引越しバイトと教授

「日当一万五千円、昼食付き、送迎有り、でどうかな?」



大学三回生の夏、ゼミの教授からバイトを持ちかけられた。


内容は教授の知り合いの研究者が引越しするそうで、その手伝いだという。


「多分殆ど書籍を運んでもらう形になると思うけど、場所は◯◯の山手方面でここより涼しいし、そこまでハードワークにはならないと思うよ」


教授は丸眼鏡の奥をにっこり細めながら言った。

愛用してた椅子がぶっ壊れ、泣く泣く買い替えた事で丁度金欠だった私に、断る理由はなかった。



よく晴れた土曜日の朝。

その日は私以外にあと二人、ゼミから計三人が集まった。


「じゃあみんな今日はよろしくね!」

「はい」

「……っす」

「……」


教授の元気な呼びかけに我々三人は思い思いに答えた。

そこで初めて集められたのはゼミの中でも割と孤立気味というか、明るくないというか、有り体に言えば"陰キャ勢"に分類されるメンバーなのだと気づいた。

事実、二人は同じゼミだが、私は彼らとこれまで一度も話したことが無かった。


そして私が言うのもなんだが、全員どう考えても力仕事に向いてるようなタイプではなかった。


(これはもしかして教授がいかにも友達いなさそうな我々に気を遣ってくれて誘ったのかな……)


なんて思ったりした。


そんないまいち締まらない始まり方だったが、教授の運転するバンは市街地からどんどん離れて、田舎へと進んでいった。


その間に教授は私達のことを色々聞いてきた。


折角だし普段話せないことを話そうよ!なんて彼は言ってきたが、全員基本コミュニケーション下手な集まりなので、結果的には教授がずっと質問して我々がそれに答える形だった。


「出身どこだっけ?」


「高校時代は何やってた?」


「好きな音楽なに?」


教授なりに場を盛り上げようと気を遣ってくれたのだと思う。

私もなるべく会話が広がるように回答したし、たまに二人に対しても話を振ったりしたが


「いや別に」

「はい」

「違います」

「はぁ」


と言った具合で、会話が広がる事はほぼなかった。

そんなやり取りがたっぷり二時間ほど続いた。仕事前だが、その時点でまぁまぁ疲弊してたのを覚えている。


しかし、その中で教授からは変わった質問がいくつかあったりした。


「君たちはみんな、タバコは吸わないよね?」

「吸いませんね」

「はい」

「……です」


まぁこれは今から行く先が喫煙所の無い禁煙場所だからかな?と理解した。

しかし


「みんな一人暮らしだし、犬や猫を飼ったりはしてないよね?」


「身内とか、マンションのお隣とか身近に妊婦さんがいたりしない?」


「これまでになんか大きな手術をした事ってある?」


「みんなM県行ったことある?◯◯って場所に聞き覚えあるかな?」


なんてことも聞かれたりした。


単なる世間話のつもりなのか、それともこれからのバイトに関係あるのか。何でそんなこと聞くのかは、よく分からないままだった。


そうこうしてる内に、バンは古民家のような大きな一階建ての屋敷の前に止まった。


「おーすまんなぁ今日はー!」


中から恰幅の良い髭面の大男が出てきた。

すでに汗だくで、両手には古い書物をいっぱい抱えている。


「よお、待たせたな。こちらが今日のお手伝いの子達だよ」


と教授が順に紹介してくれた。


「はいはいはい!いやー遠い所わざわざきてもらってなぁ!みんな忙しいやろうにおおきになぁ!」


関西弁の大男は体格通りの大きな声だった。

そんな大声を上げながら、我々の肩をバンバン叩いてきた。


この瞬間は間違いなく二人と気持ちが通じ合ったと思う。


「ほんなら早速手伝ってもらおか!キミはこっちの方来てもらえるか?ほんでキミは裏庭に。それからキミは……あれ?」


大男の動きが止まった。

見ている。私を見ている。


大男は私をジロジロと見ながら、あれ?とかん?とかなんでや?とかぶつぶつ呟いている。


「……な、なんでしょうか?僕に何か……?」


尋ねるがそれには答えず、彼はひとしきり悩んだ後


「うーーーーーん……あかんなぁ……ちょっと、ええか?」

「ん?おう、いいぞ」


と、教授を連れて屋敷の中に入ってしまった。


バンの前で立たされたまま呆然とする三人。


(え、なんだろう……俺なにかしたかな……)


私が不安に思ってると、教授が玄関から出てきた。


まっすぐ私の元に来た彼は、もう一回確認するんだけど、と言い


「森野くん、タバコ吸わないよね?」


と聞いてきた。


「え……はい、吸いませんけど……それがなにか?」

「そっかぁ……うーーん……」


教授はさらにしばらく考え込んでいたが、また口を開いた。


「森野くん、君の出身ってさ……」

「I県です」

「そっか……もしかして親戚に、◯◯◯って苗字の人いたりしない?」

「え!?え!?」


それは、全く聞いたことない名前だった。


というより、人の名前とはとても思えないような単語だった。


「いや……聞いたことないです……」


と答えるしかなかった。

そっかぁ……とまた困った表情になる教授に対して何だか非常に申し訳なくなり、すいませんと謝った。


「いや、いいんだよ!大丈夫!大丈夫!別に森野くんが悪いわけじゃないからね。えーと、ちょっと待っててね!」


教授は再び屋敷の中に入り、多分大男と何がしか話してから戻ってきた。

その表情は暗かった。


「ごめん森野くん……折角来てもらったんだけど、今日は帰ってくれるかな?」


私は何となくそんな気がしてたので、はい……と力なく答えた。


帰りはタクシーで帰ってね、お釣りはいらないから、と万札と昼に食うはずだったお弁当を持たされ、私は二人を置いて強制送還となった。


結局その日は単に長距離を行って帰ってして、天ぷら弁当とお釣りの3千円を貰っただけで終わった。

当てにしてたバイト代が手に入らなかったこともショックだったが、それ以上に「なぜ自分が帰らされたのか」が分からないことのがとてもショックだった。

ショックだし、何だかよく分からない気持ち悪さも感じていた。


結局、その土日はずっともやもやして過ごすことになった。



翌週、少しでももやもやが解消できないかと思い、ゼミで初めてあの二人に話しかけた。


「俺、先帰っちゃってごめんな。あれからバイトどうだった?二人で大変じゃなかった?引越し手伝いって、実際どんなだった?」


私が尋ねると、二人は真っ直ぐにこちらを見ながら


「いや別に、普通に、引越し手伝いだったよ」


「特に変わった事はなかったな」


「普通のアルバイトだったよ」


「別に、話すことは何もないよ」


「ただの引越し手伝い。それだけ」


と答えるだけだった。


私は(あ、これはこれ以上聞いても仕方ないな……)と思い、もうこの件は忘れることにした。


ただ

二人があれ以降タバコをめちゃくちゃ吸うようになったのは、今でもずっともやもやして忘れられない、というお話。

<了>

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