神の怒り

 私はラビットホープでゼペタ・ギャングの下っ端をのし、情報を聞き出した。その話によれば、ゼペタのアジトがあるのはニューカラント州ラビットホープ郊外にある〈首吊り岩〉だった。正式名称は〈ツインロック〉だった気がする。連なる二つの岩にロープをかけて首を吊る者が多かったことから、〈首吊り〉の名で呼ばれるようになった場所だ。広大な自然が広がり、農業や林業が盛んなことでも知られているが、人気を博していたのは別荘地としての顔だ。夏は避暑地となり、冬にはウインタースポーツが楽しめる。そんな地域だ。八月のオンシーズンともなれば、都会からの逃亡者で賑わいが絶えなかった。

 ゼペタ・ギャングのアジトは、その中でもっとも海岸に近く、〈シャープエッジ〉との境にあった。そこは教会だった。なんの神を祀っているのかは知らないが、少なくともジーザス・クライストの姿はない。地球生まれの宗教が分裂し、火星で独自に発展した新興宗教だという。確か、正式名称は長ったらしい名前だった気がするが、一般に〈エデン正教〉だとか〈火星正教〉だとか〈火星エデン正教〉だとか呼ばれている。なんでも、火星発祥・発展の宗教の中で、もっとも信者が多いらしい。

 私はシャープエッジの海岸から教会を観察し、コズミックウオッチのグレープネットワークで〈火星正教〉について調べた。検索の上位のほとんどが勧誘系のものばかりだった。追加の検索ワードを入れようと、『火星エデン正教』の後にスペースを打つと、『やばい』『献金』『霊感商法』といった単語が予測検索候補に上がってきた。

 いくつかの報道記事を見出しタイトルと要約文だけかいつまんでみると、予測検索に表示される理由がわかった。一つ一つを掘り下げて読む気にはなれず、結局、ソース不明の『ユニヴァーサルぺディア』に書かれるエデン教の項目を読んだ。が、いささか多すぎる文字はほとんど頭に入ってこなかった。結局のところ、信者に過度な献金をさせ、悪徳商法で金を集める"やばい"宗教ということだけはわかった。

 はっきり言って教団の"やばい"商売はどうでも良かった。それよりも気に食わないのは、特定の動物を汚れた生き物としているところだった。それでいながら、神聖な動物はいない。いかなる動物も食さないという信仰があるようだが––––私はそれに文句があるわけではない––––、動物を殺すことはする。それがサタンと決めつけた憎悪の吐口なのか、儀式としての生贄なのか、他のなんなのかは知らないが、とにかく、教団とその信者たちは、食うためにではなく、信仰のために動物を殺す。私は、それが何よりも腹立たしかった。

 何も、菜食主義者だからというわけではない。むしろ、私は肉は好きだ。動物愛護団体にも属していないし、それに伴うデモに参加したりもしない。ただ、動物が好きなだけだ。人間よりもずっと。人間以外のすべての生き物に敬意を払っているつもりだ。だから、神聖な存在と崇めるならまだしも、汚れた存在だなどとされては、我が事のように腹立たしくてならない。誰だって好きなものを貶されると腹が立つものだ。

 我々人類は、古代よりさまざまな場面でたくさんの動物と関わり、支えられて生きてきた。産業動物、実験動物、愛玩動物、使役動物、野生動物、関わり方は違えど、そのすべてが我々の生活を、精神を、豊かにしてくれた。人間も動物も、命の重さは平等だ。そして、動物だって、人間と同じように感情を持っている。神やら天国やら魂やらを偉そうに語る人間が、どうしてそれを理解しない? 汚れた動物? そんなものは存在しない。そんなものは人間だけだ。信仰という都合のいい言葉を使って、都合のいい神を創り上げて、動物を勝手に邪悪の存在だと決めつける。神がそう創った? そんな神を信じて、本当に天国へ行けるとでも? 私なら唾でも小便でも引っ掛けてやるね。

