ」とか「うん」とか「普通」とか続かない返事をするばかりだった。


流石にネタも尽きたあたりで、ふとあのチャイム女を思い出したので


「そう言えば先輩、あの、宅飲みした時」


と、私が言った所で




「いや、だから無害だから。あれは。無害なんだからいいだろ」




また被せるように先輩は言った。


とても、不機嫌そうな声だった。


私はそれを聞いて

(あ、これまだ終わってないんだな……)

と思い、そこでようやく電話を切った。




あれから大野先輩がどうしてるか、誰も知らないそうだ。



最近書店のTRPGコーナーを見ると、大野先輩が好きだった『クトゥルフの呼び声』関連をよく見かけるので、その度に思い出す。


あの頃はクトゥルフのTRPGがこんなに流行ると思わなかった。

大野先輩が何度かセッションを呼びかけたが、当時うちのサークルじゃ誰も遊びたがらず結局一度もセッションが開かれることは無かった。


今のクトゥルフ大ブームな状況を見たら、大野先輩喜ぶだろうか。


元気にしてるといいな。


<了>

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