欲望のヴィルグレーヴィア

 結果として〈ヴィルグレーヴィア〉に格納庫はなかった。駐機場として使われていたのは、堀の深いクレーターだった。破壊されたコロニーの残骸に隕石が衝突してできたもののようだ。

 剥き出しのクレーターには酸素はないものの、重力コントロールは働いているようだった。微重力ではあるが、マシンが流されないだけの力はあった。マシンと固定するためのロックも設置されていた。〈ヴィルグレーヴィア〉に流れ着いた整備士が取り付けたのだろうか。戦艦やコロニーの駐機場と遜色のない造りだった。セキュリティはないに等しく、誰でも出入りができたが。

 私とファナナはアストラナードを停めると、宇宙服姿でクレーターに降り立った。腕のパネルで重力を測定すると、六分の一と表示された。つまり、地球の六分の一、月と同じ重力が働いている。

 入り組んだクレーターの奥に、ハッチがあった。

 私たちは鉄の扉を回し、中に入った。微かな照明が照らす、一本道の通路が伸びていた。腕のパネルを確認しながら進んだが、重力はクレーターと変わらず、空気はまだないようだった。ハッチを開けたときの空気の流れで吹き飛ばないようにしているのだろう。

 通路を進むと新たなハッチが現れ、その先には再び通路が続いていた。それを繰り返して進むごとに、重力は上がっていき、空気が出現した。

 最後のハッチを開けると、仄暗い広場にあたった。十九世紀風のウエスタンバーだった。

 私たちに気がついた酔いどれたちの視線は、ゴロツキらしく鋭いものだった。刃物の切っ先を相手に向け、そらそうとしないような。

 ゴロツキたちが宇宙服を着用していないことを見て、私は腕のパネルを確認した。重力も空気も十分にあった。

 首元に触れ、ナノマシン製のヘルメットを解除した。それまで訝しげな目をしていたゴロツキたちも、私たちが生身の人間だとわかり興味を失ったのか、次第に自分たちの騒めきの中に戻っていった。あるいは、私たちが法を遵守するような人間ではないと決めつけたのかもしれない。

 あっという間にゴロツキたちの酒場に溶け込んだ私たちは、バーカウンターに近づいて、ボトルビールを頼んだ。クレジットカードも電子マネーも使えず、使えるのは現金だけだった。無法者はいつだって現金主義だ。太陽系通貨はいくつか使用でき、私は火星ドルで払った。ボトルビールが一本八ドルもした。

「呑むのか?」ファナナはボトルビールを見つめたまま、口もつけずに言った。

「ゴロツキの酒場だ。酒を呑んでいない方が怪しまれる。呑めよ。俺の奢りだ」

 私たちは並んでカウンターに肘をかけ、ビールをぐいっと喉に通した。

「どうしてここに酒があるんだ?」

「知るかよ。どこかの物好きが安く仕入れて売り捌いてるのか、あるいは、輸送船を襲って掠奪した物品を売っているのか。どっちにしても、知って得するようなことはないよ」

 ファナナは仏頂面でさも苦そうにビールを呑んだ。

「金には綺麗も汚いもないと言うだろう? 酒も同じだ。酒は酒。良いも悪いもない。旨いか不味いか。呑むか呑まれるか。酒自体に罪はない。割り切って呑めよ。仏頂面のあんたは、身内でもおっかなく見える」

 ファナナは深いため息のあと、一息でビールを呑み干した。「どうやってやつを捜す? わかっているのはダイヴァー・ネームだけで、顔も知らねえんだろう?」

 彼は酔いどれの一人一人に鋭い視線を向けていった。目が合った何人かのゴロツキは柄の悪い視線で応えた。酒場というよりもスラム街のように思えた。だが、誰も喧嘩をふっかけてくるようなことはなかった。どいつもこいつも知性のなさそうな間抜け面だったが、少なくとも腕っぷしの強さと酔いだけでファナナの強面と筋骨隆々の肉体に勝てると思い込むほどのヌケサクではないらしかった。