 これ以上、この教団に関する記事は読みたくなかった。

 私はコズミックウオッチのホログラムを切り、腰にスカイフォール・リヴォルヴァーが、足首に二連式ゴールドフィンガーがあるのを確認した。

「やめておけ」どこからか声が聞こえた。「あそこに神はいない」

 声の主は、老婆だった。いや、爺さんだったのかもしれない。声と見た目だけでは判断できなかった。

「あんたは?」私は訊く。

「ユタ」老人は言った。「迷い犬よ。そうか。おまえが探しているのは天使か。なおのこと、ここにはいない」

「あんたが何者かは知らないけどね、ユタ。確かに俺はエンジェルを捜しているが、ここにいないのは百も承知だ。言われるまでもない。エセ占い師のエセ占いは訊きたくないね」

「迷える犬よ」

「よしてくれ。俺をそんな名前で呼ぶのは」

「我々が信じるのはこの自然だ。この陽の光を見よ、大地を見よ、空を見よ。すべての自然には魂が宿り、声を発している。我々はその声を聞く。その魂の創造主こそが神だ」

「あんたの信念を否定するわけじゃあないけどね、俺は宗教の話は嫌いでね」

「神が必ずしも宗教に直結するわけじゃない。考え方次第だ」

「ああ、そうだろうね。そうじゃあないと困る。俺は目に見えない神なんて存在は信じないし、行ったこともない天国や地獄にも興味はない。今、この瞬間、俺の魂のある場所が本物だと信じている」

「メタバースも信じていない?」老人は笑みを浮かべた。

「論点がずれていると思うね」

「いいや、ずれてなどいない。メタバースは、人間が生きながらにして神の世界に到達しようとしたからこそたどり着いた技術だ。魂の向かう新しい世界だ」

「あんたがそう言うのなら」私は煙草を燻らせた。「魂の議論なんぞをするつもりはない。信じたいものを信じればいい。それを否定するつもりなんてない。ただ、俺がそれを信じるかは別の話だ」

「それも正しい。かつて、旧アジアの人間は、クリスマスを祝い、正月に神に祈りを捧げていた民族がいる。特定の神を持たぬ民族だ。彼ら、彼女らは不幸だったか? そんなことはない。立派な魂を持っていた」

「神は幸福の指針だと? ますます、俺の心情には合わないね」私は乱暴に煙を吐いた。「歴史も宗教も、俺にとっちゃあなんの意味もない。何度も言うが、否定するわけじゃあないんだ。ただ、俺の人生には関わりのないものだ。俺はどんな神も信じない。特に、ここの〈火星エデン教〉はね。連中が何を信じているのかは知らない。ただ、気に入らないのは、猪を汚れた動物としているところだ。動物が汚れているなんて発想は、人間のエゴだよ。どんな動物も汚れてはいない。汚れているとするなら、それは人間だけだ。そんなこともわからない連中の神を、どうして信じられる?」私はまだ吸える煙草を地面に放り、靴底で踏み消した。「こんなことをあんたに言っても仕方がないね」

「迷える犬よ」

 私は煙草を捨てたことを後悔した。まだ、煙を吸いたい気分だった。

「天使はここにいた。彼女の信仰についてのことは知らない。だが、魂は確かにここにあった」

 私は歩きかけた足を止めた。「どういうことだ? 彼女はここにいたのか?」

 ユタはそれには答えず、手のひらで砂粒をすくった。

「彼女は一人でここへ? それとも誰かといたのか?」

 老人は砂粒を空にかざす。まるで星屑でも拾うみたいに。「私は魂の話をしている」

「そうだろうね」私は教会に向かって歩き出す。

 もう、老人は何も言わない。

 後でわかったことだが、ユタとは旧アジアの琉球に伝わる霊媒師のことをいうらしい。このときの私は、老人の名前だと勘違いしてしまっていた。老人の正体がなんであれ、私の信仰も行動も変わることはないが。

