信頼は金

 ウインズロウ・レックスが二桁得点の快勝を収めた翌日、私はウエストヴィクトリア州サン・トゥアンヌを訪れた。オフィス街の一角にあるコーヒーショップで、一杯五ドルもするブレンドコーヒーを飲んだ。ウォールバーグ・ストリートは火星一、太陽系一物価が高い。駐機場の値段も高く、その上交通規制も厳しい。だから私は、"狼の心臓"を近郊のプリマスに停め、鉄道でサン・トゥアンヌに入った。

 冷房の効きすぎる店内で冷めたホットコーヒーを啜り、買ったばかりのヴィクトリア・タイムズ紙を広げた。ヴィオレッタのホテル街で、娼婦の遺体が見つかったという記事があり、熱心に文字を追ったが、私が知る女のことではなさそうだった。どれもこれも、私に直接関係しそうなものはない。えてして、報道記事とはそういうものだ。

 私は暇を潰すとき、大抵は新聞を読む。本があれば本の方を優先するが、いつも文庫本を持ち歩いているわけではない。咄嗟の暇に対しては、読んだら捨てられる新聞の方が便利だ。インターネット配信される記事ではなくて紙の新聞を選ぶのは、私が読みたいもの以外も載っているからだ。ネット検索は自然と個人の趣向が反映される。大抵の場合は便利な機能だが、それだけしかなければ、知らず知らずのうちに視野が狭まってしまう。時には、受動的に得る情報も必要だ。厳選された記事が載る新聞は、受動的情報収集に最適なアイテムだと私は思う。だから、今もなお、紙の新聞が生き残っているのだと。

 というように格好つけた理由を並べてみたが、結局のところ、私は文字を読むなら紙がいいのだ。タブレットの画面よりもホログラムの画面よりも、紙がいい。小説だって、私は紙のものしか買わない。時代遅れなのかもしれないが、古くてもいいものは無くならないというのも事実だ。紙の本や新聞が今も残っているのが、その証拠じゃあないか? 

 サン・トゥアンヌの地域面を読んでいると、向かいの椅子がひかれ、男が座った。

「ひさしぶりだな、ダン・ヴォルフハルト」彼はタオル生地のハンカチで首元の汗を拭いていた。張り裂けそうなシャツの腹も、汗で湿っていた。「ヴォルフハルトって名前は気に入ったかい?」

「ああ、あんたのおかげでね。ギャヴィン」

 ギャヴィンは満足そうな笑みを浮かべると、ストローに口をつけ、自分と同じような体形で水滴の汗をかくトールサイズのアイスコーヒーを飲んだ。きっと、ミルクとシュガーがたっぷりと詰まっているに違いない。

 彼は火星外務省につとめ、パスポートIDの管理を生業としていた。金で動くタイプの人間だったが、口が堅く、それが長生きの方法だと知っている男だった。私が〈組織〉を抜けたときも、新しい名前を手に入れるのに一役買ってくれた。

「ヴォルフハルト。あんたにぴったりの名前だ。嫌いになったわけじゃないんだね?」

「ああ、日に日に気に入っているよ」

「じゃあ、別の名前が欲しくなったってわけじゃないんだね? 例えば……"ウルフ"みたいな」

「ヴォルフハルトの名前で私立探偵のライセンスも取ったんだ。変えるつもりはないよ」

「それじゃあ、どうして私に会いに?」

「ギャヴィン。あんた、惑星出入国管理にもツテがあるって言ってたよな? 誰かが火星を出たら、あんたはそれを知ることができる。目的地の申請をどこと出したのかも」

「……誰がどこに行ったことを知りたい?」

 私はコズミックウオッチで撮影した写真を見せた。「名前はまだわからない。こいつらの顔だけでも、捜すことはできるかい?」

「できないことはないね」

「心配しなくても、金なら払うさ」

「心配なんてしてないさ。あんたが金をケチったりしないことは知っている。だから、今もこうして会っている。信頼とは、金払いだよ、ダン」ギャヴィンはアイスコーヒーを飲み干した。冷房も相まって、普通なら身体はとっくに冷えているはずだが、彼はまだ汗をかいていた。「写真を送ってくれ。調べてみよう」彼はメッセージアプリのアカウントを私に教えた。足がつかないように定期的に買い替えるプリペイドフォンだろう。

 私は新聞と一緒に購入したプリペイドフォンで作ったばかりのアカウントから、ギャングたちの写真を送った。

「わかっているとは思うが、惑星出国で提出する目的地なんてでたらめでいいんだ。管理局だって、細かく調べたりはしない。宇宙は広いからな。宇宙遊泳って当てのない目的だっていいんだ。こいつらが火星を出たことがわかったって、どこに行ったのか突き止めることはできないかもしれないよ」

「どっちの方角へ行ったのかくらいはわかるだろう? 木星の方面なのか、地球の方面なのか。それだけでも構わない」

「あんたがそれでいいなら」ギャヴィンは紙コップの蓋を取ると、ガリガリと氷を噛み砕いた。「要件はそれだけかい?」

「ああ。金の請求は、同じアカウントに送ってくれ」

 ギャヴィンは氷を噛んで応える。「あんた、変わらないね。〈組織〉にいた頃と」

「探偵もヤクザな商売だからね」私は立ち上がった。「でも、永遠に変わらないものなんてないよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る