「タトゥーだけで捜すのは無理だと思うぜ」ファナナはこの空間にいる全員を睨みながら言った。

「派手な方法と地味な方法、どっちが好みだ?」

「遥々こんなスラムに乗り込んだっていうのに、地味もくそもあるかよ」

「そう言うと思ったよ」私は小さく笑う。「リーランドの爺さんには伝えてある」

「俺には伝わってねえな」

「伝えるまでもないと思ってね。単純な話さ。ここはスラムだろう? スラム流でいけばいい」私は空になったボトルをカウンターに置くと、入ってきた方とは別の扉を進んだ。

 最初の通路と同じように、仄暗い照明の一本道が続いていた。入り口の通路と違うのは、通路に複数の若者たちの姿があったことだ。中には若者と呼べないような年齢の人間もいたが。重力は弱く設定されているようで、水中のように身体が浮いた。そして、通路にいる誰もが宇宙服を着用しておらず、一人残らずドラッグでトリップしていた。

 私とファナナは示し合わせたわけでもないのに、同時に宇宙服のヘルメットを起動した。ドラッグの空気感染は聞いたことがないが、それでもこの空気は直接吸い込みたくはなかった。ここが火星であっても、同じようにヘルメットを着けていただろう。

「絶景だな」私は冷めた声で言った。

「ああ。サン・トゥアンヌの夜と変わらない風景だよ」ファナナは乾いた声だったが、熱を帯びていた。「こいつらを一人一人ぶちのめしていけばいいのか? どういうわけかここは好きになれなくてね。意味もなく苛立っている。やれないことはなさそうだ」

「同意見だが、まだ早い。闇雲に敵を増やすだけだ」私は微重力のトンネルの先を指差した。「やつらが本当にギャングなら、入り口の酒場で間抜け面して酒を呑んだりはしない。この先のどこかで、仲間たちと合流しているはずだ。酒を呑むのはそれからだ」

「おまえが言うなら、そうなんだろうな。どうでもいいけどよ、俺は誰をぶちのめせばいい?」

「向かってきたやつさ。派手に聞き込みをして回れば、向こうの方からスラム腰でやってくる。あんた––––俺たちは、そいつをぶちのめせばいい。それを繰り返せば、本命に行き着くだろうぜ」

「作戦とは言えないほど雑だ。雑すぎる。行き当たりばったりもいいところだぜ」ヘルメットの下でファナナが笑みを浮かべたのがわかった。「それがいい。俺はそういうシンプルなのが好きだ」

 通路を抜けると、街が広がっていた。

 夜の繁華街––––眠ることを知らない街。まるでサン・トゥアンヌだ。地べたに座り込んで安酒を呑み、何も面白くないのに口を開けば大声で笑っている。小銭を稼ぐために安易に身体を売る。騙し騙され、殴り殴られ、端金を奪い合う。そうやって手に入れた金は、あっと言う間にセックスとドラッグとアルコールに消える。太陽系の果てに来ても、人間社会は変わらない。暴力と快楽。辿り着く世界は、欲望に塗れている。

 私は首元のタッチパネルに触れ、宇宙服のヘルメットを解除した。あらゆる煙と酒のにおい、血と暴力のにおいがした。

 素顔を晒した私たちの元に、すぐさま立ちんぼたちが群がってきた。発言のすべてが、私の鼓膜を通り抜けてくることはなかった。きっと、ファナナも同じ状態だったはずだ。

 私たちが取り合わないと、立ちんぼたちは別の人間へと標的を変えた。静かになると、私たちは無言で煙草に火を灯した。

 煙の先の濁った世界で、誰もが楽しそうに笑っている。本当は笑いたくもないのに、笑っていなければ生きていけないというような悲壮感を帯びた笑みだった。

 耳障りな喧騒に顔を顰めながらも、私たちは奥にある二つの扉を見つけた。

「どっちにする?」私は煙で空間を汚しながら言った。

「二人で一つの扉を選ぶのか、それとも、それぞれの扉を選ぶのか」

「相手の数がわからない以上、離れない方がいい。でも––––」

「それじゃあつまらねえ」ファナナは火星通貨のコインを取り出した。「表が出たら、俺は左。裏が出たら、おまえが左。どうだ?」

「奇遇だな。俺も同じことを言おうと思っていた」

 クロス・ザ・ルビコン––––賽は投げられた。

 私たちはコインの示した道を進む。私は左、ファナナは右だ。

 左側の通路は、来たときと同じように薬物が蔓延した通路だった。微重力の空間を、吐瀉物が流れていく。

 悪徳の通路を通り抜けると、現れたのはボウリング場だった。

 ピンやボールは破損しているものも多く見られたが、造りは地上の施設と遜色がないように見える。ゴロツキの星といえど、これほどの娯楽施設を造り上げた手腕には少しばかり感服した。