〈聖エデン教会〉は他の教会と同じように、誰でも礼拝堂に入ることができた。ボディチェック等の類いもなかった。色彩を帯びたステンドグラスや神と思しき絵画や像は、荘厳に見えたが、それを目当てにくる観光客はいないようだ。長椅子に座り、人工物の神に祈る人間たちは皆、エデン正教の信者にしか見えなかった。

 どんな神も信じていない私には、教会に通う習慣はなかったが、ここが最初に来た教会というわけでもなかった。仕事柄、他の無宗教者や無神論者、教会を持たない宗教者よりも教会という場所を訪れる機会は多いはずだ。だから、教会における信者の立ち居振る舞いは知らないが、来訪者の区別はそれなりにつくと自負している。とどのつまり、教会にギャングの姿はなかった。

 誠実そうに見える若者も、不良そうな見た目の若者の姿もあったが、どちらもギャングとは思えない。色が見えない私の目でも、それくらいはわかった。

 礼拝堂の東には小部屋が二つあった。入り口に近い方の小部屋には、聖なる棺なるものがあり、それについての説明と、教典の一節がキューブ型の投影機からホログラムで映し出されていた。少し読んだだけでも気分が悪くなり、噛み煙草を口に入れているわけでもないのに唾を吐きたくなった。

 二つ目の小部屋には、教典の別の一節が映し出されていた。私はもう読まなかった。他に、この世で行うべき行為と、その先にある魂の向かう場所、つまり、あの世での平穏について説かれていた。どうして行ったこともない『あの世』が平穏だと言えるのか、私には理解ができなかった。壁画のようなものや崇拝のためと思われる像もあったが、この小部屋のものはすべて、ホログラムだった。何か意図があるのかもしれないが、私は知る必要のないことだと判断した。

 再び礼拝堂に戻り、今度は西側の小部屋に入った。西側の小部屋は一つしかなく、東側よりも少しだけ大きな造りになっていた。

 壁一面に教団の歴史についてが記され––––これまたすべてホログラムだった––––、新規入信者に向けた勧誘を行うAI搭載アンドロイドが二台いた。私を見つけるとすぐに近寄ってきて勧誘を始めてきた。無視し続けていても、プログラムされた音声を勝手に喋り始めた。蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られたが、抑え込むことはそれほど難しいことではなかった。私はまだ、罪のないアンドロイドを痛めつけるほど心が荒んでいるわけではないようだ。

 信者であろうとなかろうと、来客が入れる部屋はこれですべてのようだ。二階へ上がることもできるようだったが、礼拝堂から見たかぎりでは吹き抜けの廊下があるだけで、小部屋があるようなスペースはなさそうだった。どうせ、ホログラムで映し出される教典に埋め尽くされているだけの廊下だろう。ギャングが隠れられるようなスペースがあるとは思えない。それは東西の小部屋にも同じことが言えた。もっとも、すぐにわかるような形で隠し部屋を設けるはずはないだろうが。

 外側から見た教会の大きさでは、横に隠し部屋があるとは思えない。あるとすれば地下だ。私の予想では、棺でその隠し扉を隠している。棺だけがホログラムではなく、物体だった。少々あからさま気もするが、何かを隠しているような気がしてならない。

 あるいは、礼拝堂の奥だろうか。教団関係者や神父––––そう呼ぶのかは知らないが––––の部屋がそこにあるようだ。曰く付きの宗教団体だ。隠しもせずにギャングを匿っていても不思議ではない。

 あるいは、そもそもここはゼペタ・ギャングとはまったく関係がなく、ガセネタをつかまされただけなのか。

 私は考えながら礼拝堂に戻った。

 どうやら、それ以上考える必要は無くなったようだ。

 礼拝堂で私を迎えた男たちは、相手を威嚇するためだけに刺々しい髪形をして、見せつけるようなタトゥーを刻んでいた。人類が地球にいたころから何も進歩のない、絵に描いたようなギャングだ。

