どうぶつはお好き?

 ニューカラント州ハインラッド動植物園に着いたときには、午後四時を過ぎていた。最終入園時間に園内に入ったのは私の他にはいなく、ほとんどの客は穏やかで満足そうな表情を浮かべながら出口へ向かっていた。

 私は人が少なくなっていく園内を歩いた。何度も訪れている動物園で、マップを見なくとも順路は把握していた。本当はゆっくりと時間をかけてすべての動物たちを見て回りたいところだが、閉園の時間が迫っていることもあり、『平原ゾーン』以外は素通りすることとなった。なんとも心苦しいことに。

 平原ゾーンはセレンゲティ国立公園を模した造りになっていて、柵の向こう側にある広大な平原には多くの草食動物たちがのびのびと暮らしていた。

 私はシマウマとキリンのしなやかな肉体を眺めながら、その色を想像した。シマウマが白と黒の縞模様で、キリンは黄色と茶色の縞模様だということは知識として知っていた。だが、私の目には、模様こそ違どどちらも同じ色に見える。このときばかりは、いつも色彩のある景色を羨ましく思う。シマウマの黒と白は、本当は私が思っているような白と黒ではないのかもしれない。キリンの黄色というのはどういう黄色なのか。茶色の斑点は、本当に茶色なのか。この目で確かめてみたくて仕方がない。彼ら彼女らの身体の色が何色だろうが、私の生活には関係がないだろう。真っ青な身体をしていようが、真っ赤な斑点がついていようが、私には関係がない。色を識別できたところで、私の未来には何も影響がない。それはわかっている。いや、自分自身に言い聞かせている。

 だが、そういうことではない。

 好きなこと、興味があること。直接的に生活に関係しなくとも、精神の平穏に必要な"無駄なこと"は確かに存在する。人間は人生すべてを効率的には生きていけない。"無駄なこと"があるから、正常な精神でこの宇宙で生きていける。エンターテインメントがいい例だ。必要ないはずだった"無駄"な娯楽が、いつしか大いなる商売となった。それを生きがいとする人間が現れた。"無駄なもの"は"無駄なもの"ではなくなった。私だって、例外ではない。"無駄なもの"にこそ意味がある。そう信じてかろうじて生きている。

 ––––何を考えているんだ、俺は。これじゃあまるで宗教みたいだ。

 私は軽やかに走ってくるダチョウを眺めながら自嘲気味に笑った。

「気持ちの悪いやつだ。何を笑ってやがる?」

「癒やしの表情さ」私は動物園特有の生命の匂いを嗅いだ。「そいつは?」

「タンクボア」そう言って、ファナナはポニーよりも一回りほど小さい動物の背中を撫でた。「火星で進化したイノシシだ。戦車みたいにでかいイノシシ、って意味で名付けられた」

「最初に見つかったのはニューカラント州ベルフラワー。それは知っているよ。名前を聞いたんだ」

「モリオ。モリモリ食うからモリオだ」

「ということは男の子だね、モリオ」私は屈んで、モリオの首元を撫でた。心なしか、気持ちよさそうに目を細めた気がした。「散歩の時間かい?」

「厩舎に戻すところさ。ショーがあってな」ファナナは少しだけ険しい顔を覗かせた。「タンクボアを含め、火星イノシシは野生じゃクマと同様に凶暴だと思われている。でも、そりゃあそうだろ。野生の世界は、生きるか死ぬかの世界だ。死なないために警戒するのは自然なことだ。何も好き好んで人間を襲っているわけじゃあない。クマもイノシシも。むしろ怯えているんだ」

 私は黙ってモリオの身体を撫で続けた。

「タンクボアは頭のいい動物なんだ。犬や馬と同じくらい人間と協力しあえる。共存できるんだよ」ファナナは言う。「動物のショーってのは、あまり気に入らないけどな。こっちも客商売だから仕方がない面もある。だったら、大いに乗っかろうと思ってね。タンクボアの知能の高さを見せつけて、イメージを変えてやろうと思っているのさ。害獣なんて言葉、俺がこの世から消してやる、ってな」

「力になれることがあったら言ってくれよ」私はモリオを抱きしめ、硬い毛並みを肌で感じ、生命の匂いを目一杯吸い込むと立ち上がった。「厩舎は?」

「ついてきな」

 私たち二人と一頭は並んで園内を歩いた。時折、帰り際の家族連れがモリオに近寄り、少しばかり怯えながらも力強く美しい毛並みを撫でていった。モリオは、誰に触れられても朗らかな表情をしていた。私なんかよりも随分とできた男だ。

「タトゥーは見つかったか?」人間が私たち二人だけになると、ファナナは言った。

「この宇宙にはタトゥーを彫った人間が多すぎる」

「今日、この動物園だけで、短剣と黒薔薇のタトゥーを彫った人間を少なくとも五人は目撃した。タトゥーから一人を捜そうなんて流れ星を捕まえるより難しい」

「そいつはロマンチックだな」

「茶化すなよ。捜し方がまずいんじゃあねえのかって言ってんだ。その様子じゃ、ゼペタだって見つけられてないんだろう?」

 私はコズミックフォンの画面を見せた。「それっぽいやつらなら釣れたさ」

「でも逃した?」

「稚魚は海に返すもんだろう? 群れに帰ってくれれば、大漁だ」

「そんなにうまくいくもんかねえ」

「それしかあてはないんだ」

 火星イノシシの厩舎に着いた。

 厩舎は展示用の牧場の裏手にあり、飼育員しか入れないようになっていた。タンクボア以外の品種と同居しているようで、馬のように各々に個室が与えられていた。

 モリオはファナナに案内されるまでもなく自分の部屋に戻り、藁のベッドの上に寝そべった。その姿は犬と馬の中間のように見えた。

「リーランドの爺さんは?」私は、ファナナがモリオの部屋を整えている様子を眺めながら言った。

「心配すんな。これが終わったら連れて行ってやるよ」

 私は火星イノシシたちの世話をするファナナを眺めながら、モリオの隣に腰を下ろした。彼は出ていけとは言わなかった。私はモリオの身体を撫で、ファナナの仕事が終わるのを待った。

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