 ただ、純粋にボウリングを楽しんでいる者はほとんどいなかった。レーンにいる連中は飲酒と喫煙にいとまがないようで、それ以外の連中は同じフロアに設置されたピンボールやパチンコ・スロットで延々と続く暇を潰していた。

 私は宇宙服を解除すると、球を一つとって空いているレーンに入った。破損の少ない球を選んだが、代わりに固まった血液のようなものがこべりついていた。ボウリング用のシューズはどこにも見られなかった。たとえレンタルシューズが置いてあったとしても、この星のゴロツキたちがわざわざ履き替えるとも思えない。ただ盗まれるのがオチだ。

 リターンラック前のモニターパネルでゲームを開始できるらしく、金銭がかかる仕組みではなかった。最低限の清掃や球の収納、詰まったピンの修正など、不具合の調整はロボットとアンドロイドがやっているらしかった。プログラムの不具合なのか、メンテナンスがおざなりだからなのか、収納されているボーリング球は半分もなかった。ボーリングのプレイヤーはほとんどいないというのに。きっと、機械思いのヴィルグレーヴィア民は、アンドロイドたちの仕事がなくならないようにわざと球を散乱させたままにしているのだろう。

 私は第三レーンに入り、ゲームを始めた。ターキーを取ったあと、プラスチックのベンチに座って煙草を燻らせ、周囲を観察した。ゴロツキたちに変化はみられなかった。

 第四フレームは二ピン残したが無事にスペアを取り、第五フレームは再びストライクを取れた。

 再び煙草を燻らせると、隣の第四レーンのベンチに女が座った。Tシャツにジーンズ、ゴールドスターのスニーカー。ローマンピーク・ツインズのキャップの下には、無造作にカールした髪が後ろで束ねられていた。スケートボードを移動手段に使っているようなストリートスタイルの若い女だ。地上の二十代と違うのは、腰のガンベルトにどでかいオートマチックが備えられ––––軍用ハンドガンのタスカローラだ––––銃口にはサプレッサーとマズルブレーキが装着されていた。火星や木星の地上でも拳銃を携帯した人間は少なくないが、軍用のハンドガンはあまり見たことがない。横流し品を取り扱う闇市でもなければ、民間人が手に入れることはできないだろう。

「こんなところで何を?」女が言った。

「見ての通りさ」私は十一ポンドのボールを持ってレーンに向かった。

 これまでと変わらぬ投球––––のはずだったが、ボールはガーターに吸い込まれるように転がっていく。

 私は指先に息を吹きかけながらベンチに戻ると、灰皿に置いておいた煙草を咥えた。「そんな顔するなよ。君が来るまでは調子が良かったんだ」

「何が目的?」女は険しい表情のまま言った。「〈組織〉とは二度と関わりたくないんだけど」

「安心しな。俺はもう〈組織〉の人間じゃあない」

「噂通りってこと? じゃあ、あたしが喋っているのは誰? ダン、あんたは死んだって聞いたよ」

「この通り、ピンピンしているさ。噂を信じるなんて、ソフィー、君らしくないんじゃあないか?」

 ソフィーは前屈みになり、キャップのツバで顔を隠しながら大きな瞳で周囲を窺った。「本当に一人なの?」

「仲間はいるさ。動物園の飼育員と戦艦の老パイロットがね。過去のことは詳しく知らないが、〈組織〉の人間じゃあないことだけは断言できる」

「マイカやシムラはいない? ヒョンスもムースも?」

「あまり聞きたくない名前ばかりだね」私は立ち上がり、リターンラックに戻ってきたボールに指を入れると、レーンに刻まれた三角マークの中央めがけて投げた。

 快音を響かせてピンは弾け飛んだ。が、両サイドに一本ずつ、親知らずのような二本のピンが残ってしまった。

 ベンチに戻ると、吸いかけの煙草を再び咥えた。「ソフィー、もう一度君に会えたのは嬉しいが、俺は君に会いに来たわけじゃあない。君がこんなところにいるなんて、知りもしなかったんだからね。目的は別にある」