「何をにやけてやがんだ、てめえは」左頬に髑髏のタトゥーを彫った男が怒鳴った。

 捜す手間が省けた幸運の私は、自然と口元が緩んでいたらしい。

「てめえ、信者じゃねえな? 何しに来やがった?」別の男が言った。「神の前で嘘をつくんじゃねえぜ。天罰が下るぞ」

 タンクトップで曝け出した両腕に神の正反対のような絵柄を彫っておきながら、よくもそんなことが言えたものだ。

「一応訊いておくが、ゼペタ・ギャングの諸君だね?」

 私の問いかけに、ギャングたちは口々に何かを叫んだ。内容を聞き取ることはできなかったが、肯定と判断することにした。

「短剣と薔薇のタトゥーを捜している。一人の人間が二つを彫っているのかもしれないし、別々の人間なのかもしれない。何人でもいい。心当たりはあるかな?」

「舐めてんのか、てめえ!」三人目の男が巻き舌で怒鳴った。

「〈サルガッソー〉で見た彼のタトゥーに憧れてね。もう一度、彼のタトゥーが見たいんだ」

 私はそう言いながら敵の数を数えた。五人。一度に相手にするには、少しばかりヘビーだ。射撃も格闘も、それなりに自信がある。殺すだけならそれほど問題ではないだろう。が、殺してしまっては、わざわざここへ乗り込んだ意味が無くなってしまう。それに、やつらが丸腰とは思えない。射撃の腕があるとは思えないが、闇雲に撃った弾が当たらないとも限らない。だいたい、やつらが他にも潜んでいない確証はない。この五人を殺せば、さらに五人、湧いて出てくるかもしれない。数が増え、時間が経過するだけ、窮地に追い込まれていくのは私の方だ。残念だが捕獲は諦めよう。幸運の続きはまたの機会に。きっとやつらなら、懲りずに私を捜してくれるはずだ。

 私がとるべき最善は、一刻も早くこのクソッタレの教会から抜け出すことだ。間抜けな神の逆鱗に触れる前に。

 私はギャングに手首を向ける。

 ギャングたちの罵声が勢いを増していく。

 私は銃を抜き、銃弾を放つ。二人のギャングが穢らわしい教会の床に沈むより早く、西側の小部屋に転がり込んだ。扉を閉めると、またあのアンドロイドが高い声を出して近づいてきた。彼ら––––彼女ら?––––には気の毒だが、私は一台の腕を掴むと、扉と取手の間に力任せに挟んだ。礼拝堂側から、扉を開けようと取手を押す力を感じたが、頑丈なアンドロイドのおかげで、小部屋の境界は保たれた。だが、それも時間の問題だ。あと何人のギャングが力を保てているのかはわからないが、怒れる男の力が合わされば、こんなクソッタレの扉はすぐに壊れるだろう。

 私はキューブ型の投影機を掴むと、ホログラムを消しもせずにステンドグラスに投げつけた。

 潮の匂いを含んだ外気が流れ込む。

 口元が、緩んでいることに気がついた。ピンチのときにこそ笑え、だ。いや、こんなもの、ピンチのうちにも入らないのかもしれない。

 私は全速力で走り出し、身体を丸めてステンドグラスの向こう側に飛び込んだ。残った破片が刺さるのを感じたが、痛みはなかった。過度に分泌されているであろうアドレナリンのせいなのかもしれない。

 火星の大地を噛み締めると、再び走り出した。

 観光客で賑わうシャープエッジに逃げ込めば、ギャングたちは私を見失うことだろう。"狼の心臓"を停めたツインロックの田舎町までは追ってこないはずだ。

 銃声が聞こえた気がした。

 私は振り返らずに走る。ちらほらと見え始めたバカンス客たちの数人が音の鳴る方を探していた。

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