断章 茨

 世間にはメサイア・コンプレックスという病気があるらしい


 DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル第五版には乗っていない、いわゆる俗語だ。パーソナリティ障害という、自己認識パーソナルに関する、歪んだ思考の癖だ


 個人的パーソナルなものなので、素人が受け売りを垂れ流すニュースを真に受ける人は、これを聞くだけで、犯罪者予備群に分類するだろう


実際私が大学でこの科目を履修した時、『パーソナリティ心理学』ではなく、『人格心理学』と書かれていた。授業で使いもしない教授の新刊は、『パーソナリティ心理学』になっていて、授業も全部『パーソナリティ』となっていた。全くわからなかった


何故日本人は、印象操作のためにカタカナにしたがるのか


「人格心理学、人格障害」という言葉は誤解を生むから、とか言うんだったら大間違いだ。そもそもそういうことを言う人は、正しく「障害」を理解していない


しかし敢えていうならば、素人がつけたこのメサイア・コンプレックスという俗称を私に当てはめ、治療すると言うならば


私の場合は「喪失に対する強い恐怖」あるいは「トラウマ」と言うべきなのかもしれない


 どれほど大金をちりめんじゃこに回し

 どれほど仕事を作り 

 どれほどちりめんじゃこと原稿合宿をしても


 私に「どうじんし」を教えて、tabキー連打やドラッグ反転を教えた少女は戻ってはこないし


 ご遺族だってそれを望んじゃいないだろう


 或いは私が「少女」を引き合いに出して承認欲求を満たしていると、また家に押しかけてくるかもしれない


 メサイア・コンプレックスは、自身の「幸福でない」という劣等感を、「私より不幸な人を助ける」ということによって克服しようとすることらしい


 いや、そんなカタカナにしなくても、それはきちんと「防衛機制における代償」という専門用語で良いじゃないか、その方が汎用性があるし


 さて、ここで、世にいう「精神病」「障害」とは何なのか、もう一度理解しておくべきだ。


 例えば、恐山に「憑依妄想を伴う精神疾患」はない

 例えば、光のない世界に、「盲人」はいない

 例えば、雪の日のしんと静まった世界に「聾人」はいない


 数の概念がない社会であれば、「65歳」は、「長老」か「長老じゃない(最年少)」であり、

 貨幣価値の分からない子供や赤ん坊からみれば、一万円札も味海苔も同じ「触って握って口に入れて確かめるもの」だ。…多分、一万円札は美味しくないと思う


 イタコは死者の霊を身体に降ろし、依頼者の心を慰める

 そんな社会ではむしろ、


 物理学上は、光速を超え切ると、星の光が届かず、真っ暗になる

 、または、なんの不自由もないのだから、不自由はない


 私は耳が良すぎて、結果的に聞かなくて良いものまで聞いていたわけだが、ストレスがなく、耳鳴りもしない、自分の呼吸の音―――つまり音波としての音ではなく、意識のあり方で生活しているだけなら、


 要するに、「健常者」というのは、「社会規範を構成する標準値ぼしゅうだん」であり、それ以外の人間のことは、「障害者様」扱いなのだ。もっと言うなら、自分たちに還元してくれる個性すうじならば「天才」であり、そうでないならば「異常者」だ。


 つんぼと言うな、おしというな、聾唖者だ、いや、「聴覚障害者」だ、ダメダメ「害」はまるで加害者みたいだ、だから「耳の不自由な人」だ

 めくらと言うな、盲人だ、いや、「視覚障害者」だ、ダメダメ「害」はまるで加害者みたいだ、だから「目の不自由な人」だ


 ………。


 こいつら、耳を澄ますために、耳に添える両腕がない人のことを、「聴覚障害者」と呼ぶのか?

 こいつら、自分が置いていく先にある「平均的な視力低下」より一歩外側に「基準値」おいているけど、それ医療行為を名目にした差別だよな?


 最近は、「ホモと呼ぶな、ゲイと呼べ、いいや、同性愛者だ」なんていう傾向もある。特にキリスト教界隈は、先程述べた理由で、なぜか「せーてきまいのりてぃー」だの「えるじーびーてぃー」だの、言葉を長くしてごまかしてる。


 ………。それこそ「思いやり」や「愛」はどこいった???

 お前たち、それ以前の問題があるだろう。


 精神分裂病こと、統合失調症という言葉がその最たるものだろう。

 何故かタブー視されているこの単語。


 DSM―5に載っている「統合失調症」はダメで、

 なぜ素人が名付けた「メサイア・コンプレックス」は良いんだ???


 まあ、そうしないと理解できないなら、仕方ない


 多くの人は、から


 まあ、とにかく、だ


 私のこの「異常性」を、コスパ重視で理解するには、メサイア・コンプレックスなる言葉が必要なのなら、それで良い


 使


 自立出来ていない人間が他人の飯の世話をし、剰え行政に怒鳴り込み、分厚い手書きの手紙に丸三日も費やして本業を蔑ろにするなど、それこそ「異常」だ


 ふむ。なるほど。確かに、言いえて妙だ


 その意味では、私は「真のクリスチャン」なのだろう


 クリスチャンの語源は、「キリスト狂い」だからだ


 「命がけでキリスト教やってない」私だが

 少なくとも「キリストに狂う」ことは出来ているらしい


 さて、この異常者に押し付けべき秩序さばき


   は、誰に押し付けるのか、聞かせてもらってもいいかしら?

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