兎の息継ぎ
「まさか、掠っただけで墜ちるとはね」ホームゾーンに戻ると私は苦笑した。
「だから逃げていろって言ったんだけどね」バッグスは唾を吐き捨てるように言った。「足手纏いのあんたに巻き込まれて、あたしまで墜とされていたらどうするつもりだったの?」
「負け金を払っていただろうね。ギャンブルは趣味じゃあないが、勝ちとるっていう気分は悪くないもんだな」
「勝ちとる? あんた、墜とされたじゃない」
「お互いに一機ずつ墜とした。チーム戦では勝利した。他に何を望む?」
「本物の敵を撃ち墜とすこと」バッグスは相変わらず生意気なウサギの目をしていたが、その向こうにある本物の感情は感じ取れた。「アンジーの仇を討つ。そのためにこの茶番に加わった。はっきり言ってね、あんたに任せて安心できない。今からでもそっちに向かいたいくらい」
「俺は安心できたよ。君を置いてこれてね、セイディ」電脳世界の私は帽子を被ったウサギに微笑んだ。「君が言うように、あれは茶番だ。どれだけリアルだろうが、ゲーム以上のものはない。絶対に死なないことが約束されたゲームだ。まあ、死に際の疑似体験ができたことは貴重だったけれどもね」
「そのまやかしのゲームで、あんたは負けた」
「ああ。墜とされたことに言い訳はしないさ。君のおかげで俺たちのチームが勝った。あんたの腕は確かだ。アストラナードのレーサーはだてじゃあない。それは認める。負け惜しみでも、レーサーを卑下しているわけでも、電脳空間を否定しているわけでもないんだ。ただ、現実にデビルランチャーはない。無敵の機体なんていうのもない。一発の銃弾で死ぬこともあれば、生き残ることもある。本当の戦場は、インターネットで検索してもわからないんだ」
「何が––––」
「君は」私はバッグスの言葉を遮った。「人を殺したことがあるかい?」
墓場のような静寂。電子の音も聞こえない。
「敵のマシンを撃つってことは、"墜とす"ってことじゃあない。"殺す"ってことだ。マシンの中には人間が乗っている。マシンを撃つのも、生身の人間を撃つのも変わらない。人殺しだ。シューティングで敵機を撃つとき、君にその感覚はあるか?」
ウサギは沈黙する。
「理由がどうであれ、手段がどうであれ、人殺しは人殺しだ。現実世界とも、電脳世界とも違うまったく別の領域だ。よく言うだろう? 人殺しは最初の一回目が肝心だって。使い古された表現だが、それは正しい。一度ヒトを殺した人間は、死ぬまで人殺しの輪廻から抜け出すことはできない。神の赦し、なんてものはないんだ。殺して、殺して、殺して。最後には自分が同じような結末を迎えることになる。それでも銃が握れるかい?」
沈黙の間を、電子音が通る。どちらかが何かを受信したようだが、ウサギもイヌも動かない。
「境界線は越えない方がいい」私は言った。「君は優秀なパイロットだが、人殺しじゃあない。それでいい。それがいいんだ。こっちの領域は俺に任せろ。君の––––アンジーの仇は俺が討つ」
バッグス・"ラビット"は憎ったらし笑みを浮かべた。「探偵の台詞とは思えない。ヤクザにでも転職した方がいいんじゃあないの?」
私は苦笑いした。「考えておくよ」
「わかった」電脳世界のウサギは言う。「あんたに任せる」
嗄れた声が聞こえた気がした。
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