真実は酒と共に
一ヶ月後、私はヴィオレッタのダウンタウンのバーで故郷ウインズロウのシングルモルトを呷っていた。意味もなく、ただ酔うためだけの酒だった。
数杯のウイスキーで喉を焼き、トゥワイスアップからロックに飲み方を変えた頃、私の隣に一人の男が座った。男は薔薇柄の派手なシャツを着て、肌けた胸元からはチェーンのネックレス––––おそらく、ゴールドの––––を着けていた。
「あんた、人捜ししてる人?」いかにも軽薄な声だった。
私は黙っていた。答えてやる必要性を感じなかったから。
それでも、男は勝手にしゃべり始めた。「タトゥーを彫った人を捜してんでしょう? こういう、薔薇の」男はそう言って自分のシャツを誇らしげに引っ張った。それが何色の薔薇なのかは、私にはわからない。「それってさ、本当にタトゥーなの? もしかしたら、こういう、シャツだったとかはない? 見間違えてたとか」
「俺が実際に見たわけじゃあない」
「じゃあ、誰が見たの? 目撃者?」
「もういいんだ」私は氷の溶けたウイスキーをグイッと呷った。グラスを下げたとき、カランと軽快な音が鳴った。「待て。目撃者、と言ったか? どうしてそう思う?」
「だって、あんたエンジェルを殺した犯人を捜してるんだろ?」
「彼女を知っているのか?」
「ああ、もちろん。常連だったからね」薔薇シャツの男は軽快に笑った。「俺だけじゃない。この辺のやつらはみんなそうさ。誰もがエンジェルの世話になってる。だから、みんな兄弟なんだ。ここら辺の連中が挨拶する『ヘイ、ブロー』ってのはそこからきてる」
気の利いた冗談を言ったつもりだったのか、男は手を叩いて笑ったが、私はちっとも笑えなかった。
私がオン・ザ・ロックのおかわりを頼んでいる間も、男は品のない冗談を口にしていた。そのほとんどは聞こえてこなかったが、最後の部分だけは聞いてしまった。
「あのドM女はな、首を絞められるのが趣味だったんだ。苦しみながらイクってのがたまらねえんだとよ。俺もやってやったよ。もしかすると、俺が殺しちまったのかもしれねえ。ヤッてヤっちまったってわけよ」
男の耳障りな笑い声が鼓膜に響いた。
「少し黙れ」カウンターの上の私の両手は、いつの間にか力強く握られていた。
「なんだ? 何をマジになってんだ? ちょっとした冗談だろ?」男は尚も騒がしい笑い声を発し続けた。「商売女が一人死んだだけだ。マジになることなんてねえよ」
思考よりも早く、私の拳は男の顎を打ち抜いていた。幸か不幸か、酔いのせいでクリティカルヒットとはならなかったようだが。
「何しやがんだ!」
「消えろ。おまえの話なんて聞きたくもない」
酒場の喧騒が、少しだけ収まったような気がした。が、それが私を止める理由にはならなかった。
アルコールで澱んだモノクロの世界で、男が何かを叫び、立ち上がったのが見えた。
私は銃を抜く。
「いいから消えろ。頼むから、二度と俺の前にその下品なツラを見せないでくれ」酔っていても、私の銃口は男の眉間から狙いを逸らさなかった。
薔薇シャツの男は、また何かを叫ぶ。何を口にしようが、もう私の鼓膜を通過することはない。
「指に力が入っちまう。これ以上、その排気ガスみたいな声を出さないでくれ。これ以上その声を聞いたら、おまえも、親兄弟友人も、皆殺しにしたくなる。頼むから、俺にそうさせないでくれ。このまま消えてくれたら、今日ここでのことは忘れられそうだ」
薔薇シャツの男は言葉と唾を吐き、乱暴に酒場を出て行った。最後はタフガイを気取っていたようだが、目の奥に怯えを宿していたことには気づいていた。もう二度と、私の前に現れることはないだろう。
私は、男のいなくなった空間にしばらくリヴォルヴァーを向けたまま突っ立っていた。それからホルスターに銃をしまい、カウンター席に座り直した。程なく、酒場に喧騒が戻った。
「すまなかった」私はバーテンダーに詫びを告げると、酒代よりも多い火星ドル紙幣を置いた。バーテンダーの声は聞こえなかったが、金を突き返されることもお釣りを寄越してくることもなかった。そして追い出されることも。
それから二杯のオン・ザ・ロックを呑むと、今度は女がやって来た。
「随分と酔っているんじゃない?」セイディ・マクファーレンはニューカラント・バーボンのソーダ割を呷った。「らしくない」
「人間性を理解し合えるほど、君と親しくなったつもりはないな」
彼女はそれには答えなかった。代わりに、電子マネーカードを指に挟み、カウンターテーブルの上でくるくると弄んだ。
「シューティングの再戦、あたしたちが勝っていた」
「でも、負けた?」
「いいえ、ゲーム自体がなくなった。多分、本体が消えたから。心当たりは?」
私は肩をすくめた。
「ファナナからは〈ヴィルグレーヴィア〉の廃炭坑が吹っ飛んだって聞いたけど。まあ、どうでもいいね」
「ああ、関係のないことだ」
「つまり、賭けの儲けも関係ないってことね? あたしたちが順当に戦えていれば、儲けはかなりのものだった」
「俺にそれを払えと?」
「いいえ。でも、チャラよね? あたしがアンジーの依頼料を払わなくても」セイディはマネーカードをカードケースにしまった。
「ああ」俺にそんな資格はない。最後の方は、言葉にすることができなかった。
「酔いすぎよ」セイディはバーテンダーに現金を渡した。「こちらの探偵に、ウインズロウ・シングル・モルトの一番高い酒をボトルで」
「セイディ」
「気にしないで。あたしの奢り」
「女に酒を奢られたくはない」
「考え方が古いね。今どき流行らないよ、そういうの」
「セイディ」
「酔い足りないみたいだから」
私はそれ以上何も言わなかった。
私たちはそれぞれの酒を呑み、無言の時を共有した。思っていたより、悪いものではなかった。
夜が深くなると、セイディはカセットテープのウォークマンで音楽を聴き始めた。アンジェラ・ロメロの自宅にあったウォークマンだ。昔ながらのコードイヤフォンをしているせいで、私に音楽は聴こえてこず、何のカセットテープを聴いているのかはわからなかった。
私はアルコールで濁った瞳で、ぐるぐると回るカセットテープを眺めた。
死んだような静寂。時の流れを逸脱したような、走馬灯のような景色が脳裏に流れる。二十八年分の思考と思い出が溢れ出す。刹那が永遠にも感じられる間、私はカセットテープのにおいを嗅いだ。電撃が走る。
私は立ち上がる。酒に全身が侵されているはずだったが、思考は驚くほど明瞭だった。
セイディが何か言う。
私はそれに答える。自分でも、何を口走ったのかはわからない。ただ、最後には彼女の頬にキスをしていた。去り際の、挨拶のキスを。
それから二本電話をかけ、"狼の心臓"に乗ってニューカラント州ハインラッドへ飛んだ。
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