 ソフィーはベンチに深く腰掛け、話の続きを待っていた。表情は相変わらず険しいままで。

「私立探偵をしていてね……笑うなよ」私はある殺害事件を捜査し、"タトゥーの男"を追って〈ヴィルグレーヴィア〉に来たことを説明した。「この宇宙の中から、特定のタトゥーを彫った人間を捜し出すことが難しいことはわかっている。でも、山林で貝殻を見つけることよりは不可能じゃあない。潜り込めないような場所に流されちまったわけじゃあないんだ。この世界のどこかに、殺人犯は必ず存在する」

 ソフィーは深く息を吐くと、二本の指を私に向けた。私はその指の間に煙草を挟んでやり、火をつけてやった。

「それで? どうしてあたしにそんな話を聞かせるの?」ソフィーは深々と煙を燻らせた。「はっきり言っておくけど、あたしはそのナントカっていう商売女を殺したのが誰かなんてまったく興味がない。誰がなんで、っていうのはもちろん、犯人が見つかろうが見つからまいがどうでもいい。それより、あたし自身がパラディーノに目をつけられないかの方が心配だよ」

「アナソフィア」

「やめて!」彼女の声はボーリング球がピンを弾く音よりも、パチンコ・スロットの騒音よりも大きく響いた気がした。「あたしをその名前で呼ばないで」

 私はたっぷりと煙を吸い込んでから言った。「ここに、ゼペタ・ギャングがいるはずだ。居場所を教えてほしい」

「いないよ、そんなやつ」

「アナ……ソフィー。君を巻き込むつもりはない。居場所だけでいいんだ」

「だから、いないんだって」

「そうか」私は長いままの煙草を灰皿に残し、立ち上がった。「ゴロツキどもをまとめて相手にする覚悟はできているんだ。今すぐ、ここを離れることを勧めるよ」

「あんた、〈組織〉を抜けたってのは本当みたいね」

「頼りないって言いたいのかい?」

「いいや、俗ぼけしちまってるって言いたいのさ」

「どういう意味だ?」

「そういう意味だよ。俗ぼけじゃないなら、ゼベタ・ゼペタの名前なんて出てこない」ソフィーはようやく笑みを浮かべた。意地の悪い口元だったが。

 私はベンチに座り直した。

「いい? ゼベタ・ゼペタなんて人間は存在しないの。パラディーノが作り出したまやかしにすぎない」

「ゼペタは捜査局から入手した情報だ。被害だって出ている」

「犯罪は起こる。この広い太陽系のどこででもね。その中で、どれがゼペタの仕業なのか。そのすべてを完璧に把握できると思う?」

「話が見えないな」

「やっぱり、相当鈍ったんじゃない?」

「焦らすなよ」

「つまりね、あの犯罪事件はゼペタ一味の仕業でしたって言えば、そういうことになるの。事後の声明だけで生まれた犯罪集団がゼペタ・ギャングの実態ってわけ」

「声明だけででっちあげた集団? そんなことが可能なのか?」

「できるんじゃない? 実際にやってるんだから」

「仮にそうだとして、パラディーノがその烏合の衆"ゼペタ"を作った理由はなんだ?」

「自分たちの犯罪を紛れ込ませるため。本当にわからないの? いい? 実態が掴めない"ゼペタ"による軽犯罪の中、パラディーノの本来のシノギを交ぜる。たとえば、ドラッグビジネスなんかを。惑星や州によってばらつきはあるけど、太陽系全体でみたら、ドラッグの取り締まりもマフィアの対策法案も昔よりかなり厳しくなった。だからパラディーノ・ファミリーにとっては、表向きは無関係の"ゼペタ"にシノギをやらせた方がいい。利益を得たままリスクを抑えられるんだから。警察を買収するよりも安上がりだし、安全なのよ」

「パラディーノはもう少しまともなマフィアだと思っていたよ。少なくともチープドラッグを売り捌くような真似はしないはずだ」

「先代の頃ならあるいは。でもね、時代は変わるのよ。変わらないものなんてない」

 私は灰皿の煙草を指に挟み、先端の灰を弾くと思案の煙を吸い込んだ。「それでうまくいったとしても、裏社会の方はどうなる? パラディーノ・ファミリーのシマで得体の知れないゴロツキが商売しているんだ。パラディーノのメンツは丸潰れじゃあないか? シマの外でもそうだ。他のマフィアたちが黙って見てるはずがない。マフィアってのは、何よりもメンツを重視する人間の集まりだ。それとも、マフィア連中だけは、パラディーノとゼペタの繋がりを知っているとでも? 他のマフィア連中がいい顔をするはずがない。黙って指を咥えているわけはないんだ。そんな情報はすぐに漏れる。すでに繋がりに気がついている捜査官だっているんだ」

「その捜査官は熱心で優秀なんでしょうね。"ゼペタ"の存在に違和感を覚えたんだものねえ。で? その捜査官から"ゼペタ"の情報をどうやって仕入れたのかは聞いた?」

 私は口の端で煙草を咥えた。

「聞いてないんでしょ。そりゃそうよ。情報源と呼べるような確かなものはないんだから。熱心だからこそ、不確かな情報から辿り着いただけ。あんただって薄々勘づいてるんじゃない? ラビットホープの街で、ヴィオレッタの街で、"ゼペタ"の名前を一度でも聞いた? 寄ってくるのは名もないチンピラばかりだったんじゃない?」

「どうして君は、それほど深く知っているんだ?」

「あたしの古巣––––ファッジ・ファミリーも関わっているから」ソフィーはニヤリと笑った。「"ゼペタ"はパラディーノだけじゃない。マフィア共同の烏合の衆なのよ」

「共同? どういうことだ? パラディーノとファッジ、両方の傘下に入っていると?」

「それからケンタッキー・ファミリーもだったかな。あたしが知っているのはその三つだけだけど、関わっている組織は他にもあるんじゃない? 傘下って言い方は、近いようで遠い気がするね。ゼペタ・ギャングっていう集団が下についているわけじゃないから」

「もう少しわかりやすく説明してくれないかな」

「優秀な探偵だこと」ソフィーは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「"ゼペタ"っていうのは、組織や集団を指す言葉じゃないの。いわば、指示役の呼び名。ゼベタ・ゼペタという人間は存在しないと言ったのは、そういう意味。"ゼペタ"から街のゴロツキたちへ指令がいき、犯罪が行われる。実行役のゴロツキたちは何のため、誰のために動いているのかも知らない。その犯罪の中には、マフィアの利益となるような商売も含まれているわけだけど、多くは行き当たりばったりの犯罪。実行役の馬鹿たちは、手っ取り早くまとまった金を手に入れることしか考えてないから、余計なことを知ろうという気にすらならない。誰の下についているのかってことにも興味を持たない。連中は"ゼペタ"の指示に従うだけ。マフィアにとっては、これほど使い勝手のいい駒はないでしょう? 何も知らないんだから捕まったところで、パラディーノの名前もファッジの名前も出てこないだもの。フランク・ファッジは、これこそが新しい犯罪界の形だって鼻息を荒くしてたよ」

「でも、システム自体は新しいものじゃあないだろう? 指示役を使った犯罪なんて、人間が地球にいたころからあったはずだ。マフィア組織が共同でチンピラを使うってのは新しいのかもしれないが。結局のところ、指示役ゼベタ・ゼペタが捕まれば終わりだ。……続きは?」

「想像通りなんじゃない?」

「ゼベタ・ゼペタは一人じゃあない」

「やっと勘が戻ってきた?」ソフィーは悪戯っぽい笑みを浮かべながら煙を吐いた。「マフィア組織の人間なのか、外部の人間なのか、詳しいことはあたしも知らないけど、各ファミリーに関係のある人間たちが"ゼペタ"役を務めてる。仮に一人の"ゼペタ"が捕まれば、別の"ゼペタ"が指示を出す。"ゼペタ"の名前にリスクが高まれば、別の名前に変えればいい。それの繰り返し」

「"ゼペタ"が存在しないってのは、そういうカラクリか。まるで亡霊だな」

「ゴーストバスターズが現代にいたとしても、一人目の"ゼペタ"が捕まることはあまり考えない方がいいと思うね」

「どうしてそう言い切れる?」

「〈ダウン・サイド〉に潜っているから。わかる?」

「ゼベタ・ゼペタはダイヴァー・ネームか」

 ソフィーは旨そうに煙の輪っかを吐き出した。「個人識別用のIPと違って、ダイヴァー・ネームは他人と被っても使用できる。知ってるでしょ? 複数人の"ゼペタ"が存在しても違和感はない。おまけに、ダイヴァーのアカウントは債務者から取り立てたものを使っているから、仮に足がついてもマフィア組織が関与していたという決定的な証拠にはならない」

「どこに行けば"ゼペタ"に会える? ……というのも愚問か」

「ええ。現実世界で実行役となり得るチンピラを選び、電脳世界で"ゼペタ"の方から接触してくる。そして、仕事を与えて消える。〈ダウン・サイド〉の潜伏先なんてないんじゃない?」

 私は煙を吐き尽くすと、吸い殻を乱暴に灰皿に押し付けた。「"ゼペタ"のことはよくわかった。捜し出すのは容易じゃあないだろうね。マフィアを丸ごと相手にするつもりだってない。だが、アンジェラ・ロメロを殺したやつは別だ。"ゼペタ"と関係しているのかいないのかはどうだっていい。マフィアだろうがその辺のゴロツキだろうが関係ない。容疑者の"タトゥー"は確実にここにいる。俺が捜しているのはそいつだ」

 ソフィーは短くなった煙草を灰皿に放った。「ペニー・ジョーク、という名前に聞き覚えは?」

 私は首を振った。

「いつもピエロのメイクをしてる気味の悪い男。サーカスのつもりなのか、おんなじようなメイクをしたやつらを従えてる。そのピエロのリーダーが、ペニー・ジョークと名乗ってる。関わりがあるわけじゃないから、詳しいことは知らない。〈ヴィルグレーヴィア〉の同居人として、知っているだけ。だから、ほとんど感覚だよ。"ペニーのサーカス"は、どいつもこいつも全身にタトゥーが入ってる。〈ヴィルグレーヴィア〉じゃ、タトゥーなんて珍しくも何ともない。ほとんど全員の身体に刻まれているようなもの。もちろん、あたしも。だから、直感。ヤクザの彫り物でもなく、ファッションでもなく、他になにか意味のあるようなタトゥーがあるとするなら、無意味でも印象に残るようなタトゥーがあるとするなら、ペニーのサーカスな気がする」

「そいつらはどこにいる?」

「ライノクス。〈ヴィルグレーヴィア〉の"尻"に廃炭鉱の残骸を吸収したエリアがある。そこが、ライノクス。内側から向かうより、一度宇宙へ出てからアストラナードで飛んだ方が早いと思う。でも気をつけてね。廃墟でも炭鉱は炭鉱だから。下手な刺激を与えすぎたら爆発するかもしれない」

「射撃の腕まで鈍っちゃあいないさ」私はコズミックウオッチを操作しながら言った。

「巻き込まないでね、って言ったつもりだったんだけど」

「保証はできないな」私は小さく笑った。「今すぐに〈ヴィルグレーヴィア〉を離れることを勧めるよ。それとも、一緒に来るかい?」

「ライノクスは〈ヴィルグレーヴィア〉の一部だけど、繋がっているわけじゃない。周囲の隕石と同じく軌道を共有する物体の一つにすぎない。何かの拍子に切り離される可能性は大いにあり得る。宇宙の法則だろうが、人工的な事象だろうが。いい? ライノクスが爆発したところで、全体としての〈ヴィルグレーヴィア〉は変わらない。一部が失われるだけ。わかる? あんたが何をしようが、ライノクスがどうなろうが、あたしの世界は変わらずに回り続ける」

「君の好きにするといいさ」私はコズミックウオッチの音声通信を繋ぎながら、宇宙服を起動した。「恩に着るよ。君に会えてよかった」

「あら、そう。あたしは会いたくなかった。これから先も、二度と会いたくないね」

 私は苦笑いを浮かべることしかできなかった